一章・提案(1)
文字数 2,981文字
やがて北日本側の動揺が収まった頃合いを見計り、用件を切り出した。
「早速ですが、我々“日本国”は現在、あなたがた“北日本王国”の独立を承認する準備を進めております」
「なっ……?」
再び全員が驚き、そして疑う。
本気なのか、と。
(たしか北と南で一回、戦争したって聞いたけど……)
先日、とは言っても三週間昏睡していたため実際には一ヶ月近く前だが、ともかく朱璃から出される“宿題”で学んだ歴史を思い返すアサヒ。たしかそれは、オリジナルの彼がこの国の王となってから一八年後の出来事だったはず。
──約二三〇年前、南日本からやって来た使者は天皇を象徴に戴く自分達こそが正統な日本国政府であり、北日本王国は不当に自国の領土を占拠する集団だと主張した。そして即刻領土を返還するか、あるいは王国を名乗ることをやめ日本国民として振る舞うように求めた。
結局のところ、どちらも自分達の傘下へ入れという要求。前者は力づく、後者は平和的な解決策のつもりだったんだろう。
回答までの期日が設定され、北日本の人々は話し合った。当時の彼等の中には皇室への敬意が根強く残っており、要求を呑んで日本国民に戻ろうという意見も少なくなかったのである。
しかし南日本が続けて提示した復帰後の“義務”を知った途端、反対派が多数になってしまった。
彼等は南北間の行き来と物資の流通を簡便にすべく、東京が壊滅したことで寸断されていた地下都市間連絡通路の復旧を望んだ。そして、そのための労働力を北からも提供するように強く要望した。
これが北日本の反発を招いた。彼等の多くは東京で起きた“崩界の日”の惨劇を鮮明に覚えている。ましてや東京では都市全体が魔素の雲に覆われるという異常な現象が続いていたのだ。そんな状況で復旧工事などできるはずも無い。仮に危険地帯を避ける形で別のルートに新たな地下道を通すとしても、電力が使えなくなっているのにどうやってそんな大規模な工事を行うというのか。
あるいは初代王・
南日本はそれら諸問題への対策案も提示したが、やはり王国を納得させられる内容ではなかった。かくして交渉は決裂したのである。
直後、戦争が起きた。南北に分かたれた日本人同士のぶつかり合いだ。
とはいえ、期間は三日と短かったらしい。詳細は教科書に書かれていなかったため知らないが、双方共に被害の少ない小競り合いだったとの注釈はあった。
かくして、互いに譲れない一線があることを確認した両国は、無用な犠牲を避けるべく不可侵条約を締結し、相手にそれ以上干渉しないことを誓った。以降は相手の無事を確認するための定期的な文書のやりとり以外、表向きの交流は無い。
(なのに……急に独立の承認? 向こうで何かあったのかな?)
首を傾げ、学んだ知識を掘り返すアサヒの隣では、朱璃も思考を巡らせていた。
(まさか、ここに来て二三〇年も放置されてた問題を掘り返すなんてね)
今回、文書でなく使者が直接やって来たことで、それだけ重要な話があるだろうことは察せられた。しかし、こういう話だとまでは予測できなかった。
彼女の祖母・北日本王国の現女王・
「条件は?」
アサヒ以外誰も、南日本が無条件で独立を認めるはずがないと確信していた。もちろん長年の懸案だった問題が片付くのであれば、それは喜ばしいこと。だが、こういう話には必ず知っておくべき裏がある。まずは相手の伏せているその手札がなんなのか、確認しなければならない。
「もちろん、見返りは必要です」
問いかけられた相手、一〇歳前後にしか見えないのに南日本の術士達の頭領だと名乗る童女は、それまで女王に向けていた視線を左に動かしアサヒを見つめた。
全員が“やはり”と思ったところで予想通りの要求を突き付けてくる。
「伊東 旭の
「なるほど」
焔は肯定も否定もせず、ただ頷く。そして、やはりアサヒを見ながら返答した。
「残念ながら、我が国には彼の行動を制御するだけの武力がございません。貴国の要求に対し回答する権利は、彼自身にあるものと考えます」
「当人に選択を委ねると?」
「彼は我が祖・伊東 旭と同じ力を持つ“記憶災害”ですので、実力行使で止めることは不可能でしょう。となれば我々は、情に訴える以外ありません」
「なるほど」
月華の視線が再び動く。アサヒの顔よりずっと下へ移動したそれは、傍らの少女の手を握り、絶対に離さんとする様子を捉えた。まるで母親にしがみつく子供のよう。
そして、もう一度顔を見る。困ったような表情で、それでも瞳には確固たる決意の光が見て取れた。今度は子供扱いしては失礼だと認識を改める。
「……ふふ、たしかにこれでは、無理に連れ帰っても恨まれることになるでしょう。当方としても“螺旋の人”の後継を怒らせることは避けたい」
つまり強制的に南へ連行されるわけではない。それを聞き、安心して息を吐く彼。その腕を朱璃が叩いた。
「ちょっと、痛いんだけど」
「あ、ごめんっ」
無意識のうちに彼女の手を握っていた。気が付いて慌てて離す。朱璃の手にはクッキリと跡が残ってしまった。
「痛くない?」
「別に」
実際には、けっこう痛い。
(握り潰されなかっただけ、マシかしらね)
無意識下でもなお加減してくれていたのだとしたら、それは自分が大切に想われている証左だろう。彼女の頬にもほんの少しだけ赤みが差す。
月華は、そんな二人に話しかける。
「仲がよろしいようで。そういえば、お二人は新婚だと伺いましたが?」
「あ、はい。三週間前に結婚しました。あれからずっと眠ってたんで、俺にとってはまだ昨日って感じですけど」
「てか、その式はアンタらのせいでメチャクチャにされたのよね」
そう答えた二人の左手薬指には同じデザインの指輪が嵌っている。今や彼と彼女は王国の法の名の下に認められた正式な夫婦なのだ。
「言い忘れていたが、おめでとう」
月華を連れて来るため、結婚式の直後から三週間も留守にしていたカトリーヌが遅まきながら祝福する。
「ありがと」
素っ気なく返す朱璃。ただし口許は小さく笑っていた。
そのやり取りに頷きつつ、話を本題に戻す焔。
「ご覧の通り、アサヒ殿は孫の大切な伴侶。我々に彼の行動を妨げる力はございませんが、朱璃の為にも、きっとこの地に留まってくれる。私はそう信じております」
「然様ですか」
言い回しは迂遠だが、ようはアサヒを繋ぎ止めておくため孫を嫁がせたと、この女王は堂々と公言したわけだ。場の空気を読み、抗議の声こそ上げなかったものの、マーカスはあからさまに眉根を寄せる。
月華は一拍置いて言葉を続けた。こちらは眉尻を下げて謝罪する。
「誤解を招いたようで申し訳ない」