第10話 広場3

文字数 1,766文字

 部屋で彼を椅子に座らせた。ココアを入れて、彼に差し出した。

 この部屋は僕と光の部屋。僕達は二人で一部屋を使う。いつも生活をする部屋だ。

 彼はずっと嗚咽をあげていた。僕も、椅子に座って彼と対峙した。しばらく何も喋らなかった。何と声をかけようか考えたんだ。すると、光がやってきた。

「巽」
「光、あの子は?」
「今から大きな病院に移すんだと。ここでの治療は難しいらしい」
「……そっか」
「彼が?」
「うん」

光は彼を見た。そして近づいて、彼の首に手をやった。すると彼は、拒否をするように光から離れようとした。

「巽、首にアザがある」
「え?」

僕も彼の隣に移動して首を見た。首を絞められたような、手のあとがあった。

「気付かなかった」
「喧嘩したのか。何か理由があるみたいだな」

 その話をしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。扉が開き、女性の看護師の宇佐美美紅(うさみみく)と、スキンヘッドの女の子が入ってきた。

「この子が一部始終を見てたそうよ。話してくれるって」

宇佐美さんと女の子は僕のベッドに座った。その子が口を開いた。

「この人が隅のテーブルに座っていたとき、男の人がやってきて何か話してたの。この人が無視したら、そしたらあの男の人、この人を襲って首を絞めたの。それから、それから……この人が、男の人の、顔を……」
「うん、わかった」

僕はたまらず、この子の話を遮った。この子が涙目になりながら懸命に話しているところを見ていられなかったんだ。

「お話ししてくれてありがとう、ごめんね」

僕はそう言って、この子の肩に手を置いた。この子は話を続けた。

「でも、この人はとても優しいよ。この前、私の帽子が風で飛ばされて木に引っかかった時、この人、木に登って取ってくれたの」

女の子は少し笑顔になった。

「この人も兵士だったんでしょ?でも、この人は怖くないよ。いい人よ」

部屋には、悠也のすすり泣く音が響いていた。

「そっか、教えてくれてありがとう。君、名前は?」

光が聞いた。

「私、真紀(まき)
「真紀ちゃんか。ほんと、ありがとね」
「うんっ」
「じゃ、行こっか」

真紀ちゃんと宇佐美さんは部屋を出た。悠也はだいぶ落ち着いたみたいだった。

 僕はココアを飲んだ。光は窓を開けた。外は雨が降っていた。風は無い。それでも外から、土混じりの雨の匂いが湿気と一緒に入ってきた。
光は悠也の隣に座った。

「なぁ」

悠也はそっぽを向いた。

「何で傷付けたんだ?」
「……」

僕はココアを飲み終えた。

「悠也、ココア、美味しいよ」

彼は、何も言わず僕を上目使いで見た。そして、ココアを一口、ゆっくりと飲んだ。

 しばらく部屋が静かになった。雨が地面を打つ音だけが聞こえた。

「悠也は、自分が殺されると思ってあの子を傷付けたの?」

すると悠也は小さく頷いた。

「死にたくなかった?」

また小さく頷いた。

「悠也、僕を見て、顔をこっちに向けるんだ」

彼はゆっくりと顔を向けて、僕の目を見た。

「なぜ人には口があると思う?なんで人には耳があると思う?」

悠也は僕から目をそらした。

「人はね、話をするために口があって、話を聞くために耳があるんだ」

部屋の窓から、ぬるい風が吹いてきた。光が慌てて窓を閉めた。

「次からは、どうやって人を傷つけずに自分の意思を伝えたらいいのか、一緒に考えよう」
「傷、つけず?」

悠也がやっと口を開いた。

「そう、手を挙げず、力でねじ伏せることなく、自分の意思をきちんと伝えるんだ。人を傷つけても恨みを買うだけ、苦しい痛みを貰うだけだよ。そうならないように、一緒に考えよ。いいね」
「……そしたら」
「ん?」
「……そしたら、大人になれる」
「それはどうだろう。大人には責任がつきまとう。言葉一つ、行動一つにしてもね。それが分かれば、大人かな」

彼は少し首を傾げた。

「まぁ、後でわかるよ」

悠也はココアを飲んだ。すっかり落ち着いたみたいだ。僕らのやりとりを見ていた光は感心したらしい。

「こいつが巽にしか懐かない理由が分かったかも」
「え?」
「あんたは、とびきり甘い。甘やかしが上手いな」
「せめて『優しい』と言ってくれ」

僕と光は笑った。

 僕は悠也を、彼の部屋に戻した。光は仕事に戻った。僕が部屋を出て行こうとした時、悠也は小さく言った。

「俺は」
「ん?」
「……俺は……俺は……」

悠也は下を向き、動かなくなった。

 僕は、彼に微笑みかけて部屋を出た。
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