過去
文字数 3,105文字
入ってきたタイガーが、ソファにうつぶせに転がっているスティーヴを見る。
「おい 何だれてるんんだ」
「……テレパシーで他の人の感情を感じとる距離の広げ方をリリアに教わってるんだけど 疲れた」
スティーヴが癖毛の金髪をかき上げながら、起き上がる。
「どうやったら、あんなにたくさんの人間の感情を、自分の中に入れて耐えられるのかな。リリアみたいな忍耐力は僕はない気がする」
「忍耐力でリリアの足下に寄れると考える方が間違ってるだろ。5Dで一番面倒くさいやつの副官を完璧に務めてるんだぞ。
思考を読む方はどうだ」
「うん 進歩してる。ジュピターと練習してるんだけど、前より早く、奥まで読めるよ」
「お前、7Dに転属して俺の部隊に入らんか? お前みたいな右腕がいると仕事がはかどるんだが」
「性格がマイペースすぎて、軍士官の補佐など務まるわけがないだろう」
ジュピターが指摘し、スティーヴがつけ加える。
「それに人が死ぬのを見るのは無理」
タイガーの視線が、テーブルに皿を並べているリリアに移る。彼はテレパスではないが、その勘のよさで相手の感情を察するところがある。
「このところ、ずいぶん機嫌がいいな」
「楽しいのよ、スティーヴが来てくれて。私、子供の頃に両親をなくして、きょうだいもなくてずっと独りだったから。スティーヴは、ずっと欲しかった弟みたい。
タイガーのところは両親は元気なのよね?」
「……のはずだな。『士官学校を卒業したら戻って来い』とうるさくてかなわなかったんで放ってあるが、最近は諦めたみたいだな」
「軍人の家って言ってたわよね。2人ともベース勤め?」
「ガキの数が多かったんで、おふくろは家勤めだ。親父はチャイナイーストの
ジュピター お前も親父がベースの高官とかだろ?」
「なぜわかる」
「お前を見てりゃ察しはつく。だいたい士官学校付属に入れられるのは関係者の子弟だ」
「
「4Dというと治安関係か。そりゃ面倒だな」
「社会の秩序を維持することが生き甲斐の人間だ。息子が変種だと知ったら、通報どころか自分の手で捕まえに来かねない」
「この件に関しちゃ、親は助けにもならんからな」
2人の会話をちょっと複雑な気持ちで聞きながら、リリアは3人を促してテーブルにつかせた。
スプーンを手にミネストローネに目を落としながら、ジュピターが考えている。
「今度は何だ?」
「この間から考えているんだが 数が……多過ぎると思わないか? 科学局が主張するように、変異は何万分の1の確率でしか発生しない、ごく稀な異常形質だとしたら。そしてそのほとんどが子供の時に心理査で見つけられ、科学局に収容されているとしたら」
「4人もの変種が1つのベースにいるのは、数が合わないってことか」
「そうだ。単なる偶然の可能性ももちろんある。しかし発現が遅れ、心理検査をすり抜けた者が4人、人口3万人弱のベースにいる」
スティーヴがはっとした顔をする。
「そうか みんな、発現が心理検査の後だったんだね」
「そうかって、お前は違うのか?」
「僕がテレキネシスを使い始めたのは5歳の時だった」
「なんだと? それじゃあどうやって……」
「テレキネシスを使って遊んでるのを母さんが見つけて、父さんは動物学者だったけど、すぐに僕が変種だとわかった。
そして仕事を辞めて都市での生活を手放して、復興途上地区に引っ越したんだ。父さんは、復興途上地区は管理予算が不足している上に、普通の犯罪や治安の問題が多くて、変種のことに対処する余力はないと言っていた。
それから父さんは大学院に通い直して、僕が心理検査を受ける頃には、臨床心理学者として役所の心理検査部門で働くようになっていた。
復興途上地区は人材もすごく不足しているから、それは難しくなかった」
「なんと――それで お前が心理検査をパスするのを助けたのか」
「うん。父さんは僕が家を出るまでずっと、普通の人間の中でどういうふうに生きていくかを教えてくれたんだ」
スティーヴは懐しいものを思い出すように続けた。
「父さんは、僕が変異種として生き延びるのは、とても大切なことだと言っていた。
『変異種の子供たちは、単なる突然変異などではない。それは、人間という種がもっと完成に近づくための試みの一つで、お前たちはその最初の世代だ。
お前たちが生き抜けるかどうかに、人間が新しいものになれるかどうかがかかっている。だから与えられた力を最大限に使って、賢く生き抜け』って」
思いもかけない言葉に3人は黙り、スティーヴの顔を見つめた。
「父さんは、僕が生き続けていけば、きっといつか仲間にも会えるだろうって考えていた」
しばらくの沈黙の後、ジュピターが口を開く。
「両親はまだカリフォルニアにいるのか?」
「ううん 僕が士官学校に入って少しして、飛行機の事故で2人とも――」
そう言って、スティーヴは両手に抱えたカップからお茶を飲んだ。そのしぐさを見つめるジュピターの心が、たくさんの考えで満たされているのがわかる。
リリア自身、スティーヴの両親が変種である息子を守り続けたという事実に、湧き上がってくる思いで言葉を継ぐことができなかった。
夕方、スティーヴはジュピターの個室のリビングで、壁一面を隠すほどに積まれた本の背表紙を眺めていた。ラテン語のオヴィディウスを見つける。テレキネシスでまわりの本が崩れないように押さえて、目当ての本を引っ張りだした。
スティーヴも古い本のコレクションを持っている。カリフォルニアの古書店で見つけたものを、少ない身の回り品と一緒に持ってきた。
大戦以前に出版された、実用性のかけらもない詩集や小説や画集。こんな骨董品のようなものを集める時代遅れの趣味を持っている人間は、まわりには誰もいなかった。
ところが初めてジュピターの個室に通され、目の前に見たのは床に積まれた何百冊という本だった。それも英語やドイツ語のような近代語だけではなく、古代ギリシャ語やラテン語の古典が並んでいた。ウェルギリウスやオヴィディウスといった憧れのローマ詩人や、名前は聞いたことがあったが読んだことのなかった思想家や文学者の本。この宝の山のような蔵書をちょっとずつ読んでいくことが、スティーヴの目標だった。
床にあぐらをかき、古い紙製の辞書を片手にオヴィディウスを読み始めたが、なかなか前に進めない。本当は「先に『ガリア戦記』のように読みやすいものを終えてからにしろ」と言われていた。
何とかなると思ったけど、難しそうだ。
しばらくして、わからない単語の注釈をしてもらおうと思い、ジュピターを見た。
彼は床に座って壁に持たれ、遠くを見つめる表情でお茶を飲んでいる。何かを夢中で考え込んでいる時の彼の心は、他人をそばに寄せつけない。
その様子をしばらく見ていたスティーヴは声をかけた。
「ねえ ジュピター」
彼が突然、夢から覚されたように少し間をおいて答える。
「――うん?」
「僕の記憶を通して、僕の父さんの声を聞いてみる?」
ジュピターがふり向く。
「そんなことができるのか?」
「……と思う。僕が記憶を再生している間に、ジュピターが僕の心に触れていればいいんじゃないかな」
スティーヴはジュピターの隣りに座って壁にもたれ、自分の肩を彼の肩に触れさせた。体の一部が触れ合っていると、テレパシーでの伝達がずっと鮮明になる。
目をつむって静かに記憶を探る——。
(ログインが必要です)