第19話 ウラングラス

文字数 3,235文字

【セカンド・ウィンド】
【(禁忌←好奇心←?) ← 後悔】
【最初のペンギン】
<鏡>


 熱い鼓動で涙が止まらない。人類初の〈二次元航法〉の、テストパイロットにおれが選ばれたからだ。涙が出るってのは嘘だけど。成り行きだ。
〈二次元航法〉とはなんぞや、というと、次元を折りたたんで平面上の世界にして、宇宙を泳ぐことだ。
 宇宙の星々の距離は長く、普通は星から星へは渡れない。しかし、次元を折りたためば、かなりのショートカットが出来るのだ。
 なにが待ち受けるかわからない、まさにファースト・ペンギン状態なのだ。
「先輩、ファースト・ペンギンってなんすか」
 後輩の研石が訊いてくる。いかん、心の声がダダ漏れだったらしい。
「群れの中で最初に水の中に飛び込むペンギンは危険がいっぱい、ってことさ」
「へぇ」
 興味なさそうな返事をして、研石はリフレクター(反射板)を手に持って、移動していった。
 研究所の中は、今日も埃っぽい。誰か掃除しねーかなぁ、と思いながら、廊下のベンチで缶コーヒーを飲み、おれは研石の後ろ姿を見ていた。
 研石が、すれ違う他の研究室の女性研究員のお尻を触って「きゃーきゃー」言われている。おれはそれにため息を吐くと、飲みかけのコーヒーを洗面所で流し、缶をゴミ箱に捨てて研究室に戻る。
 やることは山積みだった。


***************
***************


「君がテストパイロットに選ばれた理由、わかってるだろ」
「はい」
 おれは目の前の怖いおっさんに頷く。
「君は、運動音痴だからだ」
「サー! わたくしめは運動だけでなく普通に音痴です、サー!」
「よろしい。では、トラックを十周してこい」
「なんですとっ!」
 運動場を走るおれ。
 走り終わったおれが、
「運動音痴だから選ばれたってのに、走らせるっておかしくないっすか」
 と抗議すると、
「さすがに今の体力じゃなぁ」
 と、言われた。体力はない方が実験になるって言ったくせに。

 おれがぜーぜー息を吐いていると、
「おーい、親父。酒買って来たぞ」
 と、研石がやってくる。手にはリフレクターを持っていて、あいてる手にコンビニ袋。
「酒は二人分って言っただろ。なんで三人分のビールがある?」
「んあ? そりゃ永友先輩の分も買ってくるべ」
「パイロット様は食事制限が必要なんだよ。買ってくんな」
「二次元航法で身体がペシャンコに潰れるんだから、体重は関係ねーべ。ねぇ、先輩」
 研石(父)は額に手をあてる。
「お前なぁ」
 二人の会話を聞いてぞっとする。そうだ、自分が平面上の存在になるのだ。宇宙空間内での二次元航法は人類初なのだ。潰れて死ぬかもしれないし、平面世界から戻れないかもしれないのだった。
 不安になってるおれをよそに、研石親子は研究室に戻り酒盛りを始めようとする。
 ちなみにこの研究所は国の研究機関ではあるが、学生がいる、というわけではない。
 親子で研究員をやっている奴らもいるのだ、この研石親子のように。
「おーい、永友せんぱーい。先輩も早く来てくださいよー」
 研石(息子)の方が言う。
 おれは、
「わーったよ」
 と言って、小さな自分らのラボの一室に戻る。


***************
***************


 で、ついにおれが宇宙に飛ばされる日がやってきた。
「んじゃ、行くぞ」
 研石(父)が背中を叩く。渋々とおれはロケットの操縦室に入る。
 偉い人や報道陣に見守られたり揶揄されるなか、おれは飛んだ。ロケットで。
 ロケットのパーツが外されながら、大気圏を突破。
「いよいよだな」
 平面の空間におれが〈転移〉する。
 視界がぐんにゃりと曲がり、自分の手足もシュールレアリスムの絵画のように溶けていく。
 おれは溶ける魚だ。そう思った。
 カーボン紙に〈おれ〉が転写された。タンパク質というより、すでに炭素の塊に、〈おれ〉はなっていた。炭素……要するに〈鉛筆画〉みたいな形状に、おれはなったという、それだけだ。
 ぐんにゃりぐんにゃりとしたその二次元上の世界では〈距離〉がない。平面だ、どこまでも、どこまでも。
 時間の概念さえ、そこでは失われていく。
 今が一秒後なのか、一時間後なのか、一年後、十年後なのか、わからない。
 〈おれ〉がまっすぐ進んでいると、緑色に光る、ウラングラスが、目の前に現れた。
「幻?」
 おれが首を捻ると、ウラングラスが〈発話〉した。吹き出しが生成され、なにかの文字列を吐き出している。
 おれはそのウラングラスが、目指す先のアルファ・ケンタウリに関連した二次元生物であろうと思った。コミュニケーションを取らねば!
 が、おれは発話出来ない。口をぱくぱくさせるが、それじゃ言葉は吐き出せない。タイプライターでも持ってくればよかった、とおれは唇を噛んだ。
 だってこれ、ファーストコンタクトだぜ。たぶん。
 おれは手振りでコミュニケーションを試みたが、どうにもこうにもダメだった。

 ……………………。
 …………。
 ……。
 …。

 ウラングラス生命体(仮)はぶち切れたらしい。緑色から、蒼冷めた色になり、それからレッドに変わる。
 最初は好奇心もあったが、やっぱりおれには未知の生物とのファーストコンタクトは無理だ。大体、中学校でおれはオタクグループの下っ端として扱われていたほどのコミュ障である。オタクって社交的な奴らが本当は多いけど……って、なんで今、その話なんだ。
 考えろ、この未知の生物との接触を。
「ん? 接触?」
 おれはウラングラス生命体に触れた。
 よっしゃ! 接触したぜ、物理的に!
 物理的に!
 物理的?
 ……違くね?

 今は平面世界であることを忘れていた。
 おれは色つきの〈線画〉なのである。そして、相手である生命体も。
 そう、〈線画〉と〈線画〉が触れ合って、どうなったかというと、線画が結び合って、おれは相手と融合してしまったのだった。
「ミュータントになってしまいました!」
 なんたることか。
 おれは蛍光する不思議平面生命体になってしまった。
 しかも、吹き出しが出てきて、そこにおれの頭の中のイメージが漫画形式になって具現化される。
 助けて……。そう思った途端に「助けて」という脳内イメージが具現化される。
 なにも、なにも考えるな!
 と、思うとどうしてもえろい妄想をしてしまう。浴衣をはだけたねーちゃんの映像などが目に浮かぶ。ダメだ、なに考えてるんだおれは! 阿呆なのか!
 どのくらいあたふたしただろうか。
 その時。
 平面世界に、光が差した。
 平面世界に、……光が差す?
 それは、強い光だった。おれの身体のウラングラスよりも。
 そう、それは、研石がいつも持っていた『リフレクター(反射板)』である。
 水銀を塗ったガラスのような、まぶしさで。
 それはおれの進むべき進路を照らし出す。
 そうだった、二次元航法のステーションスタッフなのだ、あいつは。
 リフレクターを研究してるっては言ってたし、同じラボにいたけど……気づかなかった。
 ああ、あいつ。なにを反射させるのかと思ったら。行き先と帰り道を、その途上のおれに教えるって使い方が……。
 おれは緑色になった身体を輝かせてて、光の進む先を目指す。
 他の生命体との融合という禁忌をすでに犯してる気がしないでもないが、大丈夫。
 おれは未踏の地、アルファ・ケンタウリに着くまで進む。
 その後のことは、ここに積んで平面化している機材の活躍による。
 おれはただ、有人で飛行してるだけだ。
 行くぜ、光の差す方へ!

 …………。
 ……。
「きっと後悔するぜ」
 地球にいる研石(息子)がぼそりと呟いたのを、その時のおれはまだ知らされていない。


〈了〉
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