第26話 コールドスリープ・サンプラー【虫杭7】

文字数 3,818文字

 まっすぐ伸びる病棟の廊下。住人達はそのまっすぐ一本しかない廊下を行ったり来たりして毎日を過ごす。他にやること? そんなもんはない。
 冷凍睡眠病棟。隔離されたカクリヨの閉鎖病棟。誰に気づかれもせず、時間が止まったままの時間を、住人達はここで過ごす。
 冷凍睡眠病棟は、「現世での治療が不可能」でありつつも「サンプルとして残しておきたい人物」が強制的に入れられる刑務所……否、病棟なのである、と言われていた。
 生殺しにされるあたり、刑務所で刑期を勤めてるようにしか感じないものであるが、それも「しばらくは」の話。
 冷凍睡眠(コールドスリープ)で全てが止まったままの住人達は、まるで江戸時代の絡繰り人形のようなモーションで動くことしかできなくなりながら、重要なサンプルとして生き続けるのだ。



 ラッシーはへろへろの身体を頑張って動かし、廊下を行ったり来たりする。時計はあるにはあるし、カレンダーもある。が、それが病棟の中と何の関係があるのだろう。遮断されたここは閉鎖病棟。血流も冬眠中の動物と同じにされ、そこで考えられることはなにもなく、考えるための材料も、ない。たまにあると思えば、その材料は人体実験のためのフェイク。
「まいったわね……」
 ラッシーの口癖のようになったこの声を聞き、いつも通りの自分の日常を確認するミズシナは口をつり上げニヤリとする。ミズシナはラッシーに、
「まいらないよ。まいらないようにできてるもの」
 と、腕をぶるぶるふるわせながら舌を動かした。
「いや、まいったわ」
「いつも同じこと言うのね」
「わたし、ここにいる場合じゃないし」
「うーん、でもラッシーちゃんはマイマイちゃんと、だからってあまり近づかない方がいいんじゃないかなー。ラッシーちゃんくらいだよ、マイマイちゃんとしゃべってても笑顔なのは」
「そう言われるとちょっとまいったわね」
 廊下をラッシーとミズシナは並んで歩く。
 廊下は冷え冷えとしているし、吐く息も白くなる。
「ここでわたしたちがなにをモニタリングされているのか。みんな別々でしょ、全部が全部ばらばらで、ばらばらに監視されてデータ取られてる。あり得ないわ。まいったわね」
 ラッシーはうんざりしながらミズシナにそう語るが、この内容もまた、三百六十五日毎日、ミズシナに述べていることをコピーアンドペーストのように繰り返し今日も述べているだけだ。実に不毛。だが、それが冷凍睡眠病棟の一日だった。
 話の受け手のミズシナもそれを知っていて、知りながらうんうんと頷いている。ミズシナもまた、コールドスリープされている故に。いや、それが彼女の思考の結果だと言うように。



 廊下の往復を十回ほどしてから、ラッシーは自分の病室へ戻る。ミズシナは、
「じゃ、夕飯のあとまた一緒に歩こうねー」
 と、ラッシーに手を振る。ラッシーも手を振り返した。
 病室は四人部屋だ。ラッシー以外は、人工パーツを身体に着けた人体改造体。サイボーグ。なぜ人体改造体なのか。それは「歩けない」病棟で、身体が退化していったからだ。人体を補強する必要性があった、無駄に。ここでは生身の身体を鍛えるだけ無駄。みんな気を抜き、そして人工身体のパーツを着けるハメに陥る。
 当然サイボーグも、パーツのデータを取るために着けるのが許されているようなものだ。毎朝のチェック時など、全員が全員のパーツの取り外しをまざまざと観ることになる。人工神経繊維はなんであんなに恐れを抱くかたちをしているのか。ラッシーは毎朝思いながらボディチェックで並ぶ。
 仕方ないのだ。人工身体のパーツが生身のボディと拒絶反応を起こせば、尿と便の垂れ流し生活が待っていて、しかもそのまま生きながらえさせられる。人体改造するしかないのだ。
 冷凍食品が腐るように、時は止まっていても、その技術は完璧ではなく、身体は不具合を起こしていく。脳も、「なにも考えられない」と認識できるほど物事を考えられるのだ。考えられるほどに、時は止まっていない。故に未だここでも人は老いていく。老けていく。
 どんなにコールドスリープに抗おうが、抗わまいが、人間は、老いて、老いて、老いて、老いて、老いていき、いずれ、死ぬ。死に至る。
 その、ゆるやかな死へと向かう死の病棟こそが、この冷凍睡眠病棟だった。



 病室、202号室に戻るとラッシーは、自分のベッドにその身を預けた。体育館シューズを履いたままで、だ。
「わたし、なーんでこんなことになっちゃったんだっけなー? まいったなー」
 思い出せない。うまく、思い出せない。
 ラッシーはベッドの横の備え付けの台の引き出しから、ノートとボールペンを取り出す。文章を書く。絵を描く。そして今日も他の毎日と同じように、しばらく書いて飽きた。
「この働かない脳みそに自分の意志で逆らうとか、倒錯しちゃってるね、わたし。自然に自然に。働かないなら、動かさない」
 ベッドの上にノートとペンを放り投げ、また横になる。ここには女性しかいないけど、この世界には生理も来ない。痛いのがないのはいいが、全然ありがたくない。ふざけないで欲しい。セクシャリティの問題には立ち入りたくないけど、女性から女性性を人工的に取り除かれて、空恐ろしさを感じる。これをモニタリングしてデータを取ってる奴は頭がおかしい。例えば生理が来ないから永遠に少女なのか、とか男性視点を導入しようとしてもキモいし全然違う、と言わざるを得ない。それに、この要因でもやっぱりひとが死ぬ。
 ただし、寿命だけはゆるやか。まあ、実際はゆるやかなだけで「病気とかが徐々に進行して」やっぱり死ぬんだけど。
 要するに、その場しのぎ。実験場。それがここ、冷凍睡眠病棟。
 どんな科学でどんな魔法がかけられてるか、住人達は知らない、知らされない、知りたくない。
 ベッドでラッシーがぐでーっとしていると、ラッシーが会おうと思っていたマイマイがやってきた。
 ラッシーのベッドの横で不良座りするマイマイは、
「今日もなにか書き物してたのか。懲りない奴だねぇ」
 と、勝手にラッシーのノートのページをぺらぺらめくって言った。
「不良座りでひとさまのノートをのぞき見るって、そーとーデリカシーなくない?」
「しかしこれもモニタリ……、いや。……デリカシーなくなくない?」
「なくなくなくなくなくなくない」
「なくもないないないないなくなくない」
「……もういい」
 ラッシーは頬を膨らませてそっぽを向く。
 マイマイはラッシーのノートをベッドの横の台の上に置くと、
「鏡の国って知ってるか?」
 と、ラッシーに訊いた。
「アリスの二作目ね」
「いや、でもチェスの話じゃないんだな、ここ」
「ここ?」
「そう。極秘トレーニングの成果が出てきて『思い出して』きたんだ」
「極秘……。で、なにを?」
「この病棟が、なにをしたいのかを、さ」
「へー」
「いや、お前『物書き』だろ。で、戦っても市内全域に張られた『虫杭』で町が『虫歯』になるのを避けられなかった。だから飛ばされてきたんだ、わたしら」
「ん? んー、覚えてない。まいったわね。用語とか面白い、電波入ってて。あはは」
「な。だろ。他の奴らは下界でなんかやってるよ。わたしたちは今、薄染家のコールドスリープ療法で『メンテナンス』を受けている。ただしそれはもう何年も前のことだ。下界じゃ時間は容赦なく過ぎている。逃され……いや、囚われたのはわたしやラッシーのような『思想的にまずいこと』をしてた奴ら。ゆったりとしか働かなくなった脳みそでなにを考えるかデータ取って、下界の戦いに役立てるか投入するか、……もしくは廃棄するか。お偉方が考えてんのさ」
「へー。楽しそうだね、それなんのSF小説?」
「ちっがーう! これ、現実。わかった?」
「ふーん」
 ラッシーは「薄染、薄染……」とぶつぶつ呟き、それから、
「あっ! ダックちゃんか!」
 と、大声を出した。が、直後、マイマイから鳩尾に拳を喰らわされた。
「ほげふっ」
「戦いは続行している。わたしたちは何故か冷凍されながら、目覚めかけている。ならば、それが意味するのは」
「あー、やめやめ。今日の夕飯は何だろ?」
「あああああああ伏線張った部分とか訊かないのかよくそ物書きがあああああ」



           ☆☆☆



 ラッシーは夕飯を食べながら思い出す。この病棟には、お姫様が住んでて隠し扉を開くと、いや、鏡をすり抜けると、バーンとお姫様が出てくる、という噂があるっていうのを。噂? 誰がそんな噂を? お姫様?
姫ってなに? まーいーや。明日試そう。お姫様捜しをするのだ。きっとそれは面白い、首を刎ねられるほどに。って、それはもしも、明日も、今日考えていたことを覚えていたらの話だ……。
 考えながら、思考がスリープモードに入っていく。徐々に、凍り付いて。今日も、昨日と同じように。
 そこでラッシーの思考は止まり、ただ、夕飯を食べる。
 そして、どこかで今も、時計の針は進む。
 あれ? どれが『わたしの』現実なんだっけ?


(おわり)
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