密会

文字数 2,685文字

 ジュピターがナタリーと会っていることは誰にも知られていなかった。隠すほどのつもりもなかったが、仕事が終り夜遅くに彼女の部屋を訪れ、夜が明ける前に出て行くジュピターの姿は、たまたま誰の目にもつかなかったようだ。
 ベッドから起き上がるジュピターの背中に、ナタリーがつぶやく。
「ほんと その病的な早起き性は何とかならないのかしら」
 ナタリーの言葉を聞き流しながら、ここしばらく考えていたことを口にする。
「……少し前に科学局のことに触れた時、君は心理検査への対策を考えているという印象を受けたんだが」
「対策はあるわ」
 ナタリーは平然と言いながら、うつぶせのままサイドテーブルの水入れに手を伸ばしグラスに注いだ。小さくなった氷がしゃらしゃらと音を立て、彼女ののどを潤す。
「ただその方法を嫌う人たちがいると思うから、まだ話を持ち出してないけれど」
 ナタリーの話を聞き、さすがのジュピターも驚いたが、しかし同時に「彼女」なら驚くには値しないとも思った。
 子どもが12歳になった時に受けなければならない心理検査。基本的には1度パスすればそれで終わりだが、成人してからでも、変異種と疑われるような行動が当局に見つけられた場合、再検査が課される。
 その心理検査から身を守るための方法を、彼女はすでに考えついていたのだ。
 ただしそのためには心の一部を加工する必要がある。検査に対して偽の反応を与えるような心理規制のループを作り、それを心の中に仕組む。その規制は普段は無意識の側にあるが、心理検査にかけられるという特定の状況がトリガーになり、心の外側を覆って検査に抵抗する防御壁として働く。
 だが、心にそういった人工的な処置を加えることを、仲間の一部、とりわけ自分たちの「ありのままの感覚」を大切にする共感型たちは好まないだろうと彼女は考えていた。
「とくにスティーヴなんかは嫌がりそうね 『人工的な処置で心の自然な全体性を奪ってしまうなんて』って」
 それはジュピターにも想像できた。スティーヴの性格、それに価値観からすれば、いくらいざというときに身を守るためだといっても、自分の心に人工的な心理規制を作ることには抵抗するだろう。
 しかしその技術は将来的に必要になる可能性が大きい。
 共感型による感情レーダーのネットワークが少しずつ築かれているとはいえ、何かの事故か、誰かがミスを犯して検査にかけられる状況に陥ることが100パーセントないとは言えない。
 それに将来、子どもが産まれたなら、彼らも検査に直面する。これまで考えられた対処は、担当の検査官の心に印象操作を加えて記憶をごまかした上で、データベースに偽のデータを入力する方法を考えるということぐらいだった。
 しかし分析型の能力は相手の印象を操作したり、記憶を部分的に消去することはできるが、まったくの偽の記憶を作って植えつけることはできない。何より検査のデータベースは科学局の管理下にあってベース側からはアクセスできない。
 だとすればスティーヴの両親がしたように、子どもをつれて復興途上地区に紛れ込むしかないかもしれない。
 しかしナタリーの考えた心理規制なら子どもの心にも作ることができる。それで検査をくぐり抜けさせられるなら、ベースにとどまれる。検査さえ通過してしまえばベースの中はむしろ安全なのだ。官僚制の壁と仲間たちのネットワークが守りになる。
「その処置には可逆性はあるのか?」
「そう思うけど。物理的に心や脳を変性させるわけじゃなくて、心理規制のループを作って特定の領域に埋め込むだけだから。
 それにこういう心理規制の作り方は、他にも使いようがあると思うのよね」
 ナタリーはジュピターの心に、心理検査から身を守るためのループのフローチャートを広げて見せた。それは人間の情動と行動のパターンについて、考えられる限りの選択肢を網羅していた。こうして綿密に設計されたループを意識と無意識の境界に埋め込む。
「……このやり方が有効なら、心理検査をくぐり抜けるためだけでなく、さまざまな形で人間の行動を制限できる」
「そうよ。ただ設計図に穴があったり、目的の相反する複数のループを入れたりすると、反応に不具合が出ると思うけど。
 何にせよ、そんなことが可能だという事実自体を嫌うか怖がる人がいると思うわけ。変異種の仲間の中でもね。
 そのために必要な能力と技術を持ち合わせてるのは今のところ私とあなたぐらいだから、悪用の可能性はないとは思うけど」
「それにしても……どうやってこんなことを思いついた?」
 ナタリーは珍しくわずかに間を置いてから言った。
「……科学局の人間の中で、心の構造が少し妙なのがいるの。変異種の研究担当の科学スタッフに会ったことある?」
「言われてみれば、会ったことはないな。
 そもそも科学局は機構の一部ではあっても完全に独立した組織で、行政士官の管理は及ばない。建物もベースの中の独自の区画にあるし、居住施設も別に分けられている」
「医療も専用の病棟があるわ。でもたまにそこの医者に扱い切れない複雑な処置を必要とすることがあって、私にお呼びがかかるわけ。
 そうやって会うスタッフの頭から情報を引き出そうとするんだけど、変異種の研究については何も見つけられない。ただそれに関係する周辺情報が漏れているのを見つけて、拾うことができるだけ」
「どういうことだ」
「心理処理を施してるんだと思うわ」
「何だと」
「あまりつつくと、外部からの心理的な干渉に反応するループがあるかもしれないから、深くは入れないけど。感じとしては、私が診た相手は、変異種の研究に関する部分の記憶が人工的に抑圧されているようだった」
「そんなことができるのか?」
「おそらく催眠と薬物の組み合わせ。電気刺激もあるかも。そういう技術は20世紀の半ばぐらいから存在してたわ。諜報機関とかが使ってたやつ。かなり乱暴な処置だけど、それで意識下にループを埋め込んで、特定の言葉や視覚刺激のトリガーでオンにしたりオフにさせたりできる。
 記憶を抑圧するのはそれほど難しくないのよ。私たちがやるように記憶の完全な消去はできないと思うけど、都合の悪いことを、思い出すことができないぐらいに埋めてしまうことはできる。
 科学局のスタッフがリタイアした後も機構の管理下に置かれ続けるのは、時間が経つとそういう処置がほつれる可能性があるからじゃないかしらね」
「それは……そこまでして管理しなければならない、外には出したくない秘密があるということか」
「かもしれないし、単なる機構のトップのパラノイアかもね」

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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

アンドレイ・ニコルスキー

ニューイングランド州ベースの管制官。人好きで寂しがり。趣味は木工で、隙があれば家具が作りたい。

エリン・ユトレヒト

ニューイングランド州ベース技術局のシヴィリアン・スタッフ。機織りやその他、多彩な趣味があって、人間関係より趣味が大事。

マリア・シュリーマン

ノースアトランティック州のシヴィリアン・スタッフ。優しく繊細で、少し引っ込み思案。

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