最後の研修

文字数 3,053文字

 乗り合いの輸送機に揺られ、小さな窓から空を見ながら、ナタリーに言われたことを思い出す。「見つけられたのは私が直接接触する機会のあった人間だけだから、それ以外にもいるかもね」。
 午後には北部大西洋州(ノースアトランティック)ベースに到着し、教育局に出向く。
 すでに訓練官として働き始めている者が、他のベースに追加の研修を受けに来るというのは例外的なことで、局の方でも扱いを決めかねていたようだ。
 副局長は、スティーブが面倒を起こしそうなタイプではなく、境界州から厄介払いのために送り出されてきたのではないと納得すると、訓練官の詰め所に行って挨拶を入れるようにと言った。あとは自分で研修の計画を立て、必要なら現場の上官に相談して、何かあれば報告だけ入れるようにと。
 問題さえ起こさなければ好きにしろということらしい。これはむしろ助かる。
 詰め所に出向いて挨拶と必要な段取りを済ませると、スティーヴはすぐに、ナタリーのリストにあった4人の仲間を1人ずつ探した。カフェテリアで隣の席に座ってそれとなく話しかけたり、相手が働いている場所の近くで待ち伏せた。
 ナタリーは4人の心理構造から性格や予期される反応までを分析していて、そのメモを顔の記憶とセットで渡されていた。だから相手と2人きりで話をする機会をつかむのも難しくはなかった。
 ただし1人は医務局の医師で、会うためにはちょっと工夫がいった。ナタリーの時のようにじかにオフィスを訪れることはできなかった。ドクター・マリッサ・カザルスは婦人科医だったからだ。
 仲間たちは、スティーヴの話を聞いて、目の前に自分以外の変異種が立っていると知った時、もちろん驚いた。でも共感型のテレパスだった3人は、スティーヴが彼らに向ける温かな気持ちと仲間感覚を感じとることができたし、分析型の1人には思考を読ませて理解してもらうことができた。
 そして仲間たちが集まる場所があるからそこに来ないかと言われ、誰もが迷わず同意した。お互いに紹介されて顔を会わせてからは、すぐに友達同士になった。
 ドクター・カザルスの個室が広かったので、みんなでそこに集まり、境界州への転属について相談をしたり、お互いのことや、向こうに行ったら何がしたいかといった話をした。
 そして1人1人の興味について聞きながら、スティーヴは再び仲間たちの不思議な懐古趣味について学んだ。
 4人のうち、古い紙の本を集めているのが3人。古風な手作業をする者が3人。古い言葉を学んでいるのが1人。
 楽しそうに話し合う仲間たちを見ながら、スティーヴは、他に仲間かもしれない人間はいないだろうかと訊ねてみたが、誰も思いつく相手はいないようだった。
 
 週末、スティーヴはベースの居住区の端にある、ひと気のない林の中を散歩していた。
 ずっと奥まで歩いていくと、大きなカエデの木があった。年を経てごつごつになった幹は、3、4人が手をつないでも囲めないぐらい太い。
 スティーヴの背丈ほどのところから枝がたくさん広がり、そのずっと上の方で幹自体が大きく3つに分かれている。どの枝にも緑の葉が生い茂っていた。
 上の方の幹が分かれたところには座れそうだ。緑の葉に包まれて一休みするのは気持ちがいいだろう。
 がっしりとした幹をスティーヴは身軽に登っていき、幹の分かれ目にまたがるように座ると、背中をもたれかけた。
 自分の十倍かそれ以上の年を経ているだろうカエデの木は、微笑みながら自分を受け止めてくれているようで、なんだかほっとして気持ちが緩む。
 リストされた仲間たちをできるだけ早く見つけて話をしなければというプレッシャーで、ずいぶん急いで行動していた。でもすべてがうまくいって、とりあえずの目的は達することができた。
 ちょっと気持ちを落ち着けて、この先どうするかを考えよう。
 向こうの離れた木の枝では、小鳥が歌っている。少し汗ばむような気温の中、肌に心地よい風が吹いて、緑の葉をさらさらと揺らす。
 ほっとして気が緩んでいたのだろう。いつの間にか、うとうとしていた。
 優しく柔らかな女性の声がして目が覚める。
 下の方で小さな声が聞こえる。
 誰かと会話をしているのではなくて、何かを読み上げているようだ。
 初々しく、少し内気そうな質の声が、英語とは違う抑揚で何かを読んでいる。
 その声の質と穏やかな響きが心地よく、スティーヴはうっとりとそれを聞いた。
 やがて声が止み、そっと本を閉じるような気配がする。女性が静かに立ち上がったのがわかる。
 枝と緑の葉の間から、歩いていく彼女の後ろ姿を見る。
 肩にかかる金髪、ほっそりとした背中。その歩き方は、まるで地面に足が着いているかどうかわからないような。
 彼女はいつも独りでここで過ごしているのかな。
 次の週末もまた来るだろうか。

 次の週末、スティーヴは大きなカエデの木の上に登って待った。
 女性は同じくらいの時間にやって来て、そして木の根元に腰を下ろした。
 音を立てないようにそっと見下ろすと、彼女は古びた赤茶色の表紙の小さな本をバッグからとり出した。厚いページをゆっくりと開いて目を落とす。少し沈黙があり、それからあの優しい声が静かに流れ出した。
 今度は意識して耳を澄ませ、彼女の言葉を聞きとった。知っている単語が出てきて、意味を全部は汲めないけれど、ドイツ語だとわかる。ただ声の質なのか、スティーヴの聞いたことのあるドイツ語よりも発音が丸く柔らかい。
 短い文が韻を踏んでいるので、読んでいるのは詩だ。
 独りで林の中で詩の本を読んでる。
 これって、仲間の行動っぽくないかな。
 もっと彼女のことを知りたいと思った。
 でももし仲間だったとしても、共感型のテレパスじゃない。それならとっくにスティーヴが彼女のことを見ていると気づいただろう。
 どうしよう。
 彼女の心を少し読んでみてもいいだろうか。
 こうやって声を聞いているだけなのに、まるで自分がずっと探していた誰かみたいな気がするんだ……。
 迷っているうちに、彼女はそっと本を閉じ、静かに立ち上がると歩いていった。まるで地面に足をつけることを恐れる妖精みたいな足どりで。
 そしてちょっと寂しそうな背中。

 その夜、夢を見た。
 最初は真っ暗な中に、ただ声だけが聞こえていた。
 「彼女」の声だと思う。
 あの細く優しい声が、詩を読んでいる。
 彼女の発した言葉が自分の中に入ると、自然に意味がほどけ、イメージになって広がった。
 気がつくと自分は暗い森を抜け、透き通った川を渡っていた。素足に水が冷たい。
 何かを探しながら旅をしてさまよっている。
 鳥がさえずり、風が枝を揺すった。遠くで犬の呼ぶ声。
 黙ってそれに耳を傾ける。
 自分の魂は、飛びながら時間をさかのぼっていく……遥かな昔へと。鳥になり、風になり、そして犬に、木に、流れる雲へと変化しながら……。
 変容し、自分とは違うものになった魂が、自分のもとに帰ってくる。そして問いかける……。
 どう、君に答えたらいいのか……

……Meine Seele wird Baum
und ein Tier und ein Wolkenweben.
Verwandelt und fremd kehrt sie zurück
und fragt mich. Wie soll ich Antwort geben?

 懐かしさと哀しさが胸を満たす。
 これはヘッセの詩だ……。

Wie soll ich Antwort geben(僕はどう答えたらいいのか)……?


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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

アンドレイ・ニコルスキー

ニューイングランド州ベースの管制官。人好きで寂しがり。趣味は木工で、隙があれば家具が作りたい。

エリン・ユトレヒト

ニューイングランド州ベース技術局のシヴィリアン・スタッフ。機織りやその他、多彩な趣味があって、人間関係より趣味が大事。

マリア・シュリーマン

ノースアトランティック州のシヴィリアン・スタッフ。優しく繊細で、少し引っ込み思案。

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