封印
文字数 3,037文字
誰かの悲痛な叫び声——声ではない声。
全身の神経が緊張するのを感じながら起き上がる。それがどこから来ているのかをはっきりつかむ。
<——リリア 起きてる? 今の聞こえた?>
<何か変よ ネットワークにつながってる仲間じゃない声が伝わってきたわ>
夜勤で起きていた共感型の仲間たちからコンタクトが届く。声に驚いて目を覚ました者もいた。
ジュピターにテレパシーを投げかける。
<ごめんなさい こんな時間に>
<いちいち謝らなくていい 急なことだな?>
<カタリーナが……>
リリアは自分がつかんだことを手短かに伝えた。
ジュピターはすぐにリリアの感覚を通してカタリーナの心をとらえ、事態を分析する。
<記憶を押さえ込んでいた心理構造のダムが決壊した——混乱した感情が意識を圧倒して自分を制御できなくなっている。
心理操作のできる分析型を何人か集めてくれ。それにテレキネティックも——できればスティーヴ以外の誰かを>
タイガーやダニエルなどおもだったテレキネティックたちは前方勤務に出ていてベースにはいない。リリアは一瞬考え、アルフを呼んだ。
ジュピターとリリアが急ごしらえの「処理班」とともにカタリーナの個室に着いた時、事態が抜き差しならないことがわかった。
金属製のドアは内側から激しい力で殴りつけられ歪んでいた。
「スチールのドアをこんなにへこませるって、どんだけの力だよ」
眉をしかめてアルフがつぶやく。
隣室の住人がパジャマ姿で通路に出てきて、眠そうな顔で何が起きたのかと訊ねる。
「なんかすごい音がしたけど……」
「やあ 悪いね 家電が故障したって連絡があって、調べに来たんだよ」
住人は技術局の制服姿のアルフが言うのに納得し、個室に戻りかけた。すかさず分析型のレイニアが「これはちょっとした事故だ」と印象操作をかけ、記憶の細部を消去する。
眠りに戻った住民の心には「夜中に隣の家電が壊れて大きな音がした。それで技術局のスタッフが来た」という、ぼんやりとした記憶だけが残った。
リリアは処理班全員をテレパシーのフィールドでつなぎながら、その見事な連携を見ていた。
アルフが電子錠を解除してノブを引っ張ったが、ドアは開かない。
背後からの気配にふり向くと、スティーヴがいた。
もちろん彼も聞いたのだ、カタリーナの叫びを。彼はテレキネティックであると同時に共感型のテレパスでもあるのだから。
スティーヴはドアの前に立って呼吸を落ち着けるとノブをつかみ、力いっぱい引いた。バキッと音がしてドアが外れる。
内部は破壊された家具や内装品が散乱し、その床にカタリーナがうずくまっていた。
リリアは近寄り、いたわるようにそっと肩に手を置いた。
カタリーナはびくりと体をふるわせ、顔を上げた。その表情がおびえから怒りに変わる。
「捕まえに来たのね?!」
カタリーナが叫ぶ。
強い腕が後ろからリリアの体を抱き、素早く後ろに下がらせた。
<ジュピター……>
<気をつけろ 近寄る者は敵として反射的に危害を加えようとしている>
リリアは愕然としながらつぶやいた。
<彼女は……テレキネティックなのね……?>
ジュピターが黙ってうなずく。
スティーヴが両手を胸のあたりに上げ、安心させるように手のひらを見せながら、ゆっくりと彼女に近寄った。
「カタリーナ 大丈夫だ 誰も君を傷つけたりしない」
カタリーナの顔は、おびえてパニックになりかけている小さな女の子のように見えた。
近づいたスティーヴがそっと手を差し出す。カタリーナはその腕をぐいとつかんだ。
すさまじい力で腕が不自然な方向にねじられ、スティーヴが痛みに声を上げた。彼の感覚を共有していたリリアは前腕の骨が折れたのを感じ、悲鳴を上げた。
ジュピターは素早くカタリーナの後ろに回り込んだ。彼女が気をとられた瞬間、スティーヴが彼女の額に手を伸ばし、電気ショックのような衝撃を与えて意識を失わせた。
ジュピターが床に片膝をつき、倒れているカタリーナを厳しい表情でのぞき込む。
<待って ジュピター——>
<猶予はできない 制御を失ったテレキネティックの存在は、我々が築いてきたすべてを破壊しかねない。記憶を消去して能力を封印する>
<だって——今は急に記憶が戻って混乱してるだけだ。気持ちを落ち着かせられれば——それに彼女の壁が壊れたのも僕らのせいかもしれない——>
こつこつと靴音が近づいてくる。
関係ない者を近づけないように分析型たちが見張っているはず——そうリリアは思いながら、それが誰かを見る。
<——ナタリー>
<状況はわかってるから説明はいらないわ。
スティーヴ 聞きなさい>
<……>
<あなたたちに関する彼女の記憶は削除する。
心理構造の壁を作り直して、昔の記憶はそこに閉じ込め直す。すべてを忘れて変異種としての能力も閉じれば、彼女はそのまま普通の人間として生きていける。
それが一番いいの>
<でも それは彼女の意志を無視してる 他にやり方が……>
<一時的に落ち着かせることができたとしても、抱え込まなければならない感情が大き過ぎる。彼女の精神はこの先、不安定なままで能力の制御はできない。
何かの拍子に警備局の疑いを招くような行為に走って、再検査にかけられる危険性もある。
それは彼女にとって危険なだけじゃない。変異種が検査をかいくぐってベースに入り込んでいたと科学局が知れば、ベースで働く者全員に再検査が課せられる可能性もある>
ナタリーの言葉に、リリアは身を固くした。
<3万人のスタッフをすぐに全検査することはできないにしても、新しく入る者やベースの在籍期間が短い者から再検査の対象にするといった策がとられる可能性は高い。
そうなればそれはアメリカ中のベースに波及する。
このベースの仲間だけなら、心理処理や操作で乗り切れるかもしれない。でも私たちがまだ手を伸ばし切れてないベースにいるはずの仲間たち——彼らは無防備よ>
<……>
<あなた1人が自分だけの夢を見ているなら、なんだって好きにすればいい。でも他の人間をその夢に巻き込むなら、それを守らなくちゃいけないのよ>
ナタリーは折れていない方のスティーヴの手をとり、カタリーナの額に当てさせた。
<見なさい>
スティーヴの視線は遠くにある何かを探すように動いた。そこにいない誰かの声に耳を傾けていたが、やがて言いようのない表情で視線を落とした。
カタリーナの記憶の中の姉の声がスティーヴの中に響き、それをリリアも聞いた。
心理検査に向かう朝、姉は優しい表情で幼いカタリーナに言った。
「私のことは忘れるのよ。何もかも忘れて。
私は行かなくちゃいけないけど、あなたは大丈夫だから。
普通に生きて、まわりのみんなと同じように普通の大人になって、そして自分の幸せを見つけるの」
そう言ってカタリーナの額に口づけをした。
その時から姉についてのカタリーナの記憶は揺らぎ始めた……まるで魔法にかけられたように。
覚えていたかった……大好きな姉のことを……でも彼女は行ってしまい、記憶の霧の中に姿を消した。ただその言葉だけが残った「あなたは大丈夫 あなたは普通の女の子」……。
ジュピターはちらりとスティーヴの顔を確かめた。それからナタリーと作業を始める。おそらく人間の心の構造について彼らだけにわかる言葉で話し合いながら、一つのミスも残さないように。
スティーヴは黙ってそれを見つめていた。
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