終章・応報(2)
文字数 5,799文字
嘆息する月華。ここに自分を封じ、改めて北と交渉して、ドロシー討伐作戦の主導権を握りたいらしい。その方が戦後の交渉でも優位に立てると思っているのだ。
勝たなければ、戦後など訪れない。これはそういう戦いなのに。
しかし見直せた部分もある。この連中にも一応、滅亡の危機に瀕しているという自覚はあったようだと。
「思ったよりは、賢明な判断」
「余裕があるな……」
眉をひそめる伝馬。よほどこの封印に自信があるのだろう。破られるなどとは露ほども思っていない。
愚かな話だ。
一瞬の後、月華の姿は御簾の目の前にあった。
「は?」
何が起きたかわからず、言葉を失う議員達。一方、月華は素早く呪文を唱える。今から起こる凄惨な出来事を、この中の少女には見せたくない。
「お眠りなさい」
霧が御簾の向こうへ流れ込み、中の少女を瞬時に眠らせた。それを確かめて振り返った彼女の瞳は、両方とも藍色に輝いている。
「おかげで、また若返ってしまったじゃない」
声に含まれる微かな怒気。どうやって封印を抜け出したかなど、そんなことを説明してやるつもりは無い。
「もういい、お前達も眠るがいいわ」
「ひっ──」
一歩踏み出した彼女に怯え、後退る議員達。こんな暴挙に出なければ、生かしておいてやるつもりだった。彼等の存在はけっして無益では無かったから。いざという時、陛下をお守りする盾くらいにはなるだろうと思っていたし、明確な悪役が存在することで民衆の不満の矛先を作ることもできた。
だが、こうまでして自分を排除しようとするなら仕方ない。
「福島へは、陛下と民だけをお連れしましょう」
「な……舐めるな!!」
──陰陽術、西洋魔術、果ては超能力。様々な技能の持ち主が一斉に月華へ襲いかかる。だが封印を脱した彼女は、瞳から藍の光を消す。
この程度≪時空≫を使うまでもない。再び嘆息しつつ軽く右手を振った。途端、攻撃を仕掛けようとした議員全員の首が切断され、同時に絶命する。
「こちらはね、とっくに王手をかけていたのよ」
全員不思議そうな顔で息絶えたところを見ると、最後まで気付かなかったようだ。彼等の首に巻き付けておいた霊力の糸の存在に。もちろん、力を持つ者にも見えないよう完全に不可視化させてあったからだが。
「私を誰だと思っているの?」
鍔を掴もうと顔の前に手を持ち上げた彼女は、そう言えばもう、三角帽子なんて被っていなかったのだと思い出し、苦笑する。
「まあ、知らないのだから仕方ないか。せめて冥途の土産に覚えていきなさい、私の本当の名を」
彼女はライオと同じだ。遠い昔、この世界にやって来た来訪者。
師は二人。それぞれ
そして彼女自身は──
「最悪の魔女ヒナゲシ。それが、私の名よ」
現天皇・
傍らには月華がちょこんと正座し、彼女を見守ってくれている。
ホッとしたが、すぐに先程の状況を思い出し、問いかけた。
ここに彼女がいるということは──
「……議員達は?」
「下院は残してあります」
言外に老人達を殺害したことを認め、頷く月華。かつて国会は衆院と参院の二つに分かれていた。だが、何代か前の議員達がより直感的に理解しやすい呼び名に変えようと言い出し、上院と下院に改められた。
先程殺害したのは上院議員達である。先祖代々の特異な技や異能を有し、自分達は特別な存在だと思い込んで過酷な時代の現実から目を背けていた者達。
あれらに比べれば下院はまだマシだ。平凡な人間で、それゆえに上院から常に見下され、使いっ走りのような仕事ばかり任されていた彼等は、まだしも現実が見えており民との心の距離も近い。
「これからは、私達だけで生きて行かねばならないのですね……」
「心配はいりません、陛下」
不安そうな少女に、優しく語りかける。上院議員達は、特殊な力を持つ自分達の存在は日本国の安定のために必要不可欠なのだと、呪詛をかけるがごとくこの少女に囁き続けて来た。だから彼女は、彼等を失うことを恐れていた。
けれど、もう必要無い。必ず、彼等よりずっと心強い味方ができる。
「私がいます。子供達もいます。そしてなにより、これからは北日本王国も御身の味方についてくれます」
「……かの国の方々は、私達を、お許し下さるでしょうか?」
「必ず……とまでは言えませんが、この目で見てきた当代の女王陛下は、こちらが誠意を尽くす限り、同じく誠実に応えて下さる方と見えました」
「そうですか……」
なら、その誠意を見せるのは自分の役目だと、決意を表情で示す月灯。
月華は、まだ一二歳の少女の手を取り、そっともう一方の手の平も重ねる。
体温が伝わり、強張っていた少女の体から、少しずつ余計な力が抜けていった。
「つきましては、会っていただきたい者達がおります」
「それは、もしかして……?」
再び緊張した少女に、月華は苦笑を浮かべて返す。
「大丈夫、彼等なら気楽に接して構いません。陛下とさほど変わらない年頃ですし、その方が当人達も喜ぶでしょう」
──一ヶ月後、朱璃達は、当初の予定より少し遅れて北日本王国へ帰還した。先に南の術士が一報を入れていたため契約を違えたことにはならず、北日本王国の女王・
とはいえ、まだ全員ではない。流石に一〇万の人間をいっぺんに連れて来るのは不可能だった。これから南の術士隊は北の特異災害対策局と連携し、残った住民の護送を数度に渡って繰り返すことになる。
「冬が来る前には、終わるといいね」
「そうね」
早朝、久しぶりの研究室。向かい合って椅子に座ったアサヒと朱璃は、他のメンバーが来るのを待ちつつ、そんな会話を交わす。壁際にはやはり大谷が静かに立っていた。
冬になったら護送は中断しなければならない。大阪も京都も居住可能な状態ではあるが、残された人々はあの過酷な環境で一冬越さなければならなくなる。人数も減っている以上、それはかなり危険な生活になるだろう。
「やっぱり、俺も手伝った方がよくない?」
「駄目よ」
たしかにアサヒの能力は大きな助けになる。しかしドロシーに狙われている彼は移民達を余計な危険にも晒してしまう。彼自身、前回のように他の戦力から切り離されて窮地に陥る可能性が無いとは言えない。
「いいから皆に任せなさい。その方が上手く回るわ」
「信じて待て……か」
たしかにその方がいいかもしれない。改めて納得したアサヒは自分で淹れたシイタケ茶をズッと啜る。南で飲んだ海草スープも美味しかったが、やはりこっちの方が彼の好みには合っている気がした。
「それに、アンタが余計なことをしない方がDAシリーズのデータも取れる」
護送部隊に加わった調査官達にはDA一〇二やその改良版を貸与してあり、帰還の度に装着者が気付いた改善すべき点や個々の要望といった報告を受け取っている。おかげで早くも大幅な強化と量産性の向上を両立させた新型が出来上がりそうだ。
案の定、霊力障壁を生産過程に組み込むことで動力源の人工高密度魔素結晶も以前とは比較にならないペースで増産できている。
この調子なら、来年の春にはDAシリーズを装着した一個大隊が編成されているはずだ。つまり、およそ一〇〇〇人の超人が決戦に投入されることになる。
──東京に巣食う怪物・ドロシー。宇宙のどこかにある魔素の海で誕生したというあの大蛇との戦いは、冬が明けてすぐの時期に決定した。
今の東京には、かなりの雪が積もるらしい。足場の悪いその状態で戦うのは、こちらにとって大幅な不利となる。なので決戦を挑むなら春以降にすべきだと月華が提案し、焔が同意した形だ。
「でもさ、月華さんは絶対に大丈夫だって言ってたけど、本当にアイツが東京で大人しく待ってたりするかな?」
アサヒはまだ半信半疑だった。月華のことは、ある程度信用している。南の人々にあれだけ慕われているのだ。少し苛烈なところはあるが、だからといって悪人だとは思えない。
けれど、ドロシーは自分の中にある力を狙っている。いつ前回の戦いのように東京から離れ、こちらへやって来たとしてもおかしくない。
しかし、この話をすると朱璃は決まって同じ言葉を返す。
「大丈夫よ」
「東京が龍脈の上にあるから……だっけ?」
「そういうこと。覚えてるじゃない」
「まあね」
実際、説得力のある理屈だとは思う。ドロシーは龍脈とかいう地下を流れるエネルギーラインからも魔素を吸い上げているらしい。そのため、複数の龍脈が交差しており、最も集積効率の高い東京を離れることは無い。それが月華と朱璃の見立て。
福島の時は短期間で済む追跡だった。だから一時的に龍脈を離れてまで追いかけて来た。しかし、さらに長距離を遠征してしまうと格段に効率が落ちる。ましてやこちらのホームグラウンドで迎え撃たれ、前回のように手痛いダメージを受けて逃げ帰る羽目になったら余計に目標達成が遠のく。
ドロシーの目的はあくまで故郷に帰ること。そしてそのために必要な膨大な量の魔素の集積と、地球上に拡散した自分の“欠片”の回収。
それらは東京でじっと待っていれば、いずれ必ず達成できるわけだ。だから奴は待ちに転じたはずだと彼女達は言う。向こうは待てば待つほど有利になり、こちらは逆に不利になっていく。そんな状況で自分から仕掛ける道理は無い。
なるほど、たしかにその通り。筋が通っている。
なのに、アサヒは何か引っかかっていた。
(なんでだろ? 何か隠されてるような……)
朱璃も月華も秘密を抱えている。確証は無いのに、どうしてかそんな気がしてならない。
とはいえ、そこに悪意を感じないので問い質すべきかもわからない。彼女達は善意から隠し事をしているかもしれないのだ。だったら何も聞かない方が良い。
(ま、いいか)
自分は朱璃が好きなのだ。どんな隠し事があろうとも、それでも彼女から離れることはできない。月華とは違い、信用してるし信頼もしている。
なら、今すべきことは一つだけ。
湯飲みを置いて立ち上がる。
「ん~っ、ただ待ってるだけも暇だな。俺にも何かできることない?」
ここ最近の朱璃はMWシリーズとDAシリーズの改良に大忙し。夫として彼女の体調も心配になっていたところだ。手伝えることがあれば何でも手伝おう。
そう決意した彼に、幼な妻はニタッと不気味な笑みを向ける。
「へえ……なんでも?」
「いっ!?」
しまった、迂闊な発言だった。ここ最近イチャイチャしすぎて、すっかり油断しきっていた彼は早くも発言を後悔する。
朱璃はゆらりと立ち上がり、タイミング良く組み上がった新型銃を構えてみせた。
「やる気十分ね。そういうことなら遠慮無く付き合ってもらうわ、ダーリン」
「お、お手柔らかに……」
「手加減して有用なデータが得られるかってのよ! ほら、自分で志願したんだからキリキリ動く! コイツの射撃テストよ、アンタは的!」
「ああっ、やっぱり」
足蹴にされ、研究室から追い立てられつつ、それでもアサヒの口許は綻ぶ。
なんだかこういう朱璃は懐かしかった。そして、こんなマッドなところも今となっては愛おしい。
廊下に出ると、ちょうどそこに友之と小波もやってきた。
「あ、班長。おはようございます」
「なんだアサヒ、お前また班長を怒らせたのか?」
「いや、射撃訓練の的になれって言われて」
「班長……」
「結婚しても、そういうとこは変わらないんスね……」
がっくり肩を落とす二人。
そんな両者の間を見つめた朱璃は、再び口許をニヤつかせる。
「アンタ達は、ちょっとは変わったみたいね」
「あっ」
慌てて友之と繋いでいた手を離す小波。
友之は右手で頭をかきつつ、左手でもう一度、強引に彼女の手を取った。
「ええ、まあ……このくらいはできるようになりましたよ。まだ班長達ほど熱々とはいきませんけどね」
「おい、何言ってんだ馬鹿!?」
顔を真っ赤にする小波。ぽかぽかと胸を叩かれ、それでも幸せそうな友之。
アサヒは思わず声を出して笑い、朱璃もつられて大笑する。二組のバカップルの様子を眺め、大谷も穏やかに微笑んだ。
城では、焔と
墓地では
ウォールは久しぶりに長女と顔を合わせ、彼女の進路についてもう一度話し合っている。彼は南で出会った少女達のことを語った。彼女達を見て感じたことが、少しでも娘が良い未来を選択する助けになればと、そう願って。
カトリーヌは難民護送隊の隊長を務め、月華は下院議員達と共に北日本王国を相手取り今後のための協議を重ねている。天皇・月灯はもう一度あの少年少女に会いたいと、そう切望しながら仙台で待ち続けていた。やがて、別の運命的な出会いを果たすことは未だに知らない。
そして──
「冬が明けたら……ね。いいでしょう、それまで待ってあげる」
女は、魔素に満ちた空間で白蛇を腕に絡め、鷹揚に頷いた。
別に彼女は急いでいない。ただ、その時を心待ちにはしていた。彼等はいったい、この自分にどんなスペクタクルを見せてくれるのだろう?
「楽しみだわ……ねえ?」
傍らではやはり、あの“杖”が赤い輝きを放ち、怒りを示している。
彼の名は
そして目の前の女に精神を破壊され、怒り以外の感情を失ってしまった哀れな道具。
女は、いつか必ず報いを受ける。彼もまたその時の訪れを切望し続けていた。
(第四部・完結編に続く)