ひとりで
文字数 2,672文字
やがて入り口に、すらりとした黒い
すぐにマリアの姿を見つけ、笑顔でテーブルに近づいて来るけれど、少し疲れているのがわかる。
食事の間も何かを考えているように、黙ってスープのスプーンを口に運んでいる。
そんな彼を見つめていると、彼はすぐに視線を上げて目を合わせ、にこりと笑った。
その表情は、出会った時からの優しい彼のままだ。
でも今、彼の心にはたくさんの重いものが乗っている。
優しいひとだからこそ、いつも、みんなのために何が出来るかを考えている彼だからこそ、抱え込んでしまう重荷。
自分にできるのはただ彼を横から支え、見守ること。
個室に戻るとスティーヴはさっとシャワーを浴び、それからベッドに転がる。いくらもしないうちにうとうとし始め、眠りに落ちた。
マリアは薄手のブランケットでそっと彼のからだを覆い、音を立てないようにゆっくりとそばに腰かけた。
眠っている彼の柔らかな金髪を撫でる。
このところ、スティーヴは自分の能力を伸ばすことに夢中だった。
以前は週末にはよく2人で森の中を散歩したり、ベースの外に出かけた。ウェイと3人でDCに行き、美術館で絵を見たり、骨董品屋を回ったり、カフェでお茶を飲んだりすることもあった。
今はすべての空き時間を、スティーヴはアキレウス中佐や、テレキネティックの仲間たちとのトレーニングにつぎ込んでいる。とりわけ大佐と7Dの仲間たちは、じきに番がくればまた前方勤務に出て行ってしまうので、スティーヴはあらゆる機会を捉えてトレーニングに加わった。
「タイガーが参謀部に入ったから、いろいろ融通が利くんだ。屋内の射撃場を貸し切ったり、戦車なんかが置いてある廃車場を『危険な作業中』という口実で封鎖して使ったり。
だからずいぶんいろんなことが試せる。僕らにどんなことができるようになってるか、いつか君も見たら、びっくりするよ」そう話してくれたこともある。
スティーヴの寝顔をのぞき込む。
でもやっぱり、あなたは優しい人なの。
あなたの心は柔らかくて、傷つきやすい。
「カタリーナのことはもう振り切れた」と言っていたけれど、あなたはまだ忘れていない。何かに夢中になることで、あの事件のことを自分に忘れさせようとしている。
だから私はここで待っているわ。
もう少しあなたの心の痛手が癒えて、そんなに自分を追いつめるように何かをし続ける必要を感じなくなるまで。
彼の額にそっとキスをする。
(愛しいひと あなたの夢がかないますように——今はその果てすらも見えないけれど——きっといつか すべての仲間たちが幸せに生きられる時が来ますように)
天窓が朝の光で明るくなり始める。ブランケットにもぐり込んで眠っているスティーヴを起こさないように、そっとベッドから降りる。
この個室には小さな簡易キッチンしかついていないから、しっかりした朝食をとるならカフェテリアに行った方がいいのだけれど、「それより長く寝ていたい」というスティーヴのためにシンプルな朝食を準備する。
果物を切り、コーヒーをいれて、ミルクを温める。トースターにパンをセットしてから、スティーヴを起こしに行く。
シャワーを浴びて制服を着たスティーヴが、まだ眠そうな様子でテーブルにつく。カフェオレを飲み、彼の好きなピーナツバターとジャムのサンドイッチを頬ばる。
マリアにキスをして出ていこうとするスティーヴの首に腕を回して言う。
「私、今日は
「え……1人で? 何か欲しい物があるの? 次の週末なら僕も一緒に行くよ。トレーニングは1日くらい休んでもいいから」
「ううん 1人で行きたいの。あなたのバースデープレゼントを探そうと思って。プレゼントは誕生日が来るまで知らない方が楽しみでしょ?」
スティーヴがうれしいような、少し当惑したような表情で髪をかき上げる。
「でも……1人で行かせるのはちょっと心配だな」
「大丈夫よ 私も1人で買い物にぐらい出られなくちゃ。
ベースからシティに行くバスがあるから、それを使うわ。ノースイーストのよく知っている場所を回って、明るい間に帰ってくるから」
まだ少し不服そうなスティーヴを引き寄せ、マリアは頬にキスをした。
ベースからDCまではバスで3時間ほどの道のりだ。車の私用は佐官以上の士官の特権なので、リリアに頼んで中佐の名前で頼んで借りてもらい、それをスティーヴかウェイが運転した。
古本や画材など重さのある買い物をする時には、目当ての店の近くに車を留めたけれど、そうでなければ駐車しやすい通りに停めて
「DCの地上部分は大戦の空爆で建物の3分の2ほどが破壊されたが、地下深くに作られたメトロ駅は多くが無傷だったから、復旧は比較的容易だった」と、以前に中佐から聞いた。
ベースからのバスはヴァージニアからDCに向かう。アレクサンドリアのオールドタウン、今は使われていない旧ペンタゴンの停車場を通り、DCの中心にあるメトロセンターまで行く。
そこからオレンジラインを使って、目当ての地区にたどり着いた。
よかった、迷わなかった。
何度か行ったことのある裏通りの骨董品店に行ってみる。
顔見知りのオーナーは「珍しいね 今日は1人かい」と言いながら「こんなものが手に入ったんで、とっといたよ」と、色のついた板ガラスを何枚か出してきてくれた。きれいな色の薄手のガラスで、ステンドグラスを作るのに使えそうだった。
あるだけのガラスを求め、包んでもらう。ずしりと重い紙袋をしっかりと抱える。
彼がきっと喜んでくれる買い物ができたので満足したマリアは、そろそろ帰ろうと考えた。
スティーヴには大丈夫と言ったけれど、本当は1人でベースから離れているのは心もとない。そんなことを感じるのは子どもっぽいような気もしたけれど、やはりみんなのいる場所が安心できる。
メトロの駅の近くまで歩いた時、後ろの方で大きなブレーキ音が響き、何かが激しく衝突する音が続いて、マリアは思わず首をすくめた。
人々の叫び声や悲鳴。
立ち止まってふり返ってみると、ひどい事故だった。
交差点で2台の車が衝突し、それに後ろにいた車がぶつかり、さらにそれをよけようとしたもう1台が近くの店に突っ込んでいた。
店に突っ込んだ車のそばで女性が叫んでいる。
「助けて——子供が——」
マリアは思わず駆け寄った。
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