第18話 青春
文字数 3,247文字
【ユースティティア】
【どちらかというと裸エプロン派】
【時よ止まれ、汝はいかにも美しい】
【幼い日の約束】
中学校の第二体育館。真夏の炎天下の中、バスケットシューズのキュッキュッという音が響いてくる。
おれはその体育館の外にいて。
裏口のある場所。草が伸び放題の。
おれは体育館の壁を背にして、そのま建物にもたれかかる。
唇が切れて流れた血を、おれは拭いた。
その場にしゃがみ込むと、殴られたいろんな身体の部位が今更ながらのように痛み出す。
蝉が鳴いている。
八月も最終日だった。
おれは夏休みの宿題に手を付けてさえいないのに、女子バスケ部は今日も部活動の真っ最中だ。
草むらの匂いと、体育館からの熱気が、おれを酩酊させる。
女子バスケ部のるる子は、今もおれと交わした幼い日の約束を覚えていて、それで今もこうして練習してるんだろうか。
幼稚園生の頃、おままごとをるる子とおれの二人でしていた時に、交わした約束。
「あたし、スポーツで世界一になる! だからグラくんもなにかスポーツで世界一になりなよ! 約束だからね!」
「スポーツ? るるちゃんはオリンピック好きだもんね。僕は嫌いだな、スポーツ」
「でも、好きなのくらいあるでしょ」
「え? ねーよ。球技とか、みんなでやるの、苦手だもん」
「じゃあ、あたしは球技やるから、グラくんは個人種目やりなよ」
「えー。だってぇ。今だってままごとなのに裸エプロンしてくれないじゃんか」
「きゃっ。あたしの裸をみたいのね」
「違う! 僕はどちらかというと裸エプロン派だい!」
回想終了。阿呆だったな、おれ。あの頃のるる子は、乙女座の女神のようだった。
……乙女座の女神、ユースティティア、か。または、『正義』。
ああ、今は八月の終わりだから乙女座だな、星占い的に。
ん。すると、乙女座の女神だったるる子は乙女座だから、最近、誕生日があった、ということか。
忘れてたよ。あいつ、八月の終わりに誕生日があったんだ。何日かは忘れたけど。
小学生の時、
「誕生日でも、夏休みの終わりにだから、嬉しい気持ちになんかなれないよー。夏休み終わるの寂しー」
って、ぼやいてたっけ。
それはともかく。スポーツ好きのるる子は、中学の部活にバスケを選んだ。世界一はちょっと無理だろうけど、去年、おれとるる子が二年生の時には、女子バスケ部は全国大会に出場をした。あいつは二年生で補欠だったけど、ベンチには座っていたらしい。
おいおい。
おれはるる子のストーカーかよ。
るる子事情、詳しいな。
「……噂にのぼるような奴だから知ってるだけで、実際は小学生の高学年になった頃には、会話をすることもなくなったんだけどなぁ」
おれは体育館を背にしゃがみ込んで、そのまま大空を見上げた。
快晴。雲一つなく、太陽が照ってる。
皮肉な太陽だぜ。ギラギラ輝いていて、日陰者のおれさえ照らして、紫外線でおれの身体の表面だけを健康そうにさせやがる。日に焼けてたって、根暗な忌み者は忌み者なのにな。くっそ、皮肉がキツいぜ、太陽。
「と。それよりも」
今、喧嘩から逃走して第二体育館の裏まで来たおれは、荒げた呼吸を整えようと、深呼吸をした。
「あー、くそ。血が止まんねぇ」
頭をかきむしる。唇からの血は収まったのだが、膝をすりむいたところがズボンまで血が染みてきていて、止まりそうもない。
おれは制服のズボンを捲り上げて、ハンカチをあてがう。痛てぇ。青あざも出来てるっぽいな。
はぁ。
ため息。
他校の生徒にならわかるけど、この学校にも敵が多すぎる。敵しかいない。
それがわかった。六対一じゃボコボコになるよ、そりゃ。
喧嘩なんてするもんじゃない。今日はいきなり襲われたんだけどね。
しばらくぼーっとしていたら、眠くなってきた。
眠気覚ましに窓からバスケ部を覗く。のぞき魔である。だっておれは男で、今、体育館で部活をしてるのは女子バスケ部だけだからだ。
「あ、るる子がリバウンドを決めた……。あいつ、スタメンだったっけ? ……ん? 今はもう八月の終わり」
夏の大会の結果。おれは知らない。どちらにしろもうるる子は引退なんじゃないか?
なんであいつは頑張ってたんだろう。本当におれとのおままごとの時の約束を守ってるとも思えないし。
それに今はもう、おそらくは中学生としては部活引退してるし、コートの中でなーに未だにはしゃいでるんだ。
「ったく、あいつは。本当に、もう本当に、時が止まればいいのにな。あいつがコート内を駆けてる姿は、本当に美しい」
……おれまで、なにを言ってんだ? 炎天下のせいか?
本来だったらここでるる子たちが気づいてこっちに来てライトノベルな展開でもするんだろうけど、まあ、んなこたしてる暇はねーよな、互いに。
制服着て学校に夏休みの補習を受けに来てるおれ。そしてその機会を狙って襲撃を受けて殴る蹴るの暴行を受け、逃走してここに来たおれだぜ。
おれはスポーツをしない。スポーツマンシップなんてないからだ。
おれだって卑怯な手を使う。今日は相手に使われただけだ。多人数奇襲プレイという名の。卑怯なおれやおれを襲ってきた連中は、同じ穴の狢だ。スポーツマンシップの欠如。
なんて繰り言はやめて、と。
重い腰を上げる。
膝の血も止まったみたいだ。蚊には刺されまくってる。
体育館の中からは絶えずバスケ部の声が聞こえる。
でも、窓から顔を背けたら、振り向かない。
おれは体育館から離れ、歩き出す。
すると、体育館の中から大きな声で、
「バッカみたいッッ!!」
と誰かが叫んだ。
つんざく声で、一瞬他の音がかき消える。
それはるる子の声かもしれないし、違うかもしれない。
おれに向けてかもしれないし、違うかもしれない。
だが、おれがバカなのは真実だ。
おれはゲラゲラと腹を抱えて笑う。
「ほんと、バカみてーだ」
ゲラゲラ。
なんだかおれの夏の終わりにピッタリだ。中学生最後の夏の。
小学生、中学生と地元の学校にみんな通ってたけど、あと半年もすれば、みんなバラバラに別れるから。るる子とも。おれを襲撃した愛すべき喧嘩相手たちも。
「なーんつって。マイルドヤンキーとかいう奴にでもなって、地元志向な高校生になりそーだよなー。この学校の連中は」
ゲラゲラ。
「良い思い出になったよ」
本当か?
その言葉は本当か?
ちょっと考えていると、
「いたぞ! こんなところにいやがった! おーい、グラの野郎がここにいるぞー!」
六人組の襲撃者の一人がおれを見つけて叫ぶ。
「やっべ。猛ダッシュでここから離れるぞ!」
おれは走る。
案外、走れた。
行き止まりを避けて通る。
おれは、そのまま学校の敷地内から去ろうとして、ダッシュした。
そして、膝の痛みからか、転んだ。
校庭の隅。
転んでタイムロスしていると。
「うわー。なんかぞろぞろ集まってきたよ」
逃げるのやめよう。
作戦変更。
よっしゃ、行くぜ。
「かかってこいよ」
キメ顔でおれは言う。
「言われなくてもぶっ殺す」
相手の一人もキメ顔でそう言った。
語彙力のない会話。
これでこそ、おれ。
ところでおれ、なんで「ぶっ殺す」って言われてんの?
わかんねーぜ。ともかく、ここに正義(ユースティティア)なんてねーな。
これからも、たぶんずっと。
だって、乙女座の女神とは離ればなれになってしまったんだから。
時よ止まれ。
おれもお前らもみんな、美しいから。
この中学生三度目の八月三十一日に。
汗だくで炎天下になってるその中で。
最高に、美しいから。
……なんつーか。我ながら。
……安い台詞だぜ。
〈了〉
【どちらかというと裸エプロン派】
【時よ止まれ、汝はいかにも美しい】
【幼い日の約束】
中学校の第二体育館。真夏の炎天下の中、バスケットシューズのキュッキュッという音が響いてくる。
おれはその体育館の外にいて。
裏口のある場所。草が伸び放題の。
おれは体育館の壁を背にして、そのま建物にもたれかかる。
唇が切れて流れた血を、おれは拭いた。
その場にしゃがみ込むと、殴られたいろんな身体の部位が今更ながらのように痛み出す。
蝉が鳴いている。
八月も最終日だった。
おれは夏休みの宿題に手を付けてさえいないのに、女子バスケ部は今日も部活動の真っ最中だ。
草むらの匂いと、体育館からの熱気が、おれを酩酊させる。
女子バスケ部のるる子は、今もおれと交わした幼い日の約束を覚えていて、それで今もこうして練習してるんだろうか。
幼稚園生の頃、おままごとをるる子とおれの二人でしていた時に、交わした約束。
「あたし、スポーツで世界一になる! だからグラくんもなにかスポーツで世界一になりなよ! 約束だからね!」
「スポーツ? るるちゃんはオリンピック好きだもんね。僕は嫌いだな、スポーツ」
「でも、好きなのくらいあるでしょ」
「え? ねーよ。球技とか、みんなでやるの、苦手だもん」
「じゃあ、あたしは球技やるから、グラくんは個人種目やりなよ」
「えー。だってぇ。今だってままごとなのに裸エプロンしてくれないじゃんか」
「きゃっ。あたしの裸をみたいのね」
「違う! 僕はどちらかというと裸エプロン派だい!」
回想終了。阿呆だったな、おれ。あの頃のるる子は、乙女座の女神のようだった。
……乙女座の女神、ユースティティア、か。または、『正義』。
ああ、今は八月の終わりだから乙女座だな、星占い的に。
ん。すると、乙女座の女神だったるる子は乙女座だから、最近、誕生日があった、ということか。
忘れてたよ。あいつ、八月の終わりに誕生日があったんだ。何日かは忘れたけど。
小学生の時、
「誕生日でも、夏休みの終わりにだから、嬉しい気持ちになんかなれないよー。夏休み終わるの寂しー」
って、ぼやいてたっけ。
それはともかく。スポーツ好きのるる子は、中学の部活にバスケを選んだ。世界一はちょっと無理だろうけど、去年、おれとるる子が二年生の時には、女子バスケ部は全国大会に出場をした。あいつは二年生で補欠だったけど、ベンチには座っていたらしい。
おいおい。
おれはるる子のストーカーかよ。
るる子事情、詳しいな。
「……噂にのぼるような奴だから知ってるだけで、実際は小学生の高学年になった頃には、会話をすることもなくなったんだけどなぁ」
おれは体育館を背にしゃがみ込んで、そのまま大空を見上げた。
快晴。雲一つなく、太陽が照ってる。
皮肉な太陽だぜ。ギラギラ輝いていて、日陰者のおれさえ照らして、紫外線でおれの身体の表面だけを健康そうにさせやがる。日に焼けてたって、根暗な忌み者は忌み者なのにな。くっそ、皮肉がキツいぜ、太陽。
「と。それよりも」
今、喧嘩から逃走して第二体育館の裏まで来たおれは、荒げた呼吸を整えようと、深呼吸をした。
「あー、くそ。血が止まんねぇ」
頭をかきむしる。唇からの血は収まったのだが、膝をすりむいたところがズボンまで血が染みてきていて、止まりそうもない。
おれは制服のズボンを捲り上げて、ハンカチをあてがう。痛てぇ。青あざも出来てるっぽいな。
はぁ。
ため息。
他校の生徒にならわかるけど、この学校にも敵が多すぎる。敵しかいない。
それがわかった。六対一じゃボコボコになるよ、そりゃ。
喧嘩なんてするもんじゃない。今日はいきなり襲われたんだけどね。
しばらくぼーっとしていたら、眠くなってきた。
眠気覚ましに窓からバスケ部を覗く。のぞき魔である。だっておれは男で、今、体育館で部活をしてるのは女子バスケ部だけだからだ。
「あ、るる子がリバウンドを決めた……。あいつ、スタメンだったっけ? ……ん? 今はもう八月の終わり」
夏の大会の結果。おれは知らない。どちらにしろもうるる子は引退なんじゃないか?
なんであいつは頑張ってたんだろう。本当におれとのおままごとの時の約束を守ってるとも思えないし。
それに今はもう、おそらくは中学生としては部活引退してるし、コートの中でなーに未だにはしゃいでるんだ。
「ったく、あいつは。本当に、もう本当に、時が止まればいいのにな。あいつがコート内を駆けてる姿は、本当に美しい」
……おれまで、なにを言ってんだ? 炎天下のせいか?
本来だったらここでるる子たちが気づいてこっちに来てライトノベルな展開でもするんだろうけど、まあ、んなこたしてる暇はねーよな、互いに。
制服着て学校に夏休みの補習を受けに来てるおれ。そしてその機会を狙って襲撃を受けて殴る蹴るの暴行を受け、逃走してここに来たおれだぜ。
おれはスポーツをしない。スポーツマンシップなんてないからだ。
おれだって卑怯な手を使う。今日は相手に使われただけだ。多人数奇襲プレイという名の。卑怯なおれやおれを襲ってきた連中は、同じ穴の狢だ。スポーツマンシップの欠如。
なんて繰り言はやめて、と。
重い腰を上げる。
膝の血も止まったみたいだ。蚊には刺されまくってる。
体育館の中からは絶えずバスケ部の声が聞こえる。
でも、窓から顔を背けたら、振り向かない。
おれは体育館から離れ、歩き出す。
すると、体育館の中から大きな声で、
「バッカみたいッッ!!」
と誰かが叫んだ。
つんざく声で、一瞬他の音がかき消える。
それはるる子の声かもしれないし、違うかもしれない。
おれに向けてかもしれないし、違うかもしれない。
だが、おれがバカなのは真実だ。
おれはゲラゲラと腹を抱えて笑う。
「ほんと、バカみてーだ」
ゲラゲラ。
なんだかおれの夏の終わりにピッタリだ。中学生最後の夏の。
小学生、中学生と地元の学校にみんな通ってたけど、あと半年もすれば、みんなバラバラに別れるから。るる子とも。おれを襲撃した愛すべき喧嘩相手たちも。
「なーんつって。マイルドヤンキーとかいう奴にでもなって、地元志向な高校生になりそーだよなー。この学校の連中は」
ゲラゲラ。
「良い思い出になったよ」
本当か?
その言葉は本当か?
ちょっと考えていると、
「いたぞ! こんなところにいやがった! おーい、グラの野郎がここにいるぞー!」
六人組の襲撃者の一人がおれを見つけて叫ぶ。
「やっべ。猛ダッシュでここから離れるぞ!」
おれは走る。
案外、走れた。
行き止まりを避けて通る。
おれは、そのまま学校の敷地内から去ろうとして、ダッシュした。
そして、膝の痛みからか、転んだ。
校庭の隅。
転んでタイムロスしていると。
「うわー。なんかぞろぞろ集まってきたよ」
逃げるのやめよう。
作戦変更。
よっしゃ、行くぜ。
「かかってこいよ」
キメ顔でおれは言う。
「言われなくてもぶっ殺す」
相手の一人もキメ顔でそう言った。
語彙力のない会話。
これでこそ、おれ。
ところでおれ、なんで「ぶっ殺す」って言われてんの?
わかんねーぜ。ともかく、ここに正義(ユースティティア)なんてねーな。
これからも、たぶんずっと。
だって、乙女座の女神とは離ればなれになってしまったんだから。
時よ止まれ。
おれもお前らもみんな、美しいから。
この中学生三度目の八月三十一日に。
汗だくで炎天下になってるその中で。
最高に、美しいから。
……なんつーか。我ながら。
……安い台詞だぜ。
〈了〉