第74話 告白2

文字数 1,833文字

 佐野さんがずっと庭を見ていたので、僕はキッチンに行って飲み物の準備をした。お湯が沸いたので、インスタントコーヒーの粉とカップを三つ、やかんを持ってダイニングに移動した。カップにコーヒーの粉とお湯を入れ、テーブルに置いて二人に促した。佐野さんはイスに座って静かに飲んだ。光はソファに横になった。

「あの、佐野さん」
「はい」
「あの日、樹は悠也を逃がそうとしました」
「えぇ、そうですね。あの日は雪が降って寒かったですねぇ」
「……あの……」
「あの子をどこに逃がすつもりだったのか?と聞きたいのですね?」

僕はイスに座って佐野さんの目の前に置いてあるカップを見つめた。

 「あの子の父親が、嶽上だと言うのはご存じですね。そう、団長です。彼の故郷はニッポンではありません。もっと北にある、雪の降る国。そこには彼のお兄さんが生きてましてね、そのお兄さん……、いや、血は繋がっていませんが、彼が『兄』と慕った人がいましてね、そのお兄さんにあの子を引き渡す準備をしていました。
 強引にさらって連れて行っても良かったんですけど、樹は『だめだ』と言いましてね」
「悠也が、あの時樹についていっていたら、死ぬことはなかったんですか」
「ついていかなくても、次の日のあの騒動の中に紛れて強引に連れて行く予定でした。炎に包まれて、死んだことにしてしまえば良かったんです。ですが、あの子は優秀過ぎて捕まえることができなかった。あの子の彼女も一緒に連れて行くつもりでしたが、彼女は我々を見た途端、どこで見つけたのか、ナイフで自分の腹を裂いたそうです。
彼も自殺してしまった。計画は大きく狂いました」

淡々と話す佐野さんを見て、少し怒りを感じた。

「なぜ、彼だけを生かそうとしたんですか」
「チャイルドソルジャーは、この島国にいれば必ず消されます。そんな暴挙は許さない。俺たちがどれだけ辛く、苦しく、悲しい思いをしたか……。あの子の頭にはチップが入ってませんからね、逃がしやすいと思いました。親が外国の人間で、その人もいい人です。賢いあの子なら大丈夫だと思ったんです」
「ちょっと待ってくれ大佐、なんで俺は生きてるんだ。俺はチャイルドソルジャーだったし、頭にチップを埋め込まれてるはずだろ?」
「光は運が良かった」
「運?」
「お前に入ってるチップ、不良品だ。いや、本当、幸運だったな」

 佐野さんが笑った。彼の目の前に置いたコーヒーから立ち上る湯気が小さく乱れた。僕は庭の見える窓を開けた。ほんのり甘くて爽やかな空気を体中に取り込んだ。暖かい風が僕に当たってすり抜けていくのを感じた。その風はきっと、佐野さんや光にも届いたはずだ。

 「巽さん、次はあなた自身の話です」

そう言ったのはもちろん佐野さん。僕は生唾を飲んだ。

「あなたをここから逃がします」

僕の心臓が大きく揺らいだ。

「はい?」
「この国の歴史の語り部になって欲しいんです。その為にはそれを話す機会がいる。この国では、その機会は一生来ませんので」
「それは、光じゃダメなんですか?」
「お断りしまーす」
「だそうです」
「どうして光?君が一番分かってるはずだ」

光がソファから起き上がった。

 「話してすっきりするんなら、俺だってガンガン話すさ。でも、こればっかりは話せば話すほど苦しくなるだけなんだ。なんていうか、憂鬱というか、苦しくなったら次は手首を切り刻むどころか、手首を切り落とすかもしれない。

 たまにな、気が狂いそうになるんだ。『生きて償うってなんなんだ。生きてどうやって償えばいいんだろう』って、今はもう分からなくなったよ。今まで俺は、生きて償ってる『つもり』だったんじゃないかってね」

 僕の心に何かが刺された気がした。その痛みは、胸の奥から全身へと広がって波打った。

「巽さん、時間はありません。来週になれば、公安部隊がここへ来るでしょう。身柄を拘束されれば、命は無いと考えてください」
「なんで僕が」
「先日、戦犯の家族も拘束するように指令が出ています。おそらく、今後反乱が起こらないようにするために」
「そんな……」
「あなたに選択の余地はありません。明後日の朝、迎えに来ます。それまでに支度を整えてください」

佐野さんは席を立った。

「あ、そういえば、首の後ろの痛みは治りました?」
「首の後ろ?」
「あの時は手荒なことをしました。すみませんでした」

 彼は家を出て行った。僕はしばらくダイニングから動けなかった。窓から入る風は、変わらずほんのり甘くて、僕の首の後ろをかすめていった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み