探る視線
文字数 3,090文字
タイガーはワインを開け、グラスに注いでジュピターに手渡した。
シェイファー准尉はあの後、7Dの仲間全員と顔を合わせて握手を交わし、きまじめな表情を少し上気させて「必ず卒業後に」と約束して帰っていった。
「ああいう能力のやつが1人いるということは、おそらくもっと見つかるということだな?」
「それはあり得るが、しかし彼が例外という可能性も否定はできない。スティーヴのようなまったくの規格外のケースもあるからな。それに見つかったとしても、軍務を希望するとは限らんだろう」
「それは説得のしようだ。同じタイプがあと2、3人いれば、戦場ではほぼ無敵になるんだが」
「その2、3人が見つかったら、次に欲しいものがまた出てくるんだろう」
「そりゃそうだ。仲間は多いほどいいし、総合的な戦闘能力は高いほどいい」
「そうすれば、いずれ反乱軍の制圧にもっていけるということか?」
「……そうだなあ」
「お前にしては煮え切らない返事だな」
「俺はな、ガキの頃からアメリカの歴史を学んでた。境界州の士官学校を選んだのも南北戦争に興味があったからだ。そしていつか反乱軍を叩き伏せて、アメリカに平和をもたらしてみせると思っていた。だが……」
ジュピターは黙っている。
「ここに長くいればいるほど、機構の中央から伝えられてくる状況のすべてが本当だとは思えなくなってきた。軍事に限っても、俺たちが戦っているのは局地的な反乱程度のものじゃない」
「機構の中央が嘘をついていると?」
「少なくともすべての事実を公にしてはいない。それはお前も疑っていることだろう。
何にせよ敵は攻めてくるんで応戦はしなきゃならん。俺が部隊の力を高めたいのは、何より今この状況で兵士たちを無駄に死なせないためだ」
前方勤務の番が回ってきて、タイガーの率いる部隊は早朝、戦車や装甲車の長い隊列を組んで待機場から出動していった。
「テレキネティックたちがベースにいなくなると、なんだかネットワークの重さというか質量が減るね」
「うん それ感じるね」
「タイガーたちがいないと、ウェイも夕食を作る相手がいなくて手持ちぶさた?」
「それはちょっと寂しいけど……でもスティーヴもマリアもいるし、リリアさんにも毎週来てって言われてるし、共感型のみんなのお茶会もあるから、それなりに忙しくしていられるよ。
今晩はマリアとご飯を食べに来るよね?」
「うん いつもの時間でいい?」
「今日は30分くらい遅めで」
普段は中華料理を作っているウェイだが、個室のドアを開けると、バターの甘い香りとチーズが焼ける香ばしい匂いが漂ってきた。
甘口の白ワインが注がれ、野菜のポタージュと一緒に出されたパスタみたいなものを見て、マリアが驚く。
「これ シュペッツレね?」
「うん フラムキッシュも……という発音でいいのかな……今、焼き上がるとこだから」
白いクリームソース仕立ての四角いピザのようなものの上に、輪切りのゆで卵や赤タマネギが乗っている。
「レシピにはベーコンてあったけど、マリア用にベジタリアンのアレンジにしたよ」
マリアが顔をほころばせ、小さく切り分けた白いピザを口に入れる。
「おいしい! スティーヴ これね、アルザスでよく食べるものなのよ」
「すごいな、ウェイ そんなものまで作れるんだ」
ウェイが照れる。
「マリアもたまには故郷の料理を食べたいんじゃないかなって思って……手に入る食材で何とか作れそうなレシピを探したんだ」
週末は3人で
連邦政府が廃されてから運営予算がなくなり、長い間、閉鎖されていた。展示が限定的に再開されたのは10年ほど前らしい。それも機構の中央ではなく境界州ベースの独自判断で、予算もベースから出ていると聞いて、少し意外だった。
静謐でひんやりとした空間の中を、大理石の床を踏んで歩き回る。いつ来ても、入り口の警備員以外に人はいない。
展示目録すらないが、何度も通って、どの展示室にどの作品があるかはすっかり記憶した。それでも好きな絵は何度でも見たい。
マリアの好きなフェルメールの絵の、しっとりとした陰影の中で輝く青い布。ウェイがとりわけて気に入っている、庭を散歩する妻と息子の姿をモネが描いた絵。こんなにさりげない筆使いの中から、こんなにもまぶしい空が生まれる。
スティーヴの好きなラファエロの小聖母やフィリッポ・リッピの絵もあり、3人にとってそれは本当に宝の山のようだった。
絵を見た後は街に出て、「自分では作れないものが食べたい」というウェイの希望で、中近東やアフリカ系の店が並ぶ雑多な通りでご飯を食べた。
ある週末、3人はカフェテリアでお茶を飲んでいた。ようやく冬が終りに近づき、気温はまだ低いが、ガラスごしに窓際のテーブルに落ちる日差しが少しずつ明るく、暖くなっている。
ふと誰かの強い視線を感じ、どきりとした。ウェイもそれを感じたらしく、2人で顔を見合わせる。
「どうしたの?」
様子に気がついて小声で訊ねるマリアに、スティーヴがテレパシーのフィールドを作り話しかけた。
<誰かが僕らのことを見てる>
<何だかすごく興味を持ってるね>
<疑ってるわけじゃないみたいだけど……>
ナタリーだったら多分すぐに相手の心を読んで、おそらく記憶まで引っ張り出して、何を考えているかを確認しただろう。
スティーヴは共感型と分析型の能力を持ち合わせているので、他人の感情を感じるだけでなく、思考を読むこともできる。でも正当な理由なしに他人の心を読むことはしたくないと思っていた。
<悪意じゃないよね……むしろ好意に近い? それにしても興味しんしんな感じ>
<うん 好奇心みたいなものを向けられることはたまにあるけど、こんなのは初めてだな。
ウェイ 何かするべきだと思う?>
<とりあえずそのままで、追加の反応を待ってみたら?>
<そうだね 感情の質は疑いや敵意じゃないから、もっとはっきりと気になることがあってからでいいかな>
フィールドを通して話を聞いていたマリアは、そっと立ち上がった。
「お茶をとってくるわね。2人はいつもの紅茶にミルクでいい?」
向こうの方にある給湯器に向かって歩いていくマリアを目で追っていると、少し離れたテーブルから彼女をじっと見ている女性がいた。スティーヴが注意を向けたことには気づいていない。
マリアがお茶をトレーに乗せて戻ってきた。
<君のことを見ている人がいるの、気がついた?>
<ええ 彼女……仲間ということはないかしら?>
<え……>
<スティーヴ 可能性はあると思う?>
<……仲間だったとしても、とりあえず共感型じゃないよね。僕らが注目したり、彼女のことを話しているのに気がついてはいない>
<うん それに……仮に共感型で、他人の感情を感知する能力がまだそれほど発達してないだけだとしても、こちらを変異種の仲間だと思ったなら、もうちょっと驚いたり興奮したりするはずだけど……>
<分析型なら、とっくに僕らの心を読んでそうなものだけど、そういうふうでもない>
結論はまとまらなかった。
いつもなら何か口実を作ってあの女性に握手を求めにいくところだ。
でも彼女が3人に興味を向け、そしてとくにマリアに強く関心を寄せているようなのが気になり、スティーヴをいつもより慎重にさせた。
<ジュピターに相談してみるよ>
(ログインが必要です)