第29話 別れからのスタート
文字数 2,434文字
一ヶ月が過ぎた。外はめっきり寒くなり、雪がチラチラと降る日が続いた。
悠也はというと、十月のあの頃よりは明るさを取り戻し、真紀ちゃんの部屋に出入りするようになった。
真紀ちゃんは、部屋で寝込むことが増えた。部屋から出ればすぐに咳き込み、熱を出す程に体が弱っていた。そんな彼女の隣には、いつも悠也がいた。
真紀ちゃんの担当看護師も、二人の関係を見守ってくれた。そして、部屋での様子をいつも教えてくれた。
ベッドに入っている真紀ちゃんを、横で見守っている悠也。何かすることはなく、ただ無言で見つめてるだけらしい。
看護師が部屋から出ると、悠也の話し声と真紀ちゃんのかすかな笑い声が聞こえるそうで、何を話しているのかは分からない。
でも、窓からこっそり見ると、二人は本当に仲が良く、見ているこっちの心が暖かくなるような、そんな気分になるって、言ってた。
またこの頃、嬉しい事があった。亮が家族に引き取られることになったんだ。
三ヶ月前、亮の家族が見つかった。家族も亮を探していたらしく、亮をここで預かっていることを言うと、大いに喜ばれた。
亮と面会させると、家族は涙を流しながら彼を抱きしめた。
「よかった、心配で心配で……、でも、やっとホッとした」と父親。
「あんなに小さかったのに、大きくなったわね」と母親。
頬をすり寄せて、再会を噛み締めていた。
亮は、感情の表現に困りながらも、両親に体を預けた。
僕は嬉しかった。また一人、救うことができた。また一人、新しい人生を歩めるーー。僕だけじゃなく、この施設にいる人たちは皆、自分の事のように喜んだ。
別れの朝。亮は泣きついて僕を離さなかった。
「兄ちゃんと離れたくない」って、嬉しい事を言ってくれたものだから、僕は涙ぐんじゃった。僕は亮に言い聞かせた。
「亮は、お父さんとお母さんのところに帰りたくないの?」
「か、帰りたいよ……グス……」
「うん、じゃあ帰ろうよ。僕はずっとここにいるよ。これからも、いつでも会えるから、お家に帰りな」
「う、うん、グス……」
その時の、亮の涙まじりで腫れぼったい目は、陽の光に照らされて、今まで見たことないくらいにキラキラと輝いていた。
最後には、亮はいつもの満面の笑みでここを出ていった。その時、亮の友達や、悠也や、俊輔、哲も駆けつけてくれた。
「みんなー、バイバーイ」
「バイバーイ」
「もう戻ってくるなよー」
「また遊ぼうぜー」
「元気でなー」
「さよーならー」
手を大きく振り、母親と手を繋ぎ歩いていく亮。両親は何度も頭を下げ、お礼を言って出ていった。
これで終わりじゃない。これからが、亮の新たな人生の始まりだ。別れから始まるスタートーー。幸の多い人生にしてほしいと、僕は心からそう願った。
この時期から、ここにいる子ども達が身内の人たちに引き取られるようになっていった。逆に、ここに入ってくる子どもは減っていき、この施設に残る子ども達は、日に日に少なくなっていった。
そんな中でも、身内の見つからない子も少なくない。
だからと言って、このまま施設に置くわけにもいかないので、いろいろな孤児院に依頼するけど、うまくはいかなかった。
子どもとはいえ、元は兵士だった子ども。つい最近まで、大人達に強制され、操られ、命令されて人を殺してきた人間を、快く引き取ってくれるところはほとんどなかった。
いくらこの施設で『人間らしさ』を取り戻したと言っても、心の奥底にまで染められた兵士の心や、殺戮という闘争本能を全て取り除くことはできず、一部の子は、ちょっとした些細な出来事で、その心を呼び覚ましてしまう。
その出来事を境に、子ども達は兵士の頃の自身に戻ってしまい、暴力に走ったり、麻薬に走ったりすることがある。そうなると、社会に馴染むことはできず、大人になって、また兵士として働く子も多いという。または、街に放り出されて、結局、ギャングになったり、売春婦になる子もいる。
暴力の中で生きて暴力の中で育った、人間らしさを失った子ども達は、一生、その深い傷と悲しい過去を背負って生きていかないといけない。
身寄りのない子ども達は、この施設を離れていく子ども達を、ただ見つめるしかなかった。その度に、「自分の番はいつだろう」と呟く子ども達を見ていると、辛かった。そして、「きっと帰れるよ」と確信のない言葉を言って励ました。
それが、この時の僕にできる精一杯の嘘だった。
俊輔と哲も、身内がまだ見つからなかった。
二人は幼馴染で、どちらも家族を亡くしている。行く当てもなく、当時、空腹に耐えられなくなった二人は、揃って兵士を志願したそうだ。
この時二人は十六歳。常に苦楽を共にしてきた。
ここに来た時の二人は互いの身を寄せ合い、僕達を虚ろな目で見つめていたのを覚えてるよ。傷だらけで、大人に捨てられて、食べるものがなかったから、そこらへんに生えていた草を食べて飢えを凌いでいたという。
哲は左腕をなくしていた。そのことを哲に聞いたら、「命令に従わなかったから、切り落とされて捨てられた」と言った。
俊輔は眉間から左頬にかけて、大きな切り傷を負っていた。哲を庇ってできた傷らしい。そして俊輔は、腹部にナイフが刺さったまま保護された。
二人は、「俺たちは二人で一人、一人が二人だ」って言ってたことがあった。僕は納得した。そして、とても仲のいい二人を羨ましく思った。
戦争が終わって、少しずつ子ども達にも救いの手が差し出されてきたと思った。
でも、これで平和ではない。『平和は、戦争がないから平和ということではなく、心の状態を言う』と誰かが言った言葉がある。まさに以前、俊輔が言っていた『俺たちの戦いは、まだ終わっていない』と言ったことと一緒だった。
戦争は終わったけど、子ども達は麻薬と戦い、過去と戦い、孤独と戦い、心の闇と戦い続けなければならなかった。
僕が見た限り、この施設にいる子は皆、戦い続けていたよ。僕達大人も、毎日子ども達の肉親を探し続けた。
悠也はというと、十月のあの頃よりは明るさを取り戻し、真紀ちゃんの部屋に出入りするようになった。
真紀ちゃんは、部屋で寝込むことが増えた。部屋から出ればすぐに咳き込み、熱を出す程に体が弱っていた。そんな彼女の隣には、いつも悠也がいた。
真紀ちゃんの担当看護師も、二人の関係を見守ってくれた。そして、部屋での様子をいつも教えてくれた。
ベッドに入っている真紀ちゃんを、横で見守っている悠也。何かすることはなく、ただ無言で見つめてるだけらしい。
看護師が部屋から出ると、悠也の話し声と真紀ちゃんのかすかな笑い声が聞こえるそうで、何を話しているのかは分からない。
でも、窓からこっそり見ると、二人は本当に仲が良く、見ているこっちの心が暖かくなるような、そんな気分になるって、言ってた。
またこの頃、嬉しい事があった。亮が家族に引き取られることになったんだ。
三ヶ月前、亮の家族が見つかった。家族も亮を探していたらしく、亮をここで預かっていることを言うと、大いに喜ばれた。
亮と面会させると、家族は涙を流しながら彼を抱きしめた。
「よかった、心配で心配で……、でも、やっとホッとした」と父親。
「あんなに小さかったのに、大きくなったわね」と母親。
頬をすり寄せて、再会を噛み締めていた。
亮は、感情の表現に困りながらも、両親に体を預けた。
僕は嬉しかった。また一人、救うことができた。また一人、新しい人生を歩めるーー。僕だけじゃなく、この施設にいる人たちは皆、自分の事のように喜んだ。
別れの朝。亮は泣きついて僕を離さなかった。
「兄ちゃんと離れたくない」って、嬉しい事を言ってくれたものだから、僕は涙ぐんじゃった。僕は亮に言い聞かせた。
「亮は、お父さんとお母さんのところに帰りたくないの?」
「か、帰りたいよ……グス……」
「うん、じゃあ帰ろうよ。僕はずっとここにいるよ。これからも、いつでも会えるから、お家に帰りな」
「う、うん、グス……」
その時の、亮の涙まじりで腫れぼったい目は、陽の光に照らされて、今まで見たことないくらいにキラキラと輝いていた。
最後には、亮はいつもの満面の笑みでここを出ていった。その時、亮の友達や、悠也や、俊輔、哲も駆けつけてくれた。
「みんなー、バイバーイ」
「バイバーイ」
「もう戻ってくるなよー」
「また遊ぼうぜー」
「元気でなー」
「さよーならー」
手を大きく振り、母親と手を繋ぎ歩いていく亮。両親は何度も頭を下げ、お礼を言って出ていった。
これで終わりじゃない。これからが、亮の新たな人生の始まりだ。別れから始まるスタートーー。幸の多い人生にしてほしいと、僕は心からそう願った。
この時期から、ここにいる子ども達が身内の人たちに引き取られるようになっていった。逆に、ここに入ってくる子どもは減っていき、この施設に残る子ども達は、日に日に少なくなっていった。
そんな中でも、身内の見つからない子も少なくない。
だからと言って、このまま施設に置くわけにもいかないので、いろいろな孤児院に依頼するけど、うまくはいかなかった。
子どもとはいえ、元は兵士だった子ども。つい最近まで、大人達に強制され、操られ、命令されて人を殺してきた人間を、快く引き取ってくれるところはほとんどなかった。
いくらこの施設で『人間らしさ』を取り戻したと言っても、心の奥底にまで染められた兵士の心や、殺戮という闘争本能を全て取り除くことはできず、一部の子は、ちょっとした些細な出来事で、その心を呼び覚ましてしまう。
その出来事を境に、子ども達は兵士の頃の自身に戻ってしまい、暴力に走ったり、麻薬に走ったりすることがある。そうなると、社会に馴染むことはできず、大人になって、また兵士として働く子も多いという。または、街に放り出されて、結局、ギャングになったり、売春婦になる子もいる。
暴力の中で生きて暴力の中で育った、人間らしさを失った子ども達は、一生、その深い傷と悲しい過去を背負って生きていかないといけない。
身寄りのない子ども達は、この施設を離れていく子ども達を、ただ見つめるしかなかった。その度に、「自分の番はいつだろう」と呟く子ども達を見ていると、辛かった。そして、「きっと帰れるよ」と確信のない言葉を言って励ました。
それが、この時の僕にできる精一杯の嘘だった。
俊輔と哲も、身内がまだ見つからなかった。
二人は幼馴染で、どちらも家族を亡くしている。行く当てもなく、当時、空腹に耐えられなくなった二人は、揃って兵士を志願したそうだ。
この時二人は十六歳。常に苦楽を共にしてきた。
ここに来た時の二人は互いの身を寄せ合い、僕達を虚ろな目で見つめていたのを覚えてるよ。傷だらけで、大人に捨てられて、食べるものがなかったから、そこらへんに生えていた草を食べて飢えを凌いでいたという。
哲は左腕をなくしていた。そのことを哲に聞いたら、「命令に従わなかったから、切り落とされて捨てられた」と言った。
俊輔は眉間から左頬にかけて、大きな切り傷を負っていた。哲を庇ってできた傷らしい。そして俊輔は、腹部にナイフが刺さったまま保護された。
二人は、「俺たちは二人で一人、一人が二人だ」って言ってたことがあった。僕は納得した。そして、とても仲のいい二人を羨ましく思った。
戦争が終わって、少しずつ子ども達にも救いの手が差し出されてきたと思った。
でも、これで平和ではない。『平和は、戦争がないから平和ということではなく、心の状態を言う』と誰かが言った言葉がある。まさに以前、俊輔が言っていた『俺たちの戦いは、まだ終わっていない』と言ったことと一緒だった。
戦争は終わったけど、子ども達は麻薬と戦い、過去と戦い、孤独と戦い、心の闇と戦い続けなければならなかった。
僕が見た限り、この施設にいる子は皆、戦い続けていたよ。僕達大人も、毎日子ども達の肉親を探し続けた。