第7話 春

文字数 1,306文字

 それからも彼は、部屋から出ることはなかった。

 三ヶ月が経った。外は木々が生い茂り、花が咲き、鳥が飛び回っている。春が来たんだ。

 彼は、保護した時に比べてだいぶ落ち着いていた。でも夜になるとうなされているみたいで、いつも目の下にクマを作っていた。
昼間は相変わらず、窓の外を見ていた。少しずつ会話もできた。といっても、森にイタチがいた。とか、木の上にリスがいた。とか、そんな事ばかり。

でも、僕以外の看護師や医者には何も喋らず、そっぽを向くばかりらしい。カウンセラーがなんとか話をしようとしても、何も話さないんだとか。

そんなある日。僕は、彼の包帯とガーゼを全て取り外した。

「傷は全て治ったね。時間はかかったけど、無事に治ってよかった」

取り外した包帯とガーゼをゴミ箱に入れた。

 外。と、彼は言った。

「外、出たい」

僕は彼を、この施設の服ーー、っと言っても、真っ白いワンピースパジャマに着替えさせて、部屋の外に出た。日は眩しくて、暑苦しかった。

「春なのに暑いね」

僕は額に手をやって軽く笑った。彼は、ピクリともしなかった。

「行く?」

彼は、首を縦に振った。

 ゆっくりと森に向かった。施設を出て、僕はタバコに火をつけた。その途端、彼は僕のくわえていたタバコを奪って、自分の口に入れた。

「あ……」

彼は、慣れた手つきでタバコをふかした。

「これで最後にしなさい。タバコは子供の体に悪いよ」
「……ヤダ」

口から煙を吐き出した。

良い子の皆は、タバコは二十歳を過ぎてから吸いましょう。

 風が吹いた。草花や木々が、さやさやと音を立てた。彼はその音に耳を傾けて、その虚ろな目をゆっくり閉じた。
彼はタバコを吸い終わった。僕はタバコを取り上げ、灰ケースにしまった。

「思い出すかい?ここで自分が倒れていた時のこと」

彼は口を開かない。暫く、草花たちの音が僕達を包んでいた。それと同時に、花々の匂いが、どこから漂う梅の花の匂いと一緒にやってきた。

「まだ、ここにいる?」

彼は首を縦に振った。僕達は日が暮れるまでそこにいた。

 施設に戻った僕は怒られた。

「今までどこに行ってたの」
「あの、彼と一緒に森へ……」
「それならそうと、きちんと言ってよ」
「す、すいません」
「このご時世、何があるか分からないのよ。心配かけないでよね」
「す、すみません」

僕は頭を下げた。僕の後ろに立っていた彼も、僕の真似をして頭を下げた。

 彼を部屋に送った。彼はベッドに座った。そして、口を開いた。

「……ごめん」
「ん?」
「怒られた。悪かった」

そう言って彼は、ベッドに横になった。

「……楽しかった?久々の外」
「ん」
「うん、僕は嬉しいよ。怒られたのは君のせいじゃないし、僕も楽しかった」

僕は部屋を出た。

 彼は、次の日も、また次の日も、外に出たいと言った。僕も、周りの人に言って彼と一緒に外に出た。行く先はいつも森。彼はいつもそこで、目を閉じていた。

僕はいつも、草の上に座って木にもたれて本を読んで……、いつもそんな感じ。彼は何も言わないけど、僕にだけは、慣れてきたみたいだった。

彼の名前は、矢城悠也(やしろゆうや)と言うそうだ。世間からは、『小鬼』と呼ばれるらしい。彼は、そのことが嫌いだったそうだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み