ニューイヤーズ・イブ
文字数 2,796文字
行政士官になってからも、社交やパーティーの類いはやり過ごしてきたジュピターだったが、「今年のニューイヤーズ・イブの舞踏会には出るのよ」とリリアから言い渡された。
「なぜだ」
「少佐への昇進が近いから。佐官に上がれば、狙ってた
実積だけで押しても大丈夫とは思うけれど、できれば最初のチャンスで1D入りしておきたいし。
それからちょっと先だけど、大佐に昇進した時点で参謀部入りの最初のチャンスがあるけれど、そのためには参謀官三人の推薦をもらって、会議の票決で通らないといけないのは知ってるでしょ。
そのためにも、もう少しコネクションを広げておきたいの」
「それとこれと何の関係がある」
「1Dの高級士官の4割は女性。参謀部の2割は女性。それも含めて、けっこうな数の女性たちから、舞踏会であなたとダンスをする機会を作って欲しいって頼まれてるの」
「それは仕事外での裏取り引きじゃないのか」
「そう言えないこともないけど。でも個人的な好意の貸し借りなんて、みんなやってることだし。変な裏取り引きじゃなくてダンスの相手で済むんだから、いいでしょ?」
大晦日の夕方、士官用のパーティー会場にしつらえられた中央ホールに引っぱってこられる。白い礼服の男性士官やイヴニングドレスの女性士官、上級のシヴィリアンスタッフたちが集まっている。あちらこちらでグラスを手に談笑する者も多い。
ジュピターは憮然としながらあたりを見回した。
「まったく 古典文化やまっとうな伝統は廃れても、この手の享楽的な伝統だけはなくならんわけだな」
「そんな嫌そうにしなくてもいでしょ」
「こういうのは体質に合わないんだ」
「じゃあ仕事だと割り切って」
ドレスではなく副官の白い礼服姿のリリアは、タブレットにリストを呼び出した。
「何だ それは」
「あなたのダンス相手。100人くらいから頼まれてたんだけど、4時間にそれだけはさばききれないから、条件を考慮して24人に絞らせてもらったわ」
「おい ちょっと待て」
「1番目は1Dのサハロワ中佐。やり手の外交担当で、将来は参謀部入りっていう噂。しっかり愛想売ってね。あそこでこっちを見てる紺色のドレスの女性ね。彼女の後は7Dの……」
一通り女性たちについて説明すると、リリアはサハロワ中佐の方に手を振りながら、納得がいかない表情のジュピターに言った。
「女性たちの方で順番は心得てるから、あなたは相手が来るのを待ってれば大丈夫よ。最低限のステップは士官学校の作法のクラスで習ってるわね?
私はあっちの隅にいるから、何かあったら呼んで」
3曲目が終わり、次の相手が近づいて来るのを溜息をつきながら見る。
「淒腕の外科医で、将来は医務局の副局長候補」だとリリアの言う、ドクター・ナタリー・キャライス。局長にはつねに参謀官がつく決まりなので、実質、医務局のシヴィリアンスタッフのトップ候補ということだ。
バランスのとれた体をぴったりしたアイスブルーのイヴニングドレスに包み、優雅な動きでこちらに歩いてくる。長い金髪をきれいに編み上げ、美しく整った顔立ちはギリシャ神話のヘレネーを思わせた。
「お相手いただけて光栄よ、大尉」
艶やかな微笑みを浮かべる。
マナーに従って手を差し出すと、その上にドクター・キャライスが白く美しい指をのせる。瞬間、何かがジュピターの神経を刺激した。今まで経験したことのない妙な感覚。
ドクター・キャライスの方も一瞬、形のいい眉を上げてジュピターを見つめたが、すぐに笑顔に戻ると、始まった曲に合わせてステップを踏み出した。
うわの空で彼女に合わせながら、その奇妙な感覚が何だったのか突き止めようとする。
ふと、いつかリリアの言ってた「同族感覚」という言葉が浮かんだ。
その考えを検討し、確かめてみる価値はあると結論した。
彼女の心の外殻に近寄ってみる。リリアのようなタイプならすぐに反応があるはずだが、ドクターの表情に変化はない。変らず普通にダンスを楽しんでいるふうだ。
万が一「同族」だったとしても、共感的なタイプではないということか。
思い切って彼女の心を少し読んでみるが、ダンスに興じる彼女の思考に、手がかりになるような情報はない。
思考を拾い読みするのではなく、彼女の心の中に立ち入らずに、心の全体的な「輪郭」を捉えてみることはできないか。
意識を集中しながら試行錯誤するうちに、ジュピターの頭の中に、複雑な幾何学図形のようなパターンが見えた。それに次々と要素が加わって、立体的な形を作り始める。
それは抽象的なのだが、どこかドクター・キャライスの印象と通じるところがある。
人間の心の質と構造が抽象的なパターンに移しかえられたそれば、こんなふうに見えるのではないか……無数の色と形が複雑に重なり、交わり合い、一瞬一瞬、変化する。個々の要素は絶えず変化しながら、なお全体として変わらない個性のようなものがある。
よく研いだナイフのように鋭角的な切れ味のよさ。高度に緻密で鋭敏、しかしきわめて安定している印象……。
これは確かに、彼女の心の個性あるいはパターンを示している気がする——
「もう一曲、相手をしてくれるの?」
ドクターの声に我に返る。曲が終わっても彼女の手を握ったままだったことに気づいた。
「ああ 失礼 考え事をしていたもので」
ドクターが笑う。
「あなたが仕事以外のことに関してはまったくお留守っていう噂は、本当なのね。またそのうち相手をしてもらうわ」
11時を回った頃に最後の女性の相手をし終わると、壁際の席で飲み物を飲んでいるリリアを見つける。
「お疲れさま。リストの女性たちから苦情が来なかったところを見ると、予定は全部こなしたのね? 途中で放りだしてどっか行っちゃうんじゃないかと心配してたわ」
「君、ちょっと相手をしてくれ」
「私?」
「誤解するな。君の手をちょっと握ってみたいだけだ。確かめたいことがあるんだ」
「『ダンスの相手をしてくれ』と言うよりは『手を握りたい』と言う方が誤解を招く表現じゃない?」
始まる曲に合わせてリリアの手をとり、意識を集中する。
見える。
ドクター・キャライスの、そしてその後に相手をした女性たちの中に見ることができたように、あのパターンが。
それも、どの女性よりも繊細で美しいバランスを持った「リリアの心の形」……。
<手を触れてるからかしら あなたの頭の中のイメージが流れ込んでくるんだけど——これはなに? すごくきれいな万華鏡のイメージみたいなもの>
<君の「形」さ>
<え?>
不思議がるリリアの心の動きにつれて、パターンが波のように変化する——リリアの「らしさ」を保ちながら。
<こいつは面白い>
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