第67話 レトロ・シンドローム

文字数 3,042文字

 砂漠のオアシスには、様々な人間が集まってくる。おれはそんな砂漠のど真ん中のオアシスにある居酒屋で、七歳の時から働いている。だが、一緒に働いていた奴らはバンバン死んでいく。人間観察する暇もない。軽い病気や怪我でさえ、人はすぐに死ぬ。いざこざにもすぐ巻き込まれるのだから、更に始末が悪い。
 おれが働いている店『オッサン酒場』では、おれが七歳から十五歳の現在になるまで生き残っているのは、おれとマスターだけである。生存率が低すぎる!
「おう、デクノボウ」
「なんスか、マスター」
 デクノボウとはおれのことだ。おれには本名がない。出生時データは末梢済みだ。
「おめぇよ、最近、噂になってんぞ」
「噂ってなんです?」
 マスターがおれの背中を叩く。
「『歌い手』ってのになったそうじゃねぇか」
 なにを言うかと思えば。
「詳しいスね」
「なにが?」
「歌手、じゃなくて歌い手って呼び方」
「それな。おれのじいさんの時代、レトロネットではそういう呼び方をしたそうだ。うちのじいさんも歌い手だったからな」
「そのアーカイヴは?」
「残ってねぇ。知ってんだろ。レトロネットは『地下鉄戦争』の際にデータの大半が失われた。今じゃ蜘蛛の巣張ってるよ。ウェブだけに、な」
「じゃあ、探しても」
「うちの倉庫にゃホログラフィでじいさんの歌ってる姿が再生できる環境はある」
「今まで見せてくれなかったじゃないスか」
「おめぇがそんなもんに興味示すとは思わねぇからよ」
 納得した。そりゃそうだ。
「デクノボウ。病原体だらけのレトロネットにゃ手を出すな。歌い手ってのはどうしてもレトロネットに手を出す。そして、帰ってこなくなる」
「大丈夫ですよ、マスター。レトロネットは地球でも違法で、一部のレトロシンドロームの連中しか観ないっていうじゃないですか」
「おう。わかってるならば、いい。じゃ、今日は上がっていいぞ」
「はい」
 おれは居酒屋のクローズ作業をマスターに任せて、帰り支度をした。そして砂漠の街を歩く。月は今日も青かった。ここでいう月ってのは地球のそれとは違う衛星だが。

 おれは最近、歌い手と呼ばれる奴らの仲間入りをした。七歳の頃から今まで、さしてやりたいこともなく、労働時間外にやるべきこともなかった。砂漠の街は、外の世界には開かれておらず、遠くへ行くこともなかった。

 この星は地球の植民地。
 街と街とのやりとりはデータで済ませる。商人以外の街から街への移動はない。
 その商人たちや、惑星間の旅人への一番人気が、この街ではおれが働いている『オッサン酒場』だ。
 名前の通り、女っ気がないここで、その抑圧からか、思春期になったおれは弦楽器のシタールを弾き始めた。その音に合わせ、もごもご歌い始めた。……歌い手の誕生である。
 ホログラフィ動画で、でたらめな歌を投稿したら、でたらめっぷりが評価された。それが噂となり、マスターの耳に入ったというわけだ。
 ホログラフィ動画とは、この街のローカルネット動画サイトである。無断で他の街のネットには転載出来ないが、この街では評価された、ということである。

 仕事を終えたおれは弁当屋でおにぎりを買い、アパートの自分の部屋へ歩く。
 おにぎりを食べながらホログラフィ動画で、歌い手の歌を鑑賞する。自分もこれくらい上手く歌えたらな、と思いながら、観る。暫くの後、端末を仕舞い、シタールをピックで弾き出す。歌うと、うっすらとなにかを思い出し、次の瞬間、それは泡のように消えていく。

 朝起きると、シタールを抱きかかえ眠っていた。急いで起きると、今日の予定は特になにもなかったことに気づく。寝て過ごそうとしていると電話が鳴った。マスターからだった。
「デクノボウ。今日から街に『レトロシンドローム』の連中が来る。店には来なくていいから、絶対外には出るなよ!」
 言いたいことだけ言って、電話は切れた。

 おれは人垣を掻き分けるように、砂漠のナイトバザーの雑踏を歩く。
「今日の仕事には来なくていいだと! その理由がレトロシンドロームの連中が来るからだと!」
 気にくわない。レトロネットとおれは関係がない! それなのにおれを避けるような態度が気にくわない!

 おれはオッサン酒場の前に、いつの間にか立っていた。
 自動扉が開く。入るとそこには『地球人』がいた。地球人、それもアジアンの。鴉のような髪の毛と瞳をしたアジアンが。
 こいつらがレトロシンドローム。男二人と女二人の、計四人。店内は貸し切りで、客はその四人の『地球人様』だけだ。
 その地球人レトロシンドロームの一人が、
「おい、マスター。こいつ誰だ」
 と言う。
「来るなっつっただろ!」
 マスターが怒鳴る。
 連中の一人が親しげに話しかけてくる。
「おれたちゃレトロシンドローム。レトロネットの愛好家だ。マスターが慌ててるってこたぁ、……お前が歌い手の坊やか」
 連中に笑いが起きる。
「地球じゃな。もう誰も歌い手なんて必要としないし、本も映画もなくなった。文字さえ消えた。全ては体感出来るし、勉強もオートで学習できるし、脳内報酬系は自在にコントロール可能だからだ。この星にはそんなテクノロジーは持ち運べない規則だがな。……おい、坊や、ここで歌ってみろ」
 言われると思った。おれはシタールを持ってきていた。
 なにもかも気にくわなかったからだ。
 レトロシンドロームはおれと関係ない。だが、歌えと言われるなら、おれは歌う。そのためのシタールだ。
 おれはソフトケースからシタールを取り出すと、ポケットからピックを取り、ストラップを肩に掛けた。
 それから、でたらめな歌を、シタールに乗せて歌った。
 人生のキツさを、死んでいった奴らを思って、おれは歌った。
 おれが一曲歌い終えると、四人のレトロシンドロームは口をぽかんと開けていた。四人とも、涙を流している。
 マスターがため息を吐いて、それからおれにこう言った。
「あのなぁ、デクノボウ。地球はオーバーテクノロジーで、自ら作り出した『完璧な世界』に押しつぶされ、他の惑星に人類を送り込んだんだ。良い具合のテクノロジー環境下にして植民地化させて、な。……つまり、だ。地球には『完璧な音楽』しか存在しないし、昔のアーカイヴももう残っちゃいない。人間自体もチューニングされて、完璧な演奏しか出来なくなった。そこにきて、てめぇときちゃ不完全な、歌にもならねぇでたらめオリジナルを生演奏しやがる。そりゃ、泣きもするぜ」
「……おれ、そんなに下手くそだったのか」
「ああ。デクノボウ。おめぇは下手くそだ」
 そこに、レトロシンドロームの一人が声を震わせ、言った。
「感動と完璧さは違う概念だったのね! レトロネットで知ってはいたけど……こんなのナマで聴いちゃったら…………とろけちゃうッッッ!」
 連中はおれに拍手する。
「ブラボー! アルカイック! 下手くそに祝福を! 不完全なものにこそ祝福をッ」
 どういう喜ばれ方してんだ、とおれはあきれてしまった。
「こうなるだろうとは思っていたんだ」
 マスターが頭を抱える。
「地下鉄戦争は不完全を排除するための戦争だった。だが、そこで生まれた完璧な世界では、お前みたいな魂の叫びを歌う奴は消えたのさ。魂が軋むこともなくなったからな。おれのじいさんも、下手くそな歌い手だったよ……」

〈了〉
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