企み
文字数 2,139文字
ふいによく通る声が響いた。ジュピターをとり囲んでいた兵士らが、動きを止めてそちらを見る。
「中尉 こいつが先に手を出しやがったんです」
中尉と呼ばれた長身の軍士官が近づいてきて、地面に伸びている兵士らを見、それからジュピターに目をやった。
「お前ら、兵隊5人が事務屋1人にやられたと言うつもりか」
「そりゃ ちょっと油断してたんで……ご心配なく 今、片づけますんで、そこで見ててくださいよ」
にじり寄る兵士らにジュピターが構える。
頭に血の昇った
「まあ待て」
東洋系の精悍な顔立ちの中尉は、兵士らを手で制した。
「こうしようじゃないか。売られた喧嘩には違いない。お前らの上官として俺がそれを買う。俺とこいつの一対一で片をつけて、それで終わりにする。いいか」
「そりゃ 中尉がこいつを叩きのめしてくれるなら、文句はないです」
意外にも兵士らは引き下がった。この若い中尉に――そしてその腕っぷしに一目置いているのがわかる。
別の兵士が思い出したように言う。
「俺 この野郎、知ってますぜ。何年か前に、士官学校の代表でボクシングの競技会に出てたやつだ」
他の兵士たちも口を開く。
「そういやあ見覚えがあるな、この生意気なつら」
「見かけは
ジュピターに向ける兵士らの視線が変わる。
中尉がにやりとし、それから「ついて来い」と身ぶりで示した。その後ろを歩くジュピターの平然とした態度は、リリアに「余計なことはするな」と言っていた。
演習場の隅の空き地を選んで、中尉が制服の上着を脱ぐ。東洋系だが、長身のジュピターよりも背が高く体格もいい。
本当に喧嘩で決着をつけるつもりなのか……。
二人をとり囲む兵士らは、彼らの中尉と士官学校代表のボクサーの喧嘩試合を見られることに興奮して、恥をかかされた怒りもすでに忘れている。
ジュピターが上着を脱いでリリアに渡すと、口笛が飛ぶ。
「よう 色男!」
「こいつは楽しみな対戦だ」
「いくら競技会クラスのボクサーだって、うちの『虎』にかなうわけはないがな」
リリアはジュピターの背中を見ながら気が気でなかったが、こんな時に止めても彼は聞きはしない。
二人が向かい合う。中尉は探るようにジュピターの顔を見、それからわずかに視線を外して、ジュピターの後ろ側に立っているリリアを見た。
リリアはどきりとした。
明らかに強い興味をもたれている感覚。
中尉は二人に「どこか違うところがある」と思っている……。
なぜ、この人が……そう思いかけ、ふと、いつかカフェテリアで、誰かが自分たちのことを見ていると感じたのを思い出した。
ジュピターの身を案じる気持ちと、中尉は何をどこまで気づいているのかと不安に思う気持ちで、胸が痛いほどにどきどきする。リリアはジュピターの上着を抱きしめた。
「どっからでも好きにこい」
体を軽く斜めに構えた中尉が挑発するように手招きする。
ジュピターは両の拳を胸の前に構えてファイティングポーズをとると、素早く間合いを詰めて中尉の腹部にジャブを入れた――そう見えたが、中尉はわずかに下がって完璧なタイミングで手のひらにパンチを受け、円を描くようにジュピターの拳を押し流した。
兵士らの間から「おおーっ」と声が上がる。
中尉は滑らかな動きで間合いを保ち、ジュピターの放つパンチを確実に受けてははらった。その動きは流れるように曲線的で美しい。
兵士らが魅入られたように見つめる。
思い切り打ち込まれたストレートのパンチを中尉はかわし、そのままジュピターの腕をつかんで引き寄せた。次の瞬間、中尉の背中ごしに投げ飛ばされたジュピターの体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
リリアが小さく上げた悲鳴が、兵士たちの歓声にかき消される。
「すげえな、おい」
「今のはジュードーの技じゃないか」
「無敵だな、うちの虎は」
ジュピターが悔しそうな表情で地面から体を起こし、立ち上がる。叩きつけられた時に口の中を切ったのか、口元に血がにじんでいた。
しかしそれで引き下がる彼ではない。再びファイティングポーズをとると、兵士らの歓声が飛ぶ。
先ほどと同じように、打ち込むパンチをすべて受け流され、ジュピターの額に汗が流れる。顔には出さないが焦燥しているのがわかる。中尉の方は動きにも表情にも余裕がある。
ふとリリアの中に疑問が湧く。
(この中尉は 本気でジュピターを痛めつけようとしているの……?
彼は私たちが何かを隠していると感じている。そして彼も 何かを隠してる……)
渾身のパンチをかわされ、再びジュピターの体が宙を舞って背中から地面に叩きつけられる。彼はそのまま起き上がらなかった。
倒れたままのジュピターにリリアは慌てて駆け寄った。
中尉もそばにきて様子を調べる。
「早く医務局に——」
リリアの言葉に中尉が首を横に振る。
「大したことはない。しばらく寝かせとけば大丈夫だ」
自信ありげに言うと、ふり向いて兵士に声をかけた。
「おい こいつをそっちのテントに運んどけ」
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