触れる
文字数 2,758文字
しかし自分の副官になった女性は、改めて考えれば、最初から不思議な近づき方をしてきた。
彼女が何者なのか手がかりが必要だ。科学局か警備局から送られ意図的に近づいてきた可能性も、今となっては否定できない。
収容した変種をスパイとして使うという話は聞いたことがないが、ありえないことではない。いや、可能であればやるだろう。どちらも人権などというものに注意を払う組織ではないし、非公開の洗脳技術などを持っていてもおかしくはない。
今、知る必要があるのは二つ。彼女は実際に変種で、自分の考えを読んでいるのか。そして彼女が自分に近づいてきた意図は何か。
これまでのパターンからすれば、自分が彼女のことを思えば、彼女はそれに反応する。その瞬間に心を読むことで、反応が単なる勘や察しの良さなのか、それとも実際にこちらの心を読んでいるのかがわかるだろう。
彼女の行動の意図を探るのはその後だ。
ここまで彼女のことについて考えを巡らせて、反応をうかがったが、変わらない表情で仕事を続けている。
視線を降ろす。
初めて教官の考えを読んだ時の感覚を呼び覚ましながら、彼女の思考に意識を集中した。
デスクの上を見つめ、ただ気配だけで彼女の存在を感じながら、その心に手を伸ばす……。
自分が何かに近づいており、そしてほとんど触れられそうだという感覚。自分が彼女の心に近づいていくことが、不思議なことに「体感」として感じられた。
距離はあと少し——しかし間に厚い毛布でもはさまれているように、触れられそうで触れられない。
力を抜き、静かに息を吐く。
そして自分の中のためらいに気づいた。
もし彼女の心を読んで、そして彼女が実際に自分のことを探っているのだとわかったら……。
だが、その可能性があるならなおさらだ。自分が生き延びるために、目の前にいるのが何者なのかを知らなければならない。
意識を静め、しなければならないことをするために、自分の意図を建て直す。
ためらいを捨てて、真っすぐに彼女に意識を向けた瞬間、「触れた」。
握手のために伸ばした手が握り返されるように――はっきりとした体感のある、つながりの感覚。
それは初めてのことだった。過去に他人の心を読んだ時には、ただその思考が自分の意識に映るだけだった。ただ「読んでいる」感覚。
だが今は、自分の意識と相手の意識の間に開かれた通路を感じる。
予期しなかったことに興味を覚えながら、彼女の反応を試すために、意識の中にはっきりと言葉を形作った。
<彼女は 自分の心を読んでいるのではないか……今も このことばを聞いているのではないか>
ゆっくりと顔を上げると、シラトリもこちらを見た。
彼女の反応を判断できる前に、通路の扉からせきを切って「感情」がユリウスの中に流れ込んできた。
明るいピンク・オレンジの流れと「跳び上りたいほどうれしい」という、体を揺さぶられる衝動。明らかに自分のものではない、慣れない感情の手触りに思わず「つないでいた手」を離しそうになったが、それを相手の「手」がつなぎとめる。
その「手」は温かかった。優しく穏やかな感触は、ちょうど彼女の存在感そのままだ。
二人のデスクの間の空間にしばらく沈黙が降りる。
それから、声が頭の中に響いた。
<聞こえる?>
声ではない透んだ美しい「声」。
<君は……>
<……私たち、つながっているのね? あなたの声も聞こえるし、あなたにも私の声が聞こえる……これ 会話よね? テレパシーで会話をするのって初めて……>
<君は……私と「同じもの」なんだな?>
<ええ>
自分以外のもう一人の変異種が、目の前にいた。
それはありえないことのようにも思えたし、心のどこかで自分はそれを期待していたという気もかすかにした。
その日の夜遅く、ひと気のほとんどなくなったカフェテリアに行き、二人で夕食をとった。最初はややぎこちなかったテレパシーの会話にも慣れてきた。
互いの心を意図的につなぎ、頭の中に明確に言葉を形作ることで考えが伝わる。
<君が私に近づいてきたのは、仲間だとわかっていたからなのか?>
<100パーセント確かだったわけじゃないけど でも、初めて見た時にそうだと思ったの。本能的な同族感覚みたいな感じ>
<私の副官になったのもそのためで、そしてわざと注意を引いて気づかせようとしていたんだな?>
<ええ>
<そんなやり方は危険だと思わなかったのか? 私は君を「変種の疑いあり」として通報していたかもしれないんだぞ>
<あなたの反応が危険を感じさせるものだったら、すぐに止めていたわ。でもあなたの中には、とまどいや興味深く思う気持ちはあっても、害意や攻撃的な感情を感じたことは一度もなかったから。
そしてそれでも、あなたにテレパシーで話しかけてしまうことは思いとどまったし。不要なリスクを踏んだとは思わない>
<君は私の考えを四六時中、読んでいたのか?>
<そんなことはしないわ。私、近くにいる人から向けられる感情をすべて感じるの。自分では止められない。
思考やイメージなんかは、注意を向ければだいたいの形がわかるぐらい。
でも あなたの思考はとてもわかりやすかった。他の人ではこんなにはっきりと、具体的に読めたことはないわ。
あなたは 他人から向けられた感情を感じたりはしないの?>
<感じるというのは、想像じゃなくて現にそれを感じるということか? そんな経験はない>
<でも人の心は読める?>
<やろうと思って集中すればな。もう何年もやったことはなかったが>
<何年もって 能力を学校で使ったりはしなかったの?>
<他人の心を読むことは、自分自身の安全に関わる場合を除いてしたくない。それに学業でも昇進でも、ゲームはフェアにプレーしたいんだ>
<ふふ 思ってた通り、真っすぐ……それにしても私たち、能力がずいぶん異るのね>
<テレパシー能力にもこんな個体差があるんだな。科学局からの情報にはない新データだ>
シラトリが笑い、言葉に切り替える。
「ほんとクールなのね」
「現実は現実だ。受け入れる以外に対応のしようはない」
シラトリはパスタのサラダをフォークでつつきながら言った。
「私 あなたの友だちになれるかしら?」
「なれない理由は別に思いつかない」
「あなたのこと、名前で呼んでいい?」
ユリウスが少しためらうの感じたのだろう、シラトリは続けて言った。
「隊付勤務の間につけられたオペレーションネームがあるでしょ それはなんていうの?」
「『ジュピター』だ」
「ローマ神話の神様ね。それ、素敵だわ。ジュピターって呼んでいい?」
「好きにするさ」
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