第1話 バニーさんがいる夏
文字数 3,195文字
うだるような暑さの中。額の汗を二の腕で拭きながら、学校本館の渡り廊下を歩いて部室棟へ行くと、我が部室の前にダンボールが置かれていた。その大きなダンボールは上部が開いている。そして、ダンボールの中には可愛らしいバニーガールが入っていた。網タイツにレオタード。ウサ耳にしっぽ。顔はアイドルグループにいてもおかしくないレベル。
バニーガールは首から、
「私は捨て兎です。拾って下さい」
と書かれた木製プレートを下げていた。おれの所属する『ヘゴブロック同好会』のドアの目の前でダンボールに詰まったバニーガール。艶めかしい。夏の見せた幻影か。
幻影……、バニーガールはしゃべりだす。祈るようなポーズで。
「私はバニーガールさんなのです。誰も拾ってくれないのです。私のをいっぱいいっぱい使って下さるとうれしいので……んげふぅッ」
おれは思わず鳩尾にパンチを入れて、卑猥なことをしゃべり出しそうなその口を強制的に黙らせた。新手の刺客とみて良いな?
「ふぅ……」
刺客を仕留めたおれは、額の汗を拭く。暑くて目眩がする。
しかし、これはまずいぜ。紳士的なおれはともかく、他の男子生徒、即ち野獣先輩どもの手にこのバニーが渡ると極めてデンジャーだ。ふむ。おれが手厚く保護しよう。
そう決めたおれは、バニーガールファッションの小娘をダンボールから拾い上げ、我が部室に招き入れることにした。
「あなたはブロック遊び大好きさんなのですね!」
絶対に一線を引かれて冷たい目で見られると思ったら、意外にヘゴブロックに食いついてきたこの小娘。当然と言えば当然か。ヘゴブロックは、頑張れば大体の物は再現できてしまう高性能の、魔法のブロック型玩具なのだから。そこら辺のプラモデルになんぞ負けん。
ヘゴブロック同好会、部室。
部員はおれ一名で運営している。
ふふん。一人で運営してるなんてすげぇだろ。
クーラーの音がブウウウゥゥゥンと響く。
そんな我が部室内では、無理矢理連れ込んだ(と言うと語弊がある)バニーガールがヘゴブロックに首ったけになっていた。
バニーが前屈みになっておれがつくったティラノサウルスのブロックに見入る。
見ているバニーの方を向くと、目のやり場に困ってしまい、おれは挙動不審に目を泳がせた。
前屈みの時の胸元を見たらなにやら見えてしまいそうだし、屈んだ後ろ姿に目を移すと、バニーのしっぽがちょこんとはえてる、強調されたお尻を見ることになる。
正直言って、ドキドキする。
目を泳がせながらも、目をそらすことが、おれには出来ない。
うちの学校全体を考えても、このおかしなバニーガールの美人さは群を抜いてトップクラスだった。アイドルみたいなツラしてんだもん。
いや。
そもそもこいつ、うちの学校の生徒なのか?
「ブロックで何をブロックしているのですか」
「ん?」
いきなり哲学入っちゃってる質問が来た。おれは、うーん、うーん、と唸って悩む。
「私のこともブロックしちゃうのですかぁ」
「いきなり飛躍したな」
「私はブロックしませんよぉ。入っていいんですよぉ。なんならブロックごと入ってもいいんですよぉ」
哲学過ぎて何が何を何するのかさっぱりわからない。哲学過ぎて言葉の意味は掴めなかったが、おれにもわかったことがある。それは、このバニーが意味不明な言動をする本物の危険人物であるか、もしくは映画研究会やカメラ部が用意したハニートラップである、ということだ。新手の刺客。トラップ。
トラップ? そう、これはトラップ! おれは! おれはハメられたんだ! ハメられたんだぞ! いや、ハメるんだ! ハメるかハメられるかの瀬戸際なのだ! いや、しかし平常心だ。助平常心(そんな言葉はない。仮に『すけべぇじょうしん』と呼ぼう。常に心に助平を……って、なんじゃそりゃ)じゃないぞ。
おっと。取り乱してはいけない。
「えーっと、名前、訊いていいかな」
平常心、平常心。名前を訊いちゃうもんねー。
「私は、バニーさんなのです!」
ダメだこいつ。人の話聞いちゃいねぇ。名前を訊いたのに。
「私は、バニーさんなのです!」
繰り返し言いやがった。
大切なことだから二回言ったのか?
「バニーさんですよぉ」
なにがなんだかさっぱりだぜ。
「あなたの音に、バニーさんのウサ耳が共鳴したのです!」
首を傾げてしまう。
「おれの……音?」
いきなり何言っちゃってんだ、こいつ。
「梶井基次郎さんが本屋に檸檬を置いて去って行ったように、あなたは三年前、私のお父様が経営するCDショップに、音を、CDを置いて行きました」
三年前。
おれが出した自主流通盤のCDのことか。
その頃のおれは自主制作のCDを売る音楽イベントに参加していた。作曲をする音楽屋だったのだ。ここらのインディーズCD取扱店にはまだ、おれのCDが置いてあるショップもあるとは思うけど……。
「バニーさんは、耳が音に敏感なのです! あなたはバニーさんの大切なものを盗んで行きました。CDの音源です!」
「……そっか」
ああ、おれのCD、聴いてくれたんだな。あの、在庫が余りまくったCDを。
「なのでバニーさんは、あなたのニンジンさんをご所望なのですよ」
「おれの……ニンジン?」
また何かのメタファーなのだろうか。
「因幡の白兎の逆バージョンです。私がひん剥いてニンジンさんを食べ食べするのです」
どうだ、とばかりに胸を張るバニー。あほかこいつ。それにあれはニンジン食べる話じゃねぇ。
「えーっと、アレかお前。バンギャルって奴か。つまり、追っかけ的な」
「違います! バンギャルではありません。私はバニーさんなのです。捨てられたところをヘゴブロさんが拾ってくれたのですよ!」
「おれの名前はヘゴブロじゃねぇ。ヘゴブロックがイコールでおれと結びついてるのかよ。しかも略してるし。ったく、全然話のスジが見えないんだけど……」
「ぱんつさんが見たいのですね! スジは通します、透け透けなのですっ!」
「スジ違いなことばかり言ってんじゃねーよ。大体この会話、他の奴らに聞かれたらおれは破滅する」
「まどろっこしいのですよ? 私はバンギャルではなくてバニーさんなのです。あなたのお手伝いさんになれます。バニーさんなのですからねっ」
「言ってることが全然わからん」
「バニーさんは強力に協力する助っ人さんなのです」
「言葉遊びされてもわかんないんだけど」
「拾ってくれたのですから、お礼にあなたの活動をサポートすると言っているのですよ?」
「な……、なんだ、と……!」
「ウサ耳で情報は敏感にキャッチ出来るのです。くっそ古い服は捨て、流行を纏うのです。そしてカムバックなのです」
ずっきゅーん、と胸が高鳴る。
「おうっ!」
単純なのーみその奴だ、と笑わないでほしい。バニーの一言でおれはスイッチが入った。
気合いのスイッチだ。
ヘゴブロックで遊んでる場合じゃねぇ!
音楽屋に戻るぞ!
「ヘゴさん、イキますよぉ。そうれ! キャストオフ!」
「お……おおうっ?」
服を脱ぎ捨て……って、おおう? 本当に服を脱がされたんですけど?
(*キャストオフとは、脱衣を指すスラングだよっ!)
「さぁ、バニーさんが味見するのですよ……」
バニーの口元から唾液が垂れる。
「あほかー!」
「ちっちっち。流行に敏感なチャラ男になってしまえば良いのです。今、バニーさんがあなたを立派なチャラ男にしてあげますねっ!」
にじり寄るバニーさん。おれはその影に怯える。
「万事はそれで上手く」
「いかねーよ! ひぃぃぃぃいい」
こうして、夢魔のように襲ってくるバニーさんと過ごす、おれの今年の夏の物語が始まった。
〈了〉
バニーガールは首から、
「私は捨て兎です。拾って下さい」
と書かれた木製プレートを下げていた。おれの所属する『ヘゴブロック同好会』のドアの目の前でダンボールに詰まったバニーガール。艶めかしい。夏の見せた幻影か。
幻影……、バニーガールはしゃべりだす。祈るようなポーズで。
「私はバニーガールさんなのです。誰も拾ってくれないのです。私のをいっぱいいっぱい使って下さるとうれしいので……んげふぅッ」
おれは思わず鳩尾にパンチを入れて、卑猥なことをしゃべり出しそうなその口を強制的に黙らせた。新手の刺客とみて良いな?
「ふぅ……」
刺客を仕留めたおれは、額の汗を拭く。暑くて目眩がする。
しかし、これはまずいぜ。紳士的なおれはともかく、他の男子生徒、即ち野獣先輩どもの手にこのバニーが渡ると極めてデンジャーだ。ふむ。おれが手厚く保護しよう。
そう決めたおれは、バニーガールファッションの小娘をダンボールから拾い上げ、我が部室に招き入れることにした。
「あなたはブロック遊び大好きさんなのですね!」
絶対に一線を引かれて冷たい目で見られると思ったら、意外にヘゴブロックに食いついてきたこの小娘。当然と言えば当然か。ヘゴブロックは、頑張れば大体の物は再現できてしまう高性能の、魔法のブロック型玩具なのだから。そこら辺のプラモデルになんぞ負けん。
ヘゴブロック同好会、部室。
部員はおれ一名で運営している。
ふふん。一人で運営してるなんてすげぇだろ。
クーラーの音がブウウウゥゥゥンと響く。
そんな我が部室内では、無理矢理連れ込んだ(と言うと語弊がある)バニーガールがヘゴブロックに首ったけになっていた。
バニーが前屈みになっておれがつくったティラノサウルスのブロックに見入る。
見ているバニーの方を向くと、目のやり場に困ってしまい、おれは挙動不審に目を泳がせた。
前屈みの時の胸元を見たらなにやら見えてしまいそうだし、屈んだ後ろ姿に目を移すと、バニーのしっぽがちょこんとはえてる、強調されたお尻を見ることになる。
正直言って、ドキドキする。
目を泳がせながらも、目をそらすことが、おれには出来ない。
うちの学校全体を考えても、このおかしなバニーガールの美人さは群を抜いてトップクラスだった。アイドルみたいなツラしてんだもん。
いや。
そもそもこいつ、うちの学校の生徒なのか?
「ブロックで何をブロックしているのですか」
「ん?」
いきなり哲学入っちゃってる質問が来た。おれは、うーん、うーん、と唸って悩む。
「私のこともブロックしちゃうのですかぁ」
「いきなり飛躍したな」
「私はブロックしませんよぉ。入っていいんですよぉ。なんならブロックごと入ってもいいんですよぉ」
哲学過ぎて何が何を何するのかさっぱりわからない。哲学過ぎて言葉の意味は掴めなかったが、おれにもわかったことがある。それは、このバニーが意味不明な言動をする本物の危険人物であるか、もしくは映画研究会やカメラ部が用意したハニートラップである、ということだ。新手の刺客。トラップ。
トラップ? そう、これはトラップ! おれは! おれはハメられたんだ! ハメられたんだぞ! いや、ハメるんだ! ハメるかハメられるかの瀬戸際なのだ! いや、しかし平常心だ。助平常心(そんな言葉はない。仮に『すけべぇじょうしん』と呼ぼう。常に心に助平を……って、なんじゃそりゃ)じゃないぞ。
おっと。取り乱してはいけない。
「えーっと、名前、訊いていいかな」
平常心、平常心。名前を訊いちゃうもんねー。
「私は、バニーさんなのです!」
ダメだこいつ。人の話聞いちゃいねぇ。名前を訊いたのに。
「私は、バニーさんなのです!」
繰り返し言いやがった。
大切なことだから二回言ったのか?
「バニーさんですよぉ」
なにがなんだかさっぱりだぜ。
「あなたの音に、バニーさんのウサ耳が共鳴したのです!」
首を傾げてしまう。
「おれの……音?」
いきなり何言っちゃってんだ、こいつ。
「梶井基次郎さんが本屋に檸檬を置いて去って行ったように、あなたは三年前、私のお父様が経営するCDショップに、音を、CDを置いて行きました」
三年前。
おれが出した自主流通盤のCDのことか。
その頃のおれは自主制作のCDを売る音楽イベントに参加していた。作曲をする音楽屋だったのだ。ここらのインディーズCD取扱店にはまだ、おれのCDが置いてあるショップもあるとは思うけど……。
「バニーさんは、耳が音に敏感なのです! あなたはバニーさんの大切なものを盗んで行きました。CDの音源です!」
「……そっか」
ああ、おれのCD、聴いてくれたんだな。あの、在庫が余りまくったCDを。
「なのでバニーさんは、あなたのニンジンさんをご所望なのですよ」
「おれの……ニンジン?」
また何かのメタファーなのだろうか。
「因幡の白兎の逆バージョンです。私がひん剥いてニンジンさんを食べ食べするのです」
どうだ、とばかりに胸を張るバニー。あほかこいつ。それにあれはニンジン食べる話じゃねぇ。
「えーっと、アレかお前。バンギャルって奴か。つまり、追っかけ的な」
「違います! バンギャルではありません。私はバニーさんなのです。捨てられたところをヘゴブロさんが拾ってくれたのですよ!」
「おれの名前はヘゴブロじゃねぇ。ヘゴブロックがイコールでおれと結びついてるのかよ。しかも略してるし。ったく、全然話のスジが見えないんだけど……」
「ぱんつさんが見たいのですね! スジは通します、透け透けなのですっ!」
「スジ違いなことばかり言ってんじゃねーよ。大体この会話、他の奴らに聞かれたらおれは破滅する」
「まどろっこしいのですよ? 私はバンギャルではなくてバニーさんなのです。あなたのお手伝いさんになれます。バニーさんなのですからねっ」
「言ってることが全然わからん」
「バニーさんは強力に協力する助っ人さんなのです」
「言葉遊びされてもわかんないんだけど」
「拾ってくれたのですから、お礼にあなたの活動をサポートすると言っているのですよ?」
「な……、なんだ、と……!」
「ウサ耳で情報は敏感にキャッチ出来るのです。くっそ古い服は捨て、流行を纏うのです。そしてカムバックなのです」
ずっきゅーん、と胸が高鳴る。
「おうっ!」
単純なのーみその奴だ、と笑わないでほしい。バニーの一言でおれはスイッチが入った。
気合いのスイッチだ。
ヘゴブロックで遊んでる場合じゃねぇ!
音楽屋に戻るぞ!
「ヘゴさん、イキますよぉ。そうれ! キャストオフ!」
「お……おおうっ?」
服を脱ぎ捨て……って、おおう? 本当に服を脱がされたんですけど?
(*キャストオフとは、脱衣を指すスラングだよっ!)
「さぁ、バニーさんが味見するのですよ……」
バニーの口元から唾液が垂れる。
「あほかー!」
「ちっちっち。流行に敏感なチャラ男になってしまえば良いのです。今、バニーさんがあなたを立派なチャラ男にしてあげますねっ!」
にじり寄るバニーさん。おれはその影に怯える。
「万事はそれで上手く」
「いかねーよ! ひぃぃぃぃいい」
こうして、夢魔のように襲ってくるバニーさんと過ごす、おれの今年の夏の物語が始まった。
〈了〉