第45話 D号室

文字数 722文字

「結局おれが残せたのはこの『手記』だけなんだよな」
「またその話かよ」
 閉鎖病棟。
 二階のD号室。
 おれと北田は向かい合って話す。
「手記しか残せなかったって、まるでここから一生出られないかのような物言いじゃないか」
「真実だろ」
「ある一面ではね」
 よどんだ空気の中。
 窓は開かないように設計されている。
 増え続ける薬。
 痴呆が進んでしまいそうだ。
「ここの中では『具体的』なことを書くのは御法度だ。でもおれにはどのみち小説を書く技量がない。だから、あえて抽象的な言葉、そこにシンボリックさを読み取ってもらおうと……」
「で、それ、誰が読むの?」
「…………」
「…………」
「盗み読みされてんのは知ってるだろ」
「ああ……。まあ、な」
「全ては読まれてしまう。それが文章であり、全て読まれてしまうのは文章書きの心の中だ」
「現代の文章書き、って付けなくちゃダメだろ」
「わざとはちゃめちゃな言動をしたドストエフスキーは」
「でも、あいつは死にかけた」
「監視されるようになった。それからはちゃめちゃにした」
「ああ」
「この世界はいつだって、黙ってなにかを成し遂げる奴が勝つのさ」
「だな。この病棟にいる奴らはなにも成しえない。ある意味でのストレートさを、ぶつけることしかできない」
「それが敗残者だ」
「じゃあ、なにか? 勝ちたいのか?」
「いいや。勝負なら、とっくの昔についていて、おれたちは監禁されている」
「ふーん。もしも、おれこそがおまえの監視者だったらどうする」
「笑うね」
「じゃあ、笑えよ」
「ここでは笑いも御法度だ」
「監視するのも監視されるのもまた、監視されているなんて……もとから笑えないぜ」


〈了〉
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み