第7話 【パピプペポ】歌詞プペポ

文字数 1,672文字

「君のつくる曲には、アタック感が足りないのよね~」
 小指を立てながら、プロデューサーの小島がおれに言った。
「アタック? シンセサイザーの?」
「違う違う。アンタの書く歌詞の話よ」
 小島はいつもの通り女性の口調で言うと、
「次にリリースする曲でダメなら、アンタもおしまいよ。人材なんて腐るほどいるんだしね。あたしも抱えてるミュージシャンはアンタだけじゃないんだしィ、明日までに書き直してちょーだいねぇ」
 という言葉とともに、おれをスタジオから追い出した。

 ソフトケースに入れたギターを背負って、おれはスタジオの入り口を見る。
「もう、東京にはいられないかもしれないな。小島の野郎をギャフンと言わせてやる」
 拳を固めて、おれは立ち去る。明日までに、曲をどうにかしなきゃならない。

 ……おれは音楽稼業をやっている。といっても、プロではないのだ。お金を貰うことはあるが、テレビに出演するとか、そういうのではない。お金を貰うのがプロであるという定義であれば、おれもプロではあるのだが。超マイナーなインディーズレーベルに所属している、というだけの話だ。しかも、所属しているのに、レーベルの祝賀会にも呼ばれないという立ち位置。おれは本当に所属しているのか。曖昧過ぎる職業の、更に曖昧なところに立って、おれは上京してから二年半の月日を浪費した。
 ライブハウスで一緒にギグをやってた連中は、今じゃみんなプロかセミプロになるか、はたまた辞めて帰郷するかの三択の中に、わずか数年でカテゴライズされるハメになった。
 おれが小島から書き直しを言われた曲も、即売会で売るための代物だ。同人って言うから楽しくやるのかと思ったら、今回もまた、事務所の意向で小うるさい指図を受けることに相成った。数年やっても慣れやしない。

 おれが京王井の頭線に乗り込むと、酔っ払いばかりが乗っていた。終電の時間なのだ。
 おれはつり革に捕まると、
「パピー(パパ)に買ってもらった物を、お金に換えちゃおう!」
 という古物商のつり革広告に目を向けた。世も末な惹句である。大体なんだよ、パピーって。
「プペポ! プペポ!」
「!?」
 一瞬びくっとしておれはその場で跳ね上がってしまった。
 声の方を向くと、それはおれと同じ広告に目を向けている、よれよれのワイシャツを着たオッサンだった。
「プペ! プペ! ぽえー!」
 物を吐くような仕草をしながら、泣き出すオッサンの顔は、酔っ払って真っ赤だった。足下もおぼつかない。
「一目見たオンナに惚れてなにが悪いよ! ちょいと惚れただけでねーの! ぱ、ぱ、ぱぴぷぺぽ! 止せばいいのにすぐ手を出すのはやめられねぇ!」
 オッサンと目が合う。
「なぁ! 若人よ!」
 肩を組まれた。オッサンのアルコール臭を浴びる。肩を組むというよりも、寄りかかってきたに等しい。


 逃・げ・出・し・た・い。


 オッサンの声が車内に響き、おれはつり革から手を離し、オッサンを退けようと手で押して距離を取る。
 オッサンはなおもおれに向かってくる。
「パ、パ、パピプペポ」
 連呼するオッサン。その声のリフレインは木霊して、おれにインスピレーションを与えてくれる。ああ、そうだ、これを歌詞にすればッ!
 おれはオッサンの手を握った。
「ありがとう、オッサン!」
「ぷぺぼえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ」
 おれの胸の中に飛び込んだ酔っ払いのオッサンは、そのままおれの身体に向けて嘔吐した。
「梯子酒だ! 梯子酒すんぞボーズ!」
 オッサンの吐瀉物塗れになったおれを抱きしめ、オッサンは叫んだ。

 ……次の日。
「パピプペポ!」
 と歌ったおれは、
「復活の呪文が違います」
 と言わんばかりに失笑を受けたことは言うまでもない。
 昨日は最終的に駅員さんまで登場して事なきを得たが(事なきを得なかっただろうが!)、錯乱して酩酊してしまった夜中に書き上げた新しい歌詞は、おれが東京でつくった最後の歌詞となったのであった。


〈了〉
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