第17話 綱渡リズム

文字数 2,235文字

【届かないものに手を伸ばす】
【突然のスケベ心】
【百葉箱】
【祭囃子】


「陽炎が揺らいでいる。くそ暑い。年々暑くなってないか」
 蝉が鳴いてる。もう夏だ。
 アイスバーを咥えた飯島は地球温暖化に対してなにか一言ありそうだ。
「レイチェル・カーソンの著作をあいにくおれは読んだことないが、温暖化のことはわかるよ。実感してる。でも地球って自浄作用があるらしくて、また氷河期が来るってこともあるんだぜ」
 おれが「アイス、うまいか?」と付け加えると、
「昔の人ってすげぇよなぁ。夏に冷房なかったんだぜ」
 とはぐらかしてアイスバーをひとかじりした。
「すまんな。ここには文明の利器、エアコンがないんだ」
「そういうことをおれは言ってるわけじゃねぇんだよ」
「エアコンの付いてる部屋。手を伸ばそうかなぁ」
「やめとけ、やめとけ。届かないものに手を伸ばすとか、くそダセェ」
 会話はそこで途切れて、おれと飯島は、あー、とか、うー、とか呻きながら畳敷きの四畳半を転げ回った。
「ときに飯島よ」
「んだよ、小林」
「もし飯島が実は女性だったりしたらって想像したんだけど」
「したんだけど?」
「おれの百葉箱に閉ざされた温度計がぐんぐん伸びていくだろうなぁ、と」
「おっと、突然の下ネタ。おれにスケベ心を抱いて悶えてたのか」
「うー」
 おれはなおも転がり続けた。
「転がり続けて歌うよ~、旅路ぃの~うた~を~」
「小林。じゃーすらっくぅを無駄に敵に回すことすんな」
「歌っちゃうほど、暑い」
「なら呻くだけにしとけ」
「喘ぐ」
「お前、さっきから突っかかってくるなぁ。おれに気でもあんのか」
「ないね」
「ないのか……」
「うぉい! ションボリすんなよ、そこで。怖いだろ」
「うっそですー。真夏の恐怖話」
「百物語でもやるか」

 飯島とおれはランニングシャツに短パンというステキルックスで、四畳半にいる。
 永遠に続くようなだるさが、おれたちを襲っていて、おれも飯島も気が触れそうだった。
「小林。脳内ダダ漏れだぞ。呟いちゃってるじゃん、モノローグ。気が触れるって?」
「もうどうでもいい、ブヒー」
「ブヒー?」
「すなわち、部費」
 そうである。おれたちは大学の部室棟を追い出された身だ。
 部費集めに失敗し、全員が滞納を四月から七月までしたため、活動もできず、そんな部は必要ないと大学の運営側に判断され、追い出されるに至った。
 仲間はちりぢりになり、おれと飯島はここ、我が部屋に潜伏中なのである。
「ああ、懐かしきおれらの梁山泊」
「こう言っちゃなんだが小林よ。水滸伝で梁山泊に集まった奴らってその後ろくな人生歩んでないぞ」
「ああ。おれらも道を踏み外し、こうやってボーイズならぶに」
「ならねぇよ」
「ならねぇな。同意」
 扇風機はぐいんぐいん音を立てて左右に首を振り、生ぬるい風を運ぶ。
「夏。祭り囃子って、文字起こししない方がいいシリーズ、結構あるよな」
 おれは上半身を起こし、扇風機にしゃべりかけるように言う。
「ああ、お前の専門分野だったな、そういうの。部は仕方ないとして、学校の授業の方はどうなんだ」
「なに? 心配してくれてんの?」
「全然」
「あ、そう……。ブヒー」
「ブヒー」
「飯島にもブヒーが感染したー。院内感染どころか、四畳半感染だ、こりゃ。さ、聴診器あてるから服脱げ」
「あのさぁ」
「なに」
「今日はこういう趣向なの?」
 おれは首肯した。
 すると飯島は、
「趣向と首肯なんてわかりづらいよ。小説ならともかく」
 と返すので思わず、
「わかってくれたんだ、しゅごぅい……」
 と、幼児語を使ってネタを重ねてみた。
 だが、冷めた目で見られたので、そこで止めておいた。
 話を変えてみる。
「でも、なんでおれの部屋にお前が来ることになったんだっけ。足繁く通ってるじゃん」
「通い妻とか言ったらころす」
「あ、はい」
 おれは即座に萎縮した。話題替え、失敗。
 この手のユーモアがわからない奴は多い。飯島が耐性ありそうだから続けてしまったが、普通だったらこれはそろそろぶち切れてもいいはずだ。
「なんだよ、いきなり萎縮して。熱でもあんのか」
 飯島は起き上がり、おれのそばまで来ると、おれの額に手のひらをあてて、目を瞑る。熱を測るかのようにして……。
「ちょっ、近いよ馬鹿」
「なにが」
 飯島が目を開ける。
「距離が」
 おれと飯島の目が同じ高さで合う。
「心の? 身体の?」
「ど、どっちもだよッ」
 おれは咄嗟に顔を背けた。
「おいおい、顔が真っ赤だぜ。百葉箱にお前をぶち込んだら温度計壊れるんじゃないか、熱で」
「ぶ、ぶち込むとかッ。ないから! ない、ない!」
「どれ、湿度の方もはかってやるよ」
 おれはしどろもどろになって、
「洒落になんねーよ」
 とだけ、どうにか言えた。
 だがその声はのしかかる飯島の腕の中でかき消され。
「蚊の鳴くような声でなに言いたいんだ?」
「上手いこと言いやがる」
 なにかとても悪い予感はしていた。
 言葉は口にすると、それが呪縛となって締め付けることがある、と習ったばかりだったのに。
 境界線上の言葉の綱渡りは、おれがロープから落ちることで、その決着を見る。
 が、この先のことは、オフレコってことにして。
 ひとまず、幕は下がる。


〈了〉

          ……夏コミに、幸あれ。 
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