懐かしむ

文字数 2,270文字

 仕事に区切りをつけて、カフェテリアでジュピターと夕食をとる。
 食事が終わると彼はいつものようにリリアに「今日はこれで終わりだ」と言った。そのくせ自分はまたオフィスに戻っていくのだけれど。
 以前、夕食後の残業にもつき合おうとしたら「一人で仕事をする時間もあっていい」と言われ、それを尊重している。
 夜空の下、リリアは居住区の中の道をのんびり歩いた。風も(ぬる)んで春が近づいているのがわかる。
 個室に戻り、お茶を入れてソファに落ち着く。サイドテーブルに詰んである古い布装丁の本を1冊とり、思いついたページを開く。
 これはギリシャ料理のレシピを集めた本だ。写真もなく文字だけだが、材料のリストに目を通し、調理の手順を頭の中で組み立てながら、できあがる料理を想像する。
 こんな野菜やハーブを合わせたら、どんな味や香りが生まれるんだろう。仕上がりはどんな色合いで、どう盛りつけるのがおいしそうだろう……。
 そんな想像を巡らせるのが楽しく、ほっとする時間だ。
 リリアは7歳の時に事故で両親を亡くした。自分を愛してくれた人たちが突然、この世界からいなくなってしまい、それから二人の結婚をこころよく思っていなかった親戚の家に引きとられた。
 両親が生きていた間は、ただ幸せだったという記憶しかない。
 裕福というほどではなくても不自由はなかった。父親は仕事帰りに、リリアのために季節の果物や、時々、珍しいお菓子を持って帰った。それを母のいれるお茶といっしょに三人で楽しんだ。
 母が工夫をこらした夕食には、父とリリアへの愛情が込められていた。一緒に食事をしながら向けられる、春の日差しのような両親のまなざし。
 その温かな居場所を、途中で失ってしまった。
 それをいつかまた自分の手で築きたいという夢は、自分が変異種だと知った時、戸棚の奥にしまって鍵をかけた。
 でも少なくとも今また、自分のことを知って受け入れてくれる人たちがいる。親しく大切な人たち。
 そして彼らのためにあれこれと考えてレシピを選び、作ったものを食べてもらえるのはうれしかった。
 ある夕食のデザートにはバクラヴァを作った。カフェテリアから分けてもらったパイシートをフィロの代用にした。ジュピターはアメリカ式の甘いデザートにはほとんど手をつけないけれど、バクラヴァは一切れをちゃんと食べて「いい出来だ」と言った。
 本のページをめくりながら考える。
 もしレシピに写真があれば、料理のイメージを捉えるのはずっと簡単だろう。でも自分であれこれと思い描くから、かえってそのイメージがあざやかになる気もした。
 昔は自宅で料理をする人も多く、レシピもインターネットで簡単に探せたらしい。
 大戦中、ネットを利用したハッキング攻撃で発電所などのインフラに大きな被害が出た。それを防ぐために世界規模での自由な情報のやりとりは遮断された。
 今あるのは分割され、独立したデータベースとネットワークからなるイントラネットだ。それは地区や組織ごとに区切られて外部とは接続しない。
 今でも州規模の商業データベースで、あまり多くはない料理のレシピを探すことはできる。
 でもそれはリリアの好みに合わなかった。
 レシピのほとんどがおいしそうに思えないというのもある。それ以上に、表示されるページは必要最低限の情報の切れ端で、それを読むことに楽しみを感じられなかった。
 手にとれる丸ごとの「本」が欲しい。
 だがあらゆる資源が不足するアメリカで、新たに印刷、製本される紙の本は非常に限られている。基本的には公共性と高い需要のあるものだけで、料理のレシピ本などはそこに入らない。
 だからリリアは時々、都市に出て古書店を回った。
 大戦初期より前の本は数の少ない貴重品だが、需要もないので値段は高くない。たまにシュリンクラップに包まれた年代物の「新品」が見つかることもあって、リリアは喜んでそのちょっとだけ高い本にお金を払った。
 そう言えば、ラテン語の教科書を探す時にも苦労した。州内の大学をあちこち回って、文法書と読本を何冊か見つけ、コピーをとらせてもらった。
 初めてジュピターの個室を訪れ、驚いた時のことを思い出す。
 彼のリビングには数百冊の本が積まれていた。ヨーロッパにある彼の家の蔵書だったものや、士官学校時代の知人から譲られたものだと言った。
 こんなにたくさんの紙の本を個人が所有しているというだけでも珍しいが、その内容は哲学書や思想書、歴史書、それに古典文学などで、ラテン語や古典ギリシャ語の文献も多くあった。
 ギリシャ文字で書かれた本を手にとりながらタイガーが訊いた。
「お前、これ読めるのか?」
「読めない本など持っていても意味がないだろう。
 母方が歴史学者の家系だったんで、ラテン語や古典ギリシャ語は幼い時からたたき込まれた。
 俺からすれば、お前が二、三千年前の象形文字を読むことの方が不思議だ。それも何千個もある象形文字に一つ一つ意味があるというのだろう」
 タイガーが笑う。
「言われてみればそうだな」
 実はタイガーの個室にも、ジュピターほどの数ではないけれど布装丁の本が積まれていた。漢字で書かれた歴史書が多く、英語のものは古い戦術書の翻訳や、彼が興味を持っているアメリカ南北戦争に関するものだと言っていた。
 今の時代、古くて実用性のないものは、一般の人たちにも、ましてやベースの士官などには決して興味を持たれない。
 その古くて実用性のないものの代表のような紙製の本を三人が大切に集めているのは、不思議でもありおかしくもあった。
 

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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

マリア・シュリーマン
ミッドアトランティック州ベースのシヴィリアンスタッフ。優しく繊細で、やや引っ込み思案。古い絵を見るのが好き。

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