二章・進軍(2)
文字数 2,367文字
驚いたのは風花だけ。皆、薄々そうだろうとは思っていた。両者の接し方を見ていれば、どのような関係かは自然と察しがつく。南日本でも公然の秘密だったのだ。若い世代には、まだ知らない人間も多いが。
──二五〇年前、崩界の日直後。壊滅した皇室と日本政府の代わりに“力ある者達”が実権を握り、民間に嫁いだ元
そんな幾つかの要因が重なり、代々の皇族からは慕われ、頼られるようになった。特に月灯の祖父、先々代の天皇は彼女への依存が強かった。
いつまで経っても後継者を作ろうとしなかった彼は、議員達に詰問され、ついに本音を吐露したのである。
『私は、月華様以外の女性に興味がありません』
当時の彼は二十歳を過ぎたばかりで、月華の肉体も同じくらいの年齢まで若返っていた。そのせいもあったのだろう。いくらなんでも、一〇歳児の外見なら体は求められなかったはずだ。そう思いたい。
もちろん亡夫を愛しているからと返し、断ったのだが、このままでは皇族の血が絶えてしまうと上院議員達にまで頭を下げられ、本人も他の女性はけっして愛せないと度重なる説得に応じず抵抗を続けたため、やむなくこちらから折れた。
『陛下の
赤子の頃から面倒を見て来た相手で、少なからず情もあった。そんな彼に想われて嫌な気分ではなかったのだ。
そうして彼と結ばれ、子を産んだ。息子が一人、娘が二人生まれたのだが、長男と次女は長生きできなかった。この時すでに皇族の血には様々な“異能”が混ざっており、そのどれかと月華の血の相性が悪かったためだ。
悪いことは重なるもので、我が子を二人亡くした直後に流行病が広まり、感染した天皇も心身が弱っていたところへのそれが追い打ちとなり
唯一生き残った長女もまた、子を産んで以来徐々に弱り続け、一度も病床から出ること叶わず二十五の若さで天に召された。月灯がまだ九歳だった時の話である。
幸いにも、新たに加わった血が橋渡しの役目をしてくれたのだろう。月灯は月華譲りの霊力と議員達の祖先から受け継いだ異能を有しつつ、安定していた。ようやく長生きしてくれそうな天皇が生まれたと、議員達が喜んだのを覚えている。
あの時、月華は決めた。
「自由になりなさい。もう、女王陛下とは話をつけてある。この戦いが終わったらお前は好きに生きていいの。文句を言う奴がいたら、私が全部蹴散らしてやるから。おじい様やお母様の分まで、幸せになりなさい」
「嫌です、おばあさまも一緒がいい……! だから、だから絶対帰って来て……!!」
「ええ、もちろんよ。私を誰だと思っているの?」
また、今は被ってない三角帽子の鍔に手を伸ばしかけて、気付いた月華は代わりにその手で最愛の孫の頭を撫でた。
「大丈夫。この婆はちょっとやそっとじゃ殺せない。必ず生きて帰って来るわ。そしたらまた、可愛い笑顔を見せてちょうだい」
福島の前に集結した討伐軍。かつての戦争の規模に比べれば遥かに小さいが、それでも現行の人類が送り出せる最大戦力の先頭に並び立ち、朱璃と月華は声を揃えた。
「「進軍開始!」」
号令を受け、騎乗した兵達は隊列を組んで前進していく。朱璃もいつも通りマーカスが操る馬の背へ飛び乗り、遠ざかる福島へ向かって手を振った。
「じゃ、いってくる」
まるで、ちょっと散歩にでも出かけるような軽い調子。手を振り返す焔、緋意子、開明、月灯。流石に全兵力を東京へ投入するわけにはいかない。何が起こるかもわからないのだ。これから東北の各都市も万一の事態に備え、それぞれ残された者達で防備を固めることとなる。
そこで緋意子が提案した。
「母さん、やはり我々も戦力を集結させるべきだ。南日本の住人も含め全員で秋田に立て籠もろう。秋田からなら、いざという時に青森まで逃れることも容易い」
「……それが良さそうですね」
福島は危険だ。仙台も他の地下都市もどれも危険だ。ならば最も守りやすい場所を砦と定めるべきだろう。南の空を見上げながら頷く焔。
──兵士達の目指す先、関東には、以前よりさらに巨大化した雲の結界が渦巻いていた。この場所から見えるほどの高度にまで達している。台風、否、とてつもなく巨大な竜巻と言っていい。
観測させていた者達からの報告によると、二月頃から急速に成長してああなったそうだ。敵もこちらが決戦準備を整えたと気が付き、計画を早めたのかもしれない。
かつて偽りのシルバーホーンが東京に向けて放った一撃でさえ、三〇〇km近い距離があるこの場所にまで衝撃波を到達させ、森の木々を薙ぎ倒したという。今あの中にいる者が同じように全力で攻撃を放ったなら、その威力は……。
それでもなお兵達は臆さず前へ進んで行く。彼等は勇敢で、そして同時に希望を抱いているから。
天王寺 月華。
星海 朱璃。
そして、アサヒ。
三つの大きな光に導かれ、戦士達は己の死地となるかもしれない戦場を目指す。死中に活を見出し、まだ見ぬ明日へ希望を繋ぐために。
「必ず帰って来てください……」
月灯は祈り、開明は震える肩を抱き寄せ、唇を引き結んだ。
「きっと帰って来る」
「きっとじゃない、絶対だ」
緋意子は自分に言い聞かせるように、そう訂正する。
朱璃は約束した。なら自分は信じるだけ。それが今、あの子の母親としてすべき唯一のことなのだから。