第44話 うたかたのゆめ【虫杭25/最終回】
文字数 2,104文字
美空坂の天辺。僕の横でラッシーは黙って坂の下の街を見下ろしている。
「そう一人で背負い込むなよ」
僕はラッシーの肩に手を乗せた。
「だって……」
ラッシーは僕の手を振り解かない。
……………………。
…………。
……。
市内に刺さっていた虫杭を全て、インダストリアルスラムがつくったドリルのプラグインを入れた術式で破壊した僕たちだったが、それこそ、この街のパワーの源を供給している龍脈をいじったことにもなるわけで、僕の怒鳴るDEダックとも比べものにならないインフェルノが生じ、その業火に市内は包まれた。燃えるし地盤沈下と液状化はやまないし、あげく堕ちてきた〈居住区〉は、それらを帳消しにする勢いで街を浄化し、役目を終えると港らへんに大きなクレーターをつくってしまった。
ただ、徹底的な破壊によって、虫歯は〈抜歯〉された。
歯槽膿漏化は今後、途方もないくらいの長い間、ケアは必要だが、見えない敵、つまり〈概念〉と戦ってきたラッシーの〈個人的な戦い〉は終わった。
封鎖されたままのこの街では今、インダストリアルスラムと生徒会が、首都で起こっている無政府状態の代理戦争に突入している。国の中央では『政争』と喧伝されているが、実際はこの地、斬の宮で血を流しながら、争っているのだ。
その点において、ダメダメな結果となってしまったのは、ラッシーの詰めの甘さに起因するだろう。
だから、尋ねる。
「ラッシー。クーデター後に新政府を標榜する奴らと反対勢力……その首都での戦いに割り込んでいくってのはどうだ? またここから離れてよぉ。金糸雀の姉妹二人はもう、斬の宮を離れたぜ。しばらく様子見か、いや、……あいつら、歴史の闇に消える気だぜ」
僕がラッシーの肩から手を下ろすと、ラッシーは僕の手を自分の手で握った。
ひどく冷たい手だった。
僕はラッシーを直視する。
「僕とおまえはどうする。術式の継承者ってのもラクじゃない。だから僕らも、諍いから逃れて、歴史の闇に消えるか、日の当たらない場所で生きていく……ラッシーとなら、僕は大歓迎だぜ」
ラッシーはしばらく考えていたようだったが、一陣の風が吹くと、風に目を細めて、優しい顔になって、言う。
「ダックちゃんの伝手で、療養所を紹介してよ。へんぴな場所の。……そこでしばらく過ごしたい」
「もう、コールドスリープはなしで、にしよう」
ラッシーはぷんぷん怒る。
「当たり前だよ!」
「……なぁ、ラッシー。〈説記〉の時代ってのは終わったと自分自身は思っているのか」
「エピステーメーは変わった。断絶は確実に生じた。でも、じわじわと変わっていくんだと思うの。うちのご近所さんたち、異形人さんたち、今回、動かなかったでしょ。でも、これからは違う。彼ら異形人が活躍する出番が来る」
「この国はどうなっちまうんだろ」
握った手を、もっと強く握る。
「術式を使えるのはわたしたちだけじゃないよ。この件では斬の宮が舞台だったからわたしたちの出番で、だからわたしたちが暴れたけれど……。今も、違うどこかで、誰かは動いている。暴れている」
「僕たちの暴れる番は終わったってわけか。そういや、文豪ミニは文豪になれるのか?」
「療養しながら、文豪を目指すよ。死んだお父さんみたいな、文豪を」
「そーいや朽葉家の術式って最後まで仕組みがわからなかったんだけど」
「言の葉の遊びだよ。それが魂を帯びて、広がる。超弦理論にプレーン宇宙っていうのがあって、弦を振動させるとね……」
「あー、もういいわ。要するに、朽葉の血筋も異形人、なんだな。つまり、ラッシーも」
「そうだよ。異次元人が祖先」
僕はラッシーのその手を離した。そして、市内の光景を見下ろしながら、言葉を伝える。
「僕はラッシーを救いたかった。」
息を呑んで、言う。
「……僕はちゃんと、おまえを救えたかな」
「80点」
「80点?」
「告白にしては、ムードが足りません。ので、マイナス20点」
「手厳しいな」
「20点分は、抹茶アイスでどうにかしてね」
二人で笑い合う。
僕は空を見上げた。見上げても笑う。ぐえぐえ、と。
「こんな形でしか紡げなかったこの物語は、一体なんだったんだろうな」
「ううん。なんだったか、はわからないよ、現在進行形。まだなにも終わってない。再建は、これから。……でも、わたしたち四人は第一線を退くから。物語は続くけど、わたしたちは休息を取るの。ずっと、このまま、休息をしながら、消えていくのもいい」
「ああ」
「この物語がなんだったかを決めるのは、次のバトンを渡されたひとたちの仕事次第。いや、もっと続くのかな」
ラッシーは、
「でもね」
と、付け加える。
「わたしたちはまた引きずり出されるでしょう。歴史を暗躍せよってね。そのときまで、笑顔でいようよ。来るか来ないかわからない、次の戦いのことなんか考えないで。笑顔でいようよ」
「だな」
「それじゃ、行こっか」
「ああ」
僕らは美空坂を二人で下りていく。
希望に満ちてなくても、笑顔はきっと満たすから。
〈終劇〉
「そう一人で背負い込むなよ」
僕はラッシーの肩に手を乗せた。
「だって……」
ラッシーは僕の手を振り解かない。
……………………。
…………。
……。
市内に刺さっていた虫杭を全て、インダストリアルスラムがつくったドリルのプラグインを入れた術式で破壊した僕たちだったが、それこそ、この街のパワーの源を供給している龍脈をいじったことにもなるわけで、僕の怒鳴るDEダックとも比べものにならないインフェルノが生じ、その業火に市内は包まれた。燃えるし地盤沈下と液状化はやまないし、あげく堕ちてきた〈居住区〉は、それらを帳消しにする勢いで街を浄化し、役目を終えると港らへんに大きなクレーターをつくってしまった。
ただ、徹底的な破壊によって、虫歯は〈抜歯〉された。
歯槽膿漏化は今後、途方もないくらいの長い間、ケアは必要だが、見えない敵、つまり〈概念〉と戦ってきたラッシーの〈個人的な戦い〉は終わった。
封鎖されたままのこの街では今、インダストリアルスラムと生徒会が、首都で起こっている無政府状態の代理戦争に突入している。国の中央では『政争』と喧伝されているが、実際はこの地、斬の宮で血を流しながら、争っているのだ。
その点において、ダメダメな結果となってしまったのは、ラッシーの詰めの甘さに起因するだろう。
だから、尋ねる。
「ラッシー。クーデター後に新政府を標榜する奴らと反対勢力……その首都での戦いに割り込んでいくってのはどうだ? またここから離れてよぉ。金糸雀の姉妹二人はもう、斬の宮を離れたぜ。しばらく様子見か、いや、……あいつら、歴史の闇に消える気だぜ」
僕がラッシーの肩から手を下ろすと、ラッシーは僕の手を自分の手で握った。
ひどく冷たい手だった。
僕はラッシーを直視する。
「僕とおまえはどうする。術式の継承者ってのもラクじゃない。だから僕らも、諍いから逃れて、歴史の闇に消えるか、日の当たらない場所で生きていく……ラッシーとなら、僕は大歓迎だぜ」
ラッシーはしばらく考えていたようだったが、一陣の風が吹くと、風に目を細めて、優しい顔になって、言う。
「ダックちゃんの伝手で、療養所を紹介してよ。へんぴな場所の。……そこでしばらく過ごしたい」
「もう、コールドスリープはなしで、にしよう」
ラッシーはぷんぷん怒る。
「当たり前だよ!」
「……なぁ、ラッシー。〈説記〉の時代ってのは終わったと自分自身は思っているのか」
「エピステーメーは変わった。断絶は確実に生じた。でも、じわじわと変わっていくんだと思うの。うちのご近所さんたち、異形人さんたち、今回、動かなかったでしょ。でも、これからは違う。彼ら異形人が活躍する出番が来る」
「この国はどうなっちまうんだろ」
握った手を、もっと強く握る。
「術式を使えるのはわたしたちだけじゃないよ。この件では斬の宮が舞台だったからわたしたちの出番で、だからわたしたちが暴れたけれど……。今も、違うどこかで、誰かは動いている。暴れている」
「僕たちの暴れる番は終わったってわけか。そういや、文豪ミニは文豪になれるのか?」
「療養しながら、文豪を目指すよ。死んだお父さんみたいな、文豪を」
「そーいや朽葉家の術式って最後まで仕組みがわからなかったんだけど」
「言の葉の遊びだよ。それが魂を帯びて、広がる。超弦理論にプレーン宇宙っていうのがあって、弦を振動させるとね……」
「あー、もういいわ。要するに、朽葉の血筋も異形人、なんだな。つまり、ラッシーも」
「そうだよ。異次元人が祖先」
僕はラッシーのその手を離した。そして、市内の光景を見下ろしながら、言葉を伝える。
「僕はラッシーを救いたかった。」
息を呑んで、言う。
「……僕はちゃんと、おまえを救えたかな」
「80点」
「80点?」
「告白にしては、ムードが足りません。ので、マイナス20点」
「手厳しいな」
「20点分は、抹茶アイスでどうにかしてね」
二人で笑い合う。
僕は空を見上げた。見上げても笑う。ぐえぐえ、と。
「こんな形でしか紡げなかったこの物語は、一体なんだったんだろうな」
「ううん。なんだったか、はわからないよ、現在進行形。まだなにも終わってない。再建は、これから。……でも、わたしたち四人は第一線を退くから。物語は続くけど、わたしたちは休息を取るの。ずっと、このまま、休息をしながら、消えていくのもいい」
「ああ」
「この物語がなんだったかを決めるのは、次のバトンを渡されたひとたちの仕事次第。いや、もっと続くのかな」
ラッシーは、
「でもね」
と、付け加える。
「わたしたちはまた引きずり出されるでしょう。歴史を暗躍せよってね。そのときまで、笑顔でいようよ。来るか来ないかわからない、次の戦いのことなんか考えないで。笑顔でいようよ」
「だな」
「それじゃ、行こっか」
「ああ」
僕らは美空坂を二人で下りていく。
希望に満ちてなくても、笑顔はきっと満たすから。
〈終劇〉