副官
文字数 2,993文字
そう訊ねられて、ユリウスは黙って相手の顔を見た。
一つに束ねて編んだストロベリーブロンド、緑色の瞳。感じのよい顔立ちは、聡明さと穏やかな性格がバランスされた印象を与える。
しかし若い。ほとんどまだ入学したてではないかと思えたが、その初々しさに、不思議に大人びた表情が同居してる。
最初は無視して通り過ぎるつもりだったが、これまで士官学校の学生たちには見たことのない、彼女の存在感が注意を惹いた。
「売り込みか?」
ユリウスの愛想のない問いかけに、少女が微笑む。
「私の成績表と教官評価です」
差し出されたタブレットを受けとり、目を通す。
リリア・マリ・シラトリ。副官コースの4年生、専攻はコミュニケーション。
若いと思ったが4年か。それも単位数から言えば今期の卒業に足りる。
コミュニケーション専攻の副官が欲しかったのは確かだ。基礎科目も専門分野もオールA。選択科目のバランスも悪くない。
「君はなぜ今期の卒業リストに入っていないんだ?」
「身分はまだ4年なので、正式の卒業予定は来年なんです。でも必要な単位は満たしているので、繰り上げで卒業申請はできます」
「言葉は何ができる?」
「北京語、広東語、日本語、マレー語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語は問題ありません。それから、ラテン語と古典ギリシャ語は読み書きだけなら――」
ユリウスはわずかに眉を上げた。
複数言語に通じているのはコミュニケーション専攻なら珍しくもない。しかし古典語の教育など、今は専門の学者を養成するヨーロッパの大学で行われているだけだ。
教材を探して独学することは可能だろうが、実用性のない閑学を、貴重な時間と労力を割いて身につけようとする者など士官学校の学生にはいない。
「ラテン語など、どこで習った?」
「古い教科書を探して独習しました」
「Quam ob causam?(どういう理由で)」
「Quia scientia ipsa potentia est(知識それ自体が力だから)」
「Quo ire vis?(どこに向かいたいのか)」
「Ad astra(星々へ)」
「Non est ad astra mollis e terris via(大地から星々へ到るのに安易な道はない)」
「Fidelis ero in via tua(私はあなたの道に忠実です)」
ユリウスはわずかに目を細めた。
「口先だけでもないようだな。君の学生ファイルのコピーをもらおうか。他の候補とあわせて検討して、後から返事をする」
シラトリは笑顔でうなずいた。
自分の個室に戻ってから、もう一度シラトリの成績表と教官評価の内容を読み返す。
副官コースは行政士官コースと同じ5年の教育期間があるが、繰り上げ卒業というのは珍しい。しかし成績を見る限り専門能力に問題はないようだし、教官評価もどれも高く好意的だ。
これまで挙げてあった候補はどれも成績はよいが、どこか何かが足りない気がしていた。その点、シラトリはコミュニケーション専攻というのもユリウスの望み通りで、それ以上に彼女の存在感は興味を惹く。
繰り上げ卒業だから自分より2つ下、18かそこらだのはずだが、穏やかで落ち着きのある存在感は、少女のような見かけによらず、ずっと感情的に成熟している印象を与えた。
しばらく思案した後、候補者のリストを削除し、それからシラトリにメールを送った。
「明日10時にC4カフェテリアで落ち合い、手続きのために管理局に同行のこと」
休暇期間が終わって正式に仕事が始まれば、自分のオフィスが割り当てられる。それまでは、ユリウスのような立場の者にはカフェテリアの一角が仕事場になる。
時間通りに着いたが、シラトリはすでに先に来ていて、笑顔でユリウスを迎えた。
「もう一度ぐらい、きちんとした面談を求められると思ってました。いいんですか?」
「口頭で話だけしても意味はない。私に興味があるのは、君がどれだけ効率よく私の副官として働けるかだけだ。それを知るには実際に勤めてもらう以外にない。
半年経って、君が明らかに向いていないとわかったら、その時点でやめてもらう。異存はあるか?」
「いいえ、けっこうです」
シラトリはさっぱりと同意した。
それからすぐに話を切り替え、ユリウスの仕事のやり方やニーズを理解するためのいろいろな質問をした。質問は要点をついており、彼女が副官としての自分の仕事をよく心得ているのがわかる。
話が一区切りつくと言った。
「お茶、飲みますか?」
ユリウスが答えるよりも先に言葉を継ぐ。
「どのハーブティーがいいですか?」
「……なぜコーヒーか紅茶かとは訊かない?」
「だってカフェインの入ったもの、飲まないでしょ」
「その通りだが、なぜそんなことを知っている?」
「いつかカフェテリアで横を通った時、ハーブの香りがしました。昼間からハーブティーを飲む人は、たいがいそれしか飲みませんから」
そう行ってシラトリは席を立ち、カップを二つもって戻ってきた。テーブルに置かれたカップからは、ユリウスが好むミントティーの香りが立つ。
腕を組んでそれを見ながら言った。
「君は、ずいぶん前からカフェテリアで私を観察していたのか?」
「観察っていうほどじゃないですけど、副官にも士官を選ぶ権利がありますから。今期の新任の中で、卒業順位が10位までの人たちについては一通りチェックしました。その中で、あなたとは一番合いそうだと思ったんです」
なるほど。ユリウスはカップに口をつけた。
「繰り上げ卒業の申請はこれからだな?」
「いえ 昨日、手続きを済ませておきました」
「私が君を選ぶと確信していたわけか?」
シラトリが首をかしげて微笑む。
「仕事を始められるのはいつからだ?」
「いつからでも」
そして笑う。
「普通、副官に選ぶ人間にはもっといろんなことを訊ねるものだと思うんですけど」
「他人の個人的なことに興味はないし、人間関係も手間だと思ってる。だからコミュニケーション専攻の君を選んだんだ」
「昇進には上官からの受けのよさも含めて、人間関係が結構重要なこと、ご存知ですか?」
「そういう話は聞かされてる。だからそのへんの面倒なことは君に任せたい」
シラトリがこらえかねたように笑い出す。
「わかりました」
そう答える彼女の表情は優しく、笑われるのは気にはならなかった。
「じゃあ 先に手続きを終えてしまいましょうか」
「そうだな」
管理局で書類にサインし、シラトリを副官予定者として登録する。正式な任官はユリウスが仕事につくのと同時になる。
それからカフェテリアに戻った。
昼食の時間帯は過ぎていて、それほど混雑はしていない。片隅の比較的静かなエリアに席をとって、昼食をとりながら話をする。
「正式の仕事始めまで給料は出ないが、それまでは私の方で手当てを払う」
「少尉も休暇を潰して仕事の準備でしょう? これからずっと一緒に働くんですから、わずかな期間分の手当てなんていりません」
これからずっと――そう言われ、ふいに自分の目の前にある道の長さを思う。
シラトリに黙ってうなずき返す。
これからずっと――友人や家族を持つことのない自分にとって、おそらく最も近しく接する人間になる副官からも、自分が誰であるかを隠して、その道を昇って行くのだ。
(ログインが必要です)