第40話 帰る

文字数 970文字

「音楽プレーヤー?イヤホン付いてないわね」
「うん……持ってる?イヤホン」
「待って」

椿は、自分のバッグを探り始めた。結構な大きさのバッグには何が入っているんだろう?色々入ってるみたいで、物と物がぶつかり合う音がせわしなく聞こえた。

「ごめん、家に置いてきたみたい」
「そっか」

僕は、もう一度ポケットを探ってみた。すると、裏ポケットから紙きれが一枚入っていた。そして、何気なく見てみると、何か書いてあった。

めしうまかった ゆうをたのむ かぜをひかないように 樹

これを見て、僕は樹が帰ってこないと確信した。思わずため息をついて、下を向いた。

「……僕、明日施設に戻るよ」
「え、もう?」
「うん、あの子に会わなきゃ」
「そ、そう……、そっか……、分かったわ」

椿が大きく肩を落としたのが分かった。

「あ、おじさんが待ってるんだよね?行こうか」
「う、うん」

 僕達は、彼女の家に向かった。

 その日の夜のことは、あまりよく覚えていない。酒を飲んで酔っ払ってしまって、目が覚めた時には、椿の部屋の床に、横になっていた。

夜明け前だったので、少し寒かった。僕の上にかけてあった布団を剥ぎ取り、自分のベッドで小さく丸くなっている椿に、それをかけた。

そして僕は、彼女の部屋を出た。

 椿の家は病院だ。家の隣に病院があって、入院患者もいる。まだ朝が早いので、病院の電気は最低限しかついてない様だったが、この家では、朝早くから朝食の準備やら何やらやっていた。

 家の外に出ると、タバコを吸っている椿の父親が、ボサボサ頭で立っていた。

「お、おはようございます」
「お?起きたか酔っ払い」

お医者さんであり、今の僕に導いてくれた先生でもあるおじさんは、相変わらずの垂れた目尻をさらに下げ、カッカッと笑った。それにつられて、僕も笑った。

「昨夜はお世話になりました」
「お、うまかったか?」
「はい」
「ハハハ……。そうかそうか」
「あの、僕、そろそろ戻ります」
「もう帰るのか」
「はい」
「いつ、あっちに行くんだ?」
「今日、出ます」
「……そうか」

今の今まで笑顔だったおじさんの顔は、小さく微笑むように、穏やかな顔になった。

僕はおじさんと少し話して、お礼を言って椿の家を出た。

 自宅に戻って、荷物をまとめた。その中に、樹が置いていった物も一緒に入れて、バイクにまたがり、エンジンをふかして、町を後にした。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み