第20話 虫杭

文字数 11,744文字

  抹茶アイスクリームを食べてるわたしはその時だけ機嫌が良い。
  隣を歩いているダックちゃんは
「今日は晴天なりー」
 とか言って空に顔を向けてから「ぐえっ、ぐえっ」と歯を剥き出し笑った。
「んでさー、ラクダシュミちゃん、アイスそんなに美味いの?」
「美味いっていうより、もうすでに日課なの。わたしの日課」
「今はもう年の暮れじゃん。冷たくないの?」
「ぐえっ、ぐえって笑う奴が『暮れ』ってしゃべると『ぐれっ』って聞こえて笑える」
「ひとの口癖で言葉遊びしないようにな、ぐえっ」
「はいよ」
「はい、に『よ』はいらないなりー」
「あぁ、はいはいなりー」
 今日もこんないい加減な会話を交わしながらわたしとダックちゃんは下校する。

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「きょうび博物館に赴くわたしのセンス、すばらしい」
「ふーん、ふむー」
 日曜日。今日もくっそ暑く感じるのはわたしだけで、くっそ寒くなった冬も濃厚アイスクリームみたくなった今日、遊ぶ約束をして郷土博物館に来てくれたのは、ネコミちゃんで。
 私のわがままなんてきいてくれなくてもいいのにね。
 ネコミちゃんは猫耳みたいなのが付いてる帽子をかぶっている。猫耳タイプの、なんか髪の毛をとめる奴だけど、わたしはその名前を知らない。
 わたしたちはまだ小学生で、小学生だってふつーはお洒落に気を遣うし情報だって飛び交う。調べたり教えあったりするものだけど、わたしはいえのじじょうでそれが少し困難な立場にいる。だからわたしはこの猫耳の名前を知らない。
「ラクダちゃん、あんたさー、なんでいつもあのぐえぐえ言ってるダックとかいう奴と下校してんの?  好きなの、ぐえぐえが?」
「ううん、違う違う。わたしはノーマルなのだ」
  首を振り振り、横に振る。
「その前にネコミちゃん。ダックちゃんもそうなんだけど、みんなわたしのことラクダとかラクダシュミとか呼んでるけど、わたしの名前、違うから。わたしの名前はラッシーよ」
「え?  そうなん?  そこはラクシュミという訂正が入りそうだから主規制してたんだけど。扱いづらいワードっぽいーって。ふむー、不覚」
「ネコミちゃんだって名前に猫がつくからキャラ付けのために……」
 わたしは髪の毛についてる猫耳を指さした。
「キャラ……とは!? ふむー」
  咳払いを一つするネコミちゃん。
「さ、郷土博物館の中へ入ろ、ネコミちゃん。寒いし」
「うっそ! さっき地の文でくっそ暑いって……」
「さっ、中へ!」
 ネコミちゃんはがくっと肩を落とし、大げさなモーションでため息を長くついた。それから、
「中へっていうけど、ここはあんたの家じゃないでしょ。なんで自分の家に入るが如くの気軽さなのよ。こんなとこ、普通は寄りつかないわよ」
「なんですとっ? これもキャラ付けとしてツンツンした態度へ……」
「ふむー。平行線上をたどるわね。ふーむ、この辺でやめときましょ」
 私の目をじっと見るネコミちゃん。
「大体なんで冬なのに抹茶アイスを?」
「ふふ……抹茶アイスは夏まで待っちゃくれないのよ」
「なるほど。決まっちゃ(抹茶)ってるわね、そのダジャレ」
「なんの話?」
  水平に繰り出されたわたしの手刀がネコミちゃんの鳩尾に決まる。
「言ってみたかっただ……け、ぐはぅあっ!」
ネコミちゃんはその場でしばしうずくまった。
そういう不毛なやりとりをわたしたちはする。わたしは友達全員と不毛なやりとりはするしどうでもいいことなのでここらへんで会話を切り上げ、中に入ることになったのだった。
わたしたちはそそくさと町の郷土博物館へ。



こうして入り口の手動式硝子ドアを開けたわたしたちだったのだが……。
 ……まさかいつもと同じような休日だったはずがあんなことになるんてッ……! このときは予測なんて出来なかったッ! わたしたちの運命は如何に?



 …………と、いうナレーションを入れつつ、わたしはネコミちゃんと一緒に建物の中へと歩みを進めた。
 ネコミちゃんはずっと「わたしの妹のイヌルが」と、やたら大きな声量で姉妹らぶな話題をふってくるのだけれど、わたしは今日もカレーにすルーするのだった。
 ネコミちゃんは入り口に先に入り、こちらを振り返ってこう言う。
「ネコミはー、あのぐえぐえがぁ、嫌いなわけ。でもさー、あのぐえぐえって自分を『僕』とか呼んで名指してるだけで女の子じゃん。あいつこそキャラ付けしてる」
「それは言っちゃダメなのだよ、ネコミくん」
「ははーん。また新しい『ごっこ遊び』でも考案した顔ね、ラッシーちゃん。ネコミにはわかる。そのちゃらい顔」
「ち、が、い、ま、す」
「ふむー。ばか言ってないでエアコン暖房の効いてる所へ避難するのが先だと思ふー」
「思、ふー」
「思、ふー」
声を重ねて、後から入ったわたしは入り口のドアを閉める。
 この重ねた声に反応して受付のお姉さんが口に手を当ててクスクスと肩を上下させて笑いを噛み殺している。
 こんなのでも面白く思ってくれたならなによりだわ、とわたしは思ったので、お辞儀をして挨拶する。

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 郷土博物館の受付を抜けて、わたしはロビーにネコミちゃんを待たせてお手洗いに行く。
 ロビーに戻る時に気づいたんだけど、これみよがしに自動販売機、しかもマイナーであるはずのアイスクリームの自販機が設置してあったのだった。
 わたしは財布から百円玉一枚と五十円玉一枚を取り出し、財布をポーチに戻してからアイスの自動販売機の硬貨投入口へ硬貨を入れた。
 ぴろーん、と音がして、でも押すボタンで点灯したのはバニラアイスだけだった。他のアイスはもっと高いのだった!
「ショック!」
「なに頭抱えて唸ってんの?」
 ロビーのソファで足をぶらぶらさせながら座っていたネコミちゃんが心配してくれたのか、悩めるわたしに近寄ってきた。
悩める子羊なんです、わたし。うふふ、ふ。
「唸ってると野獣みたいだよ、ラッシーちゃん。ついでに『美女と野獣』で言えば私の方が美女ね。あんたは野獣だから」
「うっへぇ……」
「口をへの字に曲げないで。むしろネコミはー、今の発言のアンサーを欲してるんだけど。
ふーむ」
「へぇ……」
「へぇ、じゃわからないって」
「へ-」
「言い方を変えて同じ言葉をしゃべってもダメ。そういう意味じゃなくて……って、ああああああああぁぁぁ」
「あのねぇ」
「……だよねぇ」
言いかけた言葉を飲み込むネコミちゃん。美女だと豪語するネコミちゃんは顔を赤らめてうつむいた。
わたしはひとが恥ずかしがって赤面するのが好きなので上機嫌にモードチェンジ。
自分で自分のことを美女だなんて言っちゃってぇ。ぐへへ。

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「昭和だねー」
「だねー」
 郷土博物館だもん、そりゃそうだ。地元の歴史が延々と連なっているのがわかる展示がざざーっと並ぶ。
 バニラアイス、それもバーじゃなくてカップアイスの奴をわたしは口に入れながら、ネコミちゃんと二人でため息をついた。
 厄介払い上等の親の元に育った、と時折わたしに愚痴を漏らすネコミちゃんは、哀しみとかなんとか、そういう類いの波長が合うのか、わたしとは名コンビなのだ。
 で、わたしといつも一緒に下校しているダックちゃんはぐえぐえで、やはりわたしと名コンビ。
 なのでなんでも名コンビにしてしまうわたしは現実をまんがのキャラクターみたくして彩りを添えているのだ。
 でもそのまんがの登場人物紹介ってなったら、極限までに少なくなったわたしを取り巻く人間模様。
それでも名コンビだらけなのでわたしは大満足まっしぐらなのです!
 さっき赤面してたネコミちゃんも、次いで興奮しちゃってやっぱり赤くなったわたしも、だんだん平常通りの運行を開始しましたー、なのでした。
 ロビーのソファにぼふっと音を立ててわたしも座る。ネコミちゃんとテーブルを隔てて向かい合うかたちでだ。
 ネコミちゃんはわたしが座ってカップアイスの木製スプーンを口にくわえてそのまま遊び出す。と、それに波長が合って気分が乗ったようにソファから床につかない足をまたプラプラさせながら、自分の妹であるイヌルちゃんの話をしだす。
厄介払い上等の親元に育った姉妹、絆は深い。
絆が深いから今日もいつものようにまた姉妹らぶエピソードを聞かされるのかと思っていたら、話は不思議な方向へと流れ出していったのでした。
「私たち姉妹は傷つけ合ってばかりだったのよ、うまく言えないけれど」
またネコミちゃんのいつものが始まった-、とこのときは思ったのです。
「ネコミはお姉ちゃんだから、お姉ちゃんらしくしないといけないと思ってた、イヌルが生まれてからずっとね」
「ちょっと待ってネコミちゃん!  重い!  重いよきっとその話っ!」
「そうなの。それで『ソース顔』vs『醤油顔』の話をしなきゃならない。ソース醤油戦争の話へと流れていくの……」
 ネコミちゃんはどこを見ているのか、遠い目をしている。
わたしたちは小学生だ。高学年、六年生だとしても、ぎりぎり小学生なのである。小学生が遠い目をして姉妹の話を遠大なるソース醤油戦争に持って行くのは気持ち悪い部類に入る。
 と、わたしが今決めた。ソース顔と醤油顔ってなんだろ? 知らないけど気持ち悪いのに変わりはない。どーでもいいんだけど。
 ひとの意見は様々で、逆方向どころか、東西南北全方位から全く違った意見が日夜、自分のところに届いてくるものだ。それを上手く捌けるのが『大人』なんだろうけど、残念ながらわたしはそんな大人になんてなれないし、ならなくていいと思っている。
 わたしも逆方向を指す物事を同時に取り混ぜてみたら「まぜるな危険」だったり、折衷案を考えたところで相容れないもの同士はだいたいどうやっても相容れない。
 そういうのは、いろんなことをたくさん知ったり経験したりするってのを、互いが別々にでもいいから、する必要があって、それではじめて相手の、相手に対しての敬意を払える心になれて、相手に心が近づくことができるようになる、とは思うんだ。それが『社交性』で、社交性は『テーブルマナー』ではないのだ。
……うぅ、こんなこと考えるわたし、気持ち悪い。
 一方のネコミちゃんはというと、遠い目をしながら醤油顔であるネコミちゃんとソース顔であるイヌルちゃんの、他人からの評価のされ方についてずっと話している。
 ネコミとイヌルなんだから醤油とソースじゃなくて猫顔と犬顔なんじゃない? と言おうとしたがやめておいた。名は体を表さないで結構です。
 ネコミちゃんの話も、今、わたしが思っていたところである社交性とか、あと『思いやり』みたいな話に重なる感じでそのまま続いていたのだけど、あまりに口調がぶつぶつの不平不満で地団駄踏むので、さっきお辞儀をして挨拶をした受付のお姉さんが引きつった笑顔でこっちまで来て、「うぅ、注意されるか追い出されるかするー」とわたしは構えてしまった。構えてびっくりしたわたしはアイスをすぐさま平らげたのです。
 しかし、ネコミちゃんの方はお姉さんには構わず、地面につかない足をプラプラさせたまま、話を続けたのでした。
「ネコミは醤油顔美人だから私も醤油顔だったら良かったのにぃー、って常に言ってて言われてみればと思って鏡を眺めると、眺めれば眺めるほど濃ゆかったり薄かったりの顔が映る。ふむー、これは普段、あまりに自分の顔を何となく見ていただけのところに、評価を与えられたからそう思えちゃったのか……。と思ってお母さんに『私ってソース顔?』って訊いたらげんこつがこめかみを狙って飛んで来たのよ。親から貰った大事な身体に文句はダメだ、って。余談だけど、話題がソース顔なだけにおたふく風邪に罹りましたとさ」
 話に耳を澄ませばこの姉妹のお母さんとも、一応はコミュニケーション可能だということがわかって、わたしは「ほへぴゅ」とくしゃみをした。
はっ!  まさかわたしまでオタ吹く風邪とかいう奴に罹患したのかしら、と。そこに受付のお姉さんの影。
「えーーっと。君たち。ここに一体なにしに来たのかしら。学校の課題かと思ってさっきはなにも言わなかったけど、さすがに言わせて貰うわ。ここは多目的スペースじゃないの」
 受付のお姉さんは口元を不快感に歪めた状態。引きつってる形相があまりに異常なので、わたしは食べ終えたアイスのカップを捨てに席を立つ。こんなとこにいれっかよ。
 ネコミちゃんは受付のお姉さんに睨まれたまま。蛇に睨まれたネズミ。じゃなくて猫だけど。
 ごめんね、ネコミちゃん。あなたのその勇敢な心とか大胆不敵さとか、私が引き継ぎます!  なんて。
しかしそれは杞憂。
「妹のイヌルは……」
 まだまだ話を続けようと試みるネコミちゃん。怖じ気づいたりなんてしない。
「イヌルは顔のことを気にする年齢になったってこと。だから虫歯を治しにデンタルクリニックへ通うことにしたの。わかるかしら、そこのお姉さん……ふっふーん」
 なにが「ふっふーん」なのか、わたしには「わかるかしら」のわからなさよりも「ふっふーん」のわからなさの方が強く、わたしののーみそからは何も引き出されない。アクセス拒否されちゃう。
「知ってますよ」、お嬢さんがた。名前はたしか、しゃべっている方がネコミさん、そっちの抹茶くさいのがラクダシュミ……」
「ラッシーです!」
「そう、ラッシーさんね。ネコミさんの妹さん、可哀想よね。『蟲喰い刃(むしくいば)』
 に喰われた……いえ、蟲喰いに、『虫杭』を打ち込まれたのだものね」
  わたしは、
「うわ、カルトくせー」ととっさに声を張り上げた。
「そ、う、じゃ、な、く、て」
 対するお姉さんも口調を緩める。
「あなたたちはここに来た。なら私は、あなたたちに説話を見せてあげましょう。苦い苦い良薬のような、この土地一帯の伝承と、ネコミさんの妹の話。説話。伝承とネコミさんの妹の話、リンクするのよ、おかしいでしょ」
「おかしぃ! トリック・ア・トリート!」
 焦ったわたしは叫んでみた。
「館内は飲食厳禁です」
「だからお菓子を」
「それはもう一ヶ月前のイベントです。日付くらい覚えてなさい」
「わ、わかり……イエッサー!」
 ビシッと敬礼するわたし。意味不明。
 お姉さん怖い。どきどきもするわたし。
  一方のネコミちゃんは、
「虫歯化日誌! 虫歯化日誌!」
 と、自分でつくった造語に満足し連呼している。わたしがネコミちゃんに自分らの名前をいきなり当てられて怖くないのか、と尋ねてみると、
「だってほら、同じ町内のひとだし」
 などと衝撃的な一言を吐き出した。演劇の台詞のように聞こえたし、わたしとしても台詞ってことにしておきたい。

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この郷土博物館は綺麗な建物ではあるけれど、何年前に建てられたものなのかわかりはしない。
 なので受付のお姉さんも長い昭和が終わり、低迷下する生長を体現しているかのようにイモい。『イモい』ってなんだろう。じゃがいもよりは薩摩芋テイストな一種のダサさを意味した動詞なのである! という粗雑な「ラッシー語解説」だ、ずっきゅーん!
で、そのイモいお姉さんはまたしてもクスクスと笑い出す。
「蟲喰い歯を喰われる。それは蟲喰い刃の刃と歯が闘った証でもある。けれど蟲喰いに『虫杭』を打ち込まれるとその子は」
「そ、その子は……」
  息を呑むわたし。
「虫杭を打ち込まれるとその子は……『ソース顔』になるわ!」
「なんですってええええええええッッッ!」
 一転して喜びに打ち震えるネコミちゃん。ソース顔のイヌルちゃんがダブルソース仕様のソース顔になるとはどういうことか。わたしにはわからないけれどもなぜか、ネコミちゃんが打ち震える気持ちは理解出来る。
「と、それは嘘なんだけどね」
「おい、嘘なのかよっ!?」
 もちろん嘘だった。がっくりするネコミちゃん。そりゃ嘘だろう。醤油顔vsソース顔戦争が拡大しているわけがないから、醤油とかソースとか言われてもいまいちピンと来なくてどんな顔か想像できないはずだ。それがダブルソース仕様だなんて! それにしてもわたしたちはいつまでエアコン完備を無駄に占領し三文芝居を続けるのか。続けなくちゃいけないのか。三文ならば、出来れば三文オペラが良かったな、とわたしは思ったが、話をかき乱しそうなので口を閉ざすことにした。
口を閉ざす。クスクス笑いがいつの間にかエアコンの暖房を打ち消した。
「駄弁はここまでにして……」
 突如。
 お姉さんの姿が、まるで目がかすんだ時に見える砂嵐の視界にあるかのような非現実的な様相を呈する。
クスクス笑いが止まる。
「虫杭ッッッ」
 館内にエコーのように木霊したクスクス笑いが冷気になり、お姉さんの残響音が『虫杭』の一言で『空間ごと』ぶちこわされる。
「異次元空間?」
 一瞬だけそう感じ、わたしは声に出してしまう。
 捉え直す。
 異次元というなら異次元。
 しかし、ちょっと違った。転送されたここは。
  動物の、人間の、口の中だった。
  おそらくここは、ネコミちゃんの口の中だった。
  わたしにはここがネコミちゃんの口の中だと直感できた。
  唾液でぬめる舌の上で、お姉さんは両手を広げて話しかけてくる。
「説話? いえ、考えを改めたわ。体験型アトラクションで伝承由来の痛みをあなたに授けましょう。私の刃で、釘を刺して」
 唾液で足下がずぶ濡れになり、私は思わず念じた。「ゆるふわ四コマが読みたい!」と。
 気が動転して状況が掴めなくなる。こんなのゆるふわになんかなれない! って嘘。元からこれは和んでられないお話で。
 お姉さんは「虫杭に悔やめ!」と口に出す。口に出したお姉さんのその詞は、言の葉の言の刃となり、無残にも一瞬でネコミちゃんの内部から歯を黒く溶かしていく。
「アトラクション?」
口内の、したたる体液に塗れ、わたし、溶かされそう。
わたしは口をぽかーんと開けるしかないのでしたが、それにしたって、現状がもの凄い。
『ここは本当に人間の口の中』だし、その人間とは、ネコミちゃんであり、でもって、わたしはそれがわかるし、わたしの横にもネコミちゃん当人がいる。一種のパラドックス状態の空間なのだ、ここ。
 しかしこの『大きな口の中』で受付のお姉さんが持つ、のこぎり状の刃のプレートでぐるぐる回る雑草とかを刈る草刈り機とアイスピックを足して二で割ったような形状の得物、それが『虫杭』であり、その刃に言の葉の葉っぱが変形して、それを無から取り出し攻撃するのが技名としての虫杭なのだった。
 虫杭は、口の中を真っ黒に溶かしていく。白かったエナメル質が茶色から黒へ。そして肉や神経が丸見えになって跡形もなくなる。
 極度の虫歯化。
 わたしの横でうずくまる等身大のネコミちゃん。この場所であるところのネコミちゃんの口内と等身大のネコミちゃんの口内は互いにリンクしているのだ。
ネコミちゃんは
「ぐへっほおおおおおおぉぉぉぉほもおおぉぉぉぉおおお」
 と、呻いて、頬が腫れあがって両手で押さえ込んで、次いでその場にぺたりとしゃがみ込んでしまう。
「ネ、ネコミちゃんッ!」
 わたしはネコミちゃんに駆け寄った。
「クロスワード」
「!?」
いきなりお姉さんは意味不明なことを言い出す。クロスワード?
私のお母さんやお母さんの友達の奥様方の間ではクロスワードパズルは人気だけど、なぜ、今それを?
それより呻いているネコミちゃんも、その「感覚でわかる」大きな方のネコミちゃんの大きな口の中の虫歯……『蟲喰い』だっけ?  その蟲喰いを無視してこんなクロスワードなんて人を食ったような単語を突如だしてきて、わたしは「お姉さん、どうしてクスクスしたりひきつった口元だったり、今は叫んでるしネコミちゃんに酷いことをするんだろう」
 と、涙目になってしまった。
 なおもネコミちゃんはうずくまって呻く。
 下を向いた顔からは涙がぼろぼろ落ちる。
 ネコミちゃんの涙につられるようにして、わたしも腰が抜けてその場にしりもちをついた。それから背中を丸めて泣き出してしまった。
涙が止められない。
「クロスワード。言葉の虫食い穴。しかし蟲喰い刃で引き起こす伝承の技『クロスワード』とは、バッテン印、口を閉ざしてもらうためのもの。さあ、あなたは蟲喰いの刃で歯をもがれ、『言葉を失う』!」



「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いよおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉぉおおおおおおおおぉおぉぉぉぉぉおお!」


のたうち回るネコミちゃんは唾液と涙を同時にそこら中に垂れ流している。それが大きな口内の体液と交わり、ネコミちゃんの身体はぐしゃぐしゃになってしまっているが、痛みに耐えきれずのたうち回るだけだ。
「繰り返し言うわ。ネコミさんの妹さん、可哀想よね。『蟲喰い刃』に喰われた……いえ、蟲喰いに、『虫杭』を打ち込まれたのだものね。こんな風に」
「いだびいどぁう゛ぃぐぃどぁう゛ぃよぅ。いだびいどぁう゛ぃぐぃどぁう゛ぃよぅだずげでょぅ……」
 もう、ネコミちゃんはちゃんとした発音すら出来ない虫歯に、いや、歯がなくなってしまっていた。それでも、懇願するように、訴えかける。
「あなたの妹のイヌルちゃんの痛み、少しは理解出来たかしら。私はここの受付のおばさんじゃなくてね……」
「おばさんだなんて言ってない!」
 わたしは言い返す。しりもちから立ち上がって。
「ふん。おばさんで結構なのよ。どの町にも『郷土史家』、いえ、漢字が違うわね、『(人間)強度』の『歯科』、という造語で『強度歯科』、そう呼称される人々が必ずいるの。
 私はその道先案内人。……それを知らない人からは私は受付のおばちゃんだけどね」
「お姉さんだと思ってる!」
「ん。それはともかく、傷んだ人間の心の刃をメンテナンスするのが『強度歯科』の役割。心の刃。心の歯。……まずはのたうち回るこの子を」
と、そこで言葉を切ると道先案内人であるという受付のお姉さんは、のたうち回るネコミちゃんの脇腹をつま先で思い切り蹴り飛ばす。
ネコミちゃんは口を大きく開けて悲鳴を上げようとするが、上手く声にならない叫び。
叫んで泣いているネコミちゃんの頭を、お姉さんは思いきり革靴で踏みつけた。
その光景を見たわたしは、失禁しながら意識を失った。

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  ……異次元が元の空間に戻る。
 そこにお姉さんはいなかった。その場からいなくなっていた。
「郷土の郷土、人間強度。『食べる』という基本欲求を司る『歯』。刃。その刃を直す、治す、いや、エナメル質を再構築させるのが、我ら強度歯科」
 いきなり博物館ロビーに戻ったわたしの頭上から、これまた頭のおかしい『今までのおさらい』、パラフレーズしてくれる格好いい言葉がごはんにかけるふりかけのように降り注ぐ。
「蟲喰い、だっけ? あいつら、わざと虫杭ってのやってるじゃん! そんなのふざけてるわ」
 わたしは涙を腕で拭いて震える足でしっかり立つ。まだのたうち回っているネコミちゃんの代わりに。
「今はまだ我らの時代からは遠い説話の時代。『説記(せっき)時代』。現代もまだ石器時代というわけよの。説記の席に座れるよう、うぬらには我らが道を用意したまで。受付嬢のサービスも歯が溶けるくらいに魅力的なスイートだったろう?」
「嘘吐かないでくれるかしらッ!」
 反射的にわたしは怒鳴った。
「はっ。嘘だよ」
  頭上からの声はわたしの受け答えに吹き出した。
「書くことのルールは不文律として多く存在している。逆に、不文律としてしか成立できない。そこが古代である説記時代の証。調べても調べても『書かれるべき内容』はしっぽを巻いて逃げていく。世はしかし絶えず更新されていく。だがそれでもオールドメディア認定されたものもまた成立したまま共存していく。なぜなのか。そしてそれはなぜ必要なのか。古くなれば蓄積された遺産だけが残るかといえばそうでもなく降り積もる。やはり『必要とする人間が存在するから残っている』のだ」
「当たり前のこと言って誤魔化さないでくれる?」
「当たり前? お前はその短い人生でそれらを見てきたか」
「え? えーっと……」
「我らの時代へのゲートをくぐれるのは説記の席に着席できた者だけ。椅子取りゲームのデスゲーム。くぐるための条件は、そこの倒れてる少女とその妹は体験……『アトラクション』としてどういうことかを知りつつある。そして君は、これを見て『知る』ことが出来た。……くぐるための可能性として」
「もったいぶらないで! なにが言いたいのッ」
 声は呵々大笑。
「お前のとったルートは『今回は』正解だった、と言っている」
 声を聴きつつわたしはまた自販機へ。
 どうやらアイスは、さっき買ったわたしのバニラアイスで全部、売り切れになってしまっていた。別にバニラだけ安いから買えたと思っていたのは勘違いだったらしい。どのみち買えなかった。
自販機からまたソファの前まで戻る。
 ネコミちゃんは帽子も床に落としたまま、呻き転がっていた。わたしは、下を向いてネコミちゃんを見下ろす。うーうーうなり声を上げるネコミちゃんに笑みがこみ上げてくる。
 しゃがみ込んだわたしはネコミちゃんの顔を押さえて唇を奪ってから、ぼふっと音を立ててその身をソファにあずけさせたのでした。
「貴様はまだまだ『見習い物書き』。強度歯科の居住区へはほど遠い。ゆめゆめ忘れないようにな、『刃偉者(はいしゃ)の娘』である小学生」
「失礼なっ!」
そこで声は頭上から消える。わたしはネコミちゃんを眺めて過ごす。

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 休日明けの日、わたしはいつものようにダックちゃんと学校を下校する。高台にある学校から続く美空坂の街路樹には電飾が取り付けられているが、まだそれらがライトアップされる時間ではない。塾帰りの時間帯にはライトアップされるだろう。
「ぐえー! ラクダシュミちゃーん、昨日は昨日はネコミちゃんと反射炉波止場の倉庫街にある郷土博物館でお楽しみだったみたいじゃん」
「デートしただけ」
「ぐえっぐえっ  嫉妬しちゃうなぁ、僕」
「わたしの名前はラッシーだっつってんでしょ、この僕っ娘ぐえぐえ!」
「僕にとってはどっちだって一緒だね」
「くぅ……」
「で、ネコミの奴、ぶっ倒れたんだってな」
「えーっと、うん、そうね」
「んじゃ、やっぱお前がわざとあのシチュエーションまで運んでったんだろ、『刃偉者の娘』さん」
「はぁ? なんのことやら」
「言いたくなきゃ言わなくて良いよ。情報はウチに回ってくる。メンテがウチの家系の専売特許だからな。……東京特許許可局という」
「そんな場所は存在しないしここは東京じゃないわ」
「まあ、そんな場所が存在しないのは奴らの『居住区』という異次元が存在しない程度には、存在しないわな。ぐえっぐえっ」
「ぐえぐえ吐くなこのアヒル口のぐえぐえ野郎」
「野郎って、僕だって女の子なんだけどねぇ」
 これから。
 今日はこれからダックちゃんと一緒にネコミちゃんの家に遊びに行く。
『ゲート』はこれで開かれた。正解ルート、やっと見っけ。
これでやっとわたしたちの世代が先に進めるまでコマを進められるのかもなーって。
しっかし。あー、昨日は怖かった。
これからもっと怖いことがわたしたちの前に立ちふさがっていくんだろう。
しかしね、わたしは闘うのだ、わたし個人の正義のためにー! と思った、これは小学六年生の冬の話でした。

おわり
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