連れ帰る
文字数 3,241文字
「君はシヴィリアン・スタッフだから、管理局に申請を出す。境界州ベースで該当するスタッフの欠員があれば、すぐに移れる」
「どのくらいかかるのかしら……欠員がなかったら、空きがでるまで待たないといけないのね?」
「境界州は軍関係ならつねに補充を求めているから、すぐなんだけど。管制官のアンディや技術局のエリンも早かったな。
事務職は欠員が出にくいし、移動もほとんどないから、ちょっと時間がかかるかもしれない」
「移れないこともあったりする?」
「それはないと思うけど……」
「でも待たないといけないのね」
マリアが不安そうな顔をする。
「スティーヴはもう帰ってしまうんでしょ?」
「うん 僕もいろいろ考えたんだけど……もっと早くて確実な方法もある」
「ほんと?」
「結婚するんだ 僕と——」
マリアが一瞬ぼう然とし、それから色白の頬がばら色に染まる。
「……本気なの?」
「うん。いや?」
「ううん」
マリアがあわてて首を振る。それからスティーヴの背中に腕を回して、胸に頬を押し当てた。スティーヴはマリアを抱き寄せ、その淡い陽光色の髪にキスをした。
「私……自分はずっと独りで生きるんだって思ってたから……誰かを好きになっても、そっと陰から愛するだけで 他の人からの愛情は受け入れるもできずに……でも これからはあなたといっしょにいられるのね」
「うん ずっと——」
「あら スティーヴ……なあに? え?」
リリアがびっくりした顔をする。
「確か ベースの裁判所で証人を3人立てて宣誓すれば、法的な手続きは終わりよ。あとは管理局に書類を提出して……本当に? じゃあそちらは彼女の退職届を出して……」
少しのおしゃべりの後、電話を切ったリリアの表情が上気している。
「何事だ」
ソファにもたれていたタイガーは、ワインのグラスを手にしたまま訊ねた。
「スティーヴが帰って来るんだけど……」
「嫁をつれて来るとかいうんじゃないだろうな」
「そうなの」
タイガーは大笑し、それからグラスの中身を一気に飲み干した。ジュピターが続きをうながすようにリリアの顔を見る。
「それで、私たちに証人になって欲しいって」
「あいつ、そもそも成人年齢だったか」
「ええ 境界州では18歳からだから大丈夫よ」
リリアがうっとりと夢見る表情をした。
「すてき……ほんとにスティーヴだから 純真で、まっすぐで、生きることに迷いのない彼だから……そんなこともできるんだわ」
乗り合いの輸送機の中で、マリアはスティーヴの肩にもたれて窓の外を見ていた。
あまりに大きな決断を短い間にしてしまった。マリアはこれまでの人生をとても慎重に生きてきた。こんな大きな決断を急いでするなんて、思ってもいなかった。
もちろん、他に選択はありえない。スティーヴを思う気持ちを改めて自分の中に感じる。優しい腕がマリアを抱き寄せた。
彼がふいに笑顔になる。
<もうじき着陸だけど リリアとウェイが来てる>
<こんな距離からわかるの?>
<うん 2人の感情が伝わってくるんだ>
輸送機が着陸し、乗り合わせた兵士やスタッフが降りて行く。最後にスティーヴが立ち上がり、マリアが降りるのに手を貸してくれた。
滑走路に降りると、明るいブルーグレーの制服の若い女性が駆け寄って来て、大きく腕を広げてスティーヴを抱きしめた。
「お帰りなさい!」
それから彼女はマリアに温かな笑顔を向け、招くように腕を伸ばした。優しく抱きしめられる。
「私はリリア よろしくね。あなたが来てくれてとってもうれしい」
輸送機から荷物を下ろしかけていたスティーヴが、それを放り出す。同い年くらいの東洋人の士官が、向こうから慌てた様子で走って来る。スティーヴは彼のところに飛んでいき、思い切りハグをしてふり回した。
2人ともなんてうれしそう。
あれがきっと、スティーヴが話していた親友。空軍のブルーの制服が不似合いなぐらいに優しそうな若者。
2人に紹介され、いっしょに建物に向かって歩きながら、リリアがスティーヴに話しかける。
「あなたが帰ってくるのを、みんな待ってたのよ。
私たちだけじゃなくて、訓練官のあなたの先輩たちも。『二度とこういうことをしてくれるな』って、オングストロム曹長から文句言われちゃったわ。内心、あなたを他のベースにとられるんじゃないかと心配だったみたい」
スティーヴが笑いながら頭をかく。
「とりあえずマリアはあなたの部屋に泊るのね?
今晩、ディナーの後に相談して、裁判所に行く日取りを決めましょ。宣誓が済んで管理局に申請を出したら、妻帯者用の広めの部屋をもらえるから。
マリア あなたは料理はする?」
「ごめんなさい 料理は……」
「気にしなくていいよ。リリアは多分その方がうれしいんだ。僕らがリリアのところにご飯を食べに行く回数が増えるから」
「うふふ ばれちゃったわね。マリア あなたの好きな食べ物を教えてね」
誰もがスティーヴのことを大好き。そして彼も自然にそれを受け入れている。
夕方、スティーヴに伴われてリリアの個室に行く。
リビングでは2人の男性がワインを酌み交わしていた。体格のいい、快活そうな東洋人の男性が立ち上がる。きりっとした表情が、2人の顔を見て緩む。
「おお こりゃ見事にお似合いだな。で、能力は何だ?」
「とりあえず接触型のテレキネティックという感じ」
「ほお もっともお前の嫁さんじゃ、7Dに引っ張るわけにはいかんな」
「テレキネティックを集めて部隊を編成するとか、そういうたくらみ?」
「そんなに数がいるものならな」
「テレパスより数は少ないみたいだけど、時間をかければきっともっと集まるよ。もっとも全員が7Dに入りたがるとは思わないけど。
マリア これがジュピターとタイガーだよ」
「お二人のことは聞いてました。スティーヴのお兄さんみたいな方々ですね? 初めまして」
ジュピターと呼ばれた男性はプラチナブロンドの長い髪で、物語か神話の中に出てきそうな美青年だと思った。
「マリアはアルザス生まれだから、ドイツ語もフランス語もできるんだよ。ドイツの近代文学にすごく詳しいんだ」
「では君も紙の本を集めているか?」
「集めるというほどではなくて、少しですけど」
「ノヴァリスは持ってないか?」
「ええ 『青い花』でしたら」
「それを読ませてもらうことはできるか?」
「もちろんです。荷物の中に入っているので、今度、持ってきますね」
「あー お前ら文学オタの集まりか」
「それ言うならタイガーは歴史オタクだよ」
「それで思い出したけど、エリンがね、本の装丁の仕方を覚えて道具も揃えたから、傷んでばらばらになりそうな本があったら製本し直してくれるって。とりあえずはポリエステルの布装丁だけど、皮が手に入れば皮革装丁もできるって」
「すごいな エリンは休みの日も、いつも1人でこつこつ何かやってるけど、そうやって時々びっくりさせてくれるんだ」
——自分以外の誰も興味を持っていないと思っていたこと。そしてスティーヴと出会ってからは、2人の間だけと思っていたいろいろなこと。でもそれは「仲間」たちには当たり前のように共有されている。
リリアは夕食の支度を終えにキッチンに戻り、スティーヴは年上の男性2人と互いに帖ダインを言ったり、からい合って楽しそうに話している。タイガーと呼ばれた男性が時々マリアに話を向けて、会話に引き込んでくれた。
夕食が始まり、出されたオレンジ色のクリームスープを口に入れる。甘いニンジンの香りが口に広がって「おいしい」と思ったとたん、リリアが笑顔になった。「リリアやウェイは共感型のテレパスで、まわりにいる人間の感情を感じとるから」と言われていたのを思い出す。
お互いの心を感じることも当たり前……自分は本当に変異種の仲間たちに囲まれている。
食後のお茶とデザートが終っても、夢のように楽しい時間は続いた。
(ログインが必要です)