第2話 アオハルオフライン

文字数 1,997文字

 どっと笑う客席。眩しい照明は汗だくになるほど熱く、佐藤を照らす。
 六十分の勝負。体中に巡る血流は、そらんじた台詞を吐き出すように、口の中から流れていく。
 夏の高校演劇祭。ステージに立ったあの瞬間こそは、永遠という名にふさわしかった。
 演劇祭、最後に審査員の講評と関東演劇祭に進出出来る高校の名前が呼ばれ、自分の高校の名前を頭の中で繰り返し叫んでいた佐藤も、結局呼ばれなかった自分の高校のその名前とともに、夏から消えていくことになった。
 審査員の講評の中で悪口を言われながら、佐藤は自分が三年生で、悪く言われてももうそれを挽回することが叶わないのだとういうことを、憤り、だが、なにもできず、ただじっと席に座って作り笑いをしてやり過ごすことしかできなかったのだ。屈辱。だが、その屈辱はこの永遠の中を流れていく他はないのだ。
 残留思念となって、高校演劇祭、県大会の会場から、佐藤の所属する演劇部のメンバーは、帰っていく。


 受験。就職。それが押しかかってくる高校三年の秋。作文用紙にポエムを書いて、授業をしている教壇の教師を佐藤は無視し続けた。なんだよ、大学受験って。就職って。
 四限目の、数学の授業が終わって、昼休みに入る。スピーカーからは、気楽なJポップが垂れ流されている。
 焼きそばパンを購買で買って、佐藤は放送室のドアの前に立つ。
 佐藤はノックもせずに、放送室の中に入った。
 メガネ面の放送部の部長の女が、オタサーの姫のように、イケメン部員達を従えて喋っていた。その放送部部員たちが、一斉に佐藤を見る。
「なんだ、キミは!」
 胴長短足でありながらイケメン面の男が佐藤に怒鳴って、前に出てくる。
「オタサーの姫との会話の途中、悪いんだけどよ」
 佐藤は胴長短足男をぶん殴る。演劇部の基礎練で身体を鍛え上げている。三年間、鍛え上げたのだ。ひょろい放送部員であるイケメンはひとたまりもない。胴長は吹き飛んで、ゴミ箱の上に倒れた。プラスティックのゴミ箱は壊れ、中の紙くずが周囲に散らばった。
「な、なによあんた」
 オタサーの姫が叫ぶ。他の放送部員が、胴長のところに詰め寄って、胴長の身体を起こしながら佐藤を睨んでいる。
 オタサーの姫の言葉には応えず、つかつかと佐藤はミキサーのコンソールの前まで一直線に歩いて行く。それからカフを上げ、マイクに向かって『ういろう売り』の口上を喋り始める。
 Jポップは流れたまま、そこに佐藤のういろう売りの口上が重なる。
 ういろう売りは、佐藤が演劇部に入って、一番始めに覚えた『台詞』である。
 長かった。部活は永遠の中を泳いでいたようで、その続くはずの永遠が終わった後は、残されたものといえばういろう売りや寿限無の文句だけだった。
 大学? 確かに、大学に行けば演劇サークルはあるだろう。
 就職? 確かに、就職すれば社会人の演劇サークルもあるだろう。
 でも、それは佐藤が今まで感じてきた『永遠』ではない。三年間の、でも、永遠のそれとは違うのだ。
「先生! 先生を呼んでくるのよ!」
 オタサーの姫が教師を呼んでくるように部員に指示を出す。
 佐藤はういろう売りを語り終え、それからカフを下げて、無言で放送室を出た。
 周りの廊下を見ても、突然のういろう売りに誰も騒いでいないし、佐藤の姿を見ても、存在にすら気づいていないようだ。

 これからどうする。
 これからの人生を。

「誰も聴いちゃいねぇ。誰もおれを見ちゃいねぇ。今までずっとそうだったし、これからもそうだろう。おれのスタートはそこからだった。ステージを降りて、またこの存在感のない存在になる場所へ、自分は舞い戻ってきたってこった。ステージを降りるってのは、そういうことだ。だったらおれは……」
 佐藤が立ち止まると、さっき殴った胴長短足が走ってきて、佐藤を殴りかかろうと突進してきた。
 佐藤はそこにカウンターの要領でぶん殴る。顔面を殴られた胴長は鼻血を出しながら倒れた。気絶してしまっている。
「レジスタンスを生きるしかねぇな」
 創作に携わる者は皆、レジスタンスだ。抵抗の中を生きていく。
 そしてそれは、舞台の中にいながら照明の明々とした舞台の上にいないも同然なのだ。
 それが、クリエイトの本質だ。総合芸術・演劇の本質だ。
 舞台の中が演劇なんじゃない。
 演劇とは、人生のロールプレイングで、だったらそれは人生という概念に対する抵抗、レジスタンスなのだ。

 倒れて鼻血を周囲にまき散らし、気絶している胴長短足の鳩尾に蹴りを入れながら、佐藤は生きる意味を知った。
 こいつは、おれ自身なんだ。殴られるだけのモブ……。
 永遠の三年間が、有限で死ぬまで続く人生に、意味を教えてくれたのだ。
 演劇に費やした高校生活は、無駄じゃなかった。
 畜生!


〈了〉
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