食い違い
文字数 3,436文字
少し離れたテーブルにマリアとスティーヴが座っている。
やがて例の女性がやってきた。線の細く肌の薄い顔立ち。それが少し上気した表情で席に着く。2人と差し向いで話ができることがうれしくて仕方ないといった様子だ。
ティーカップを横に置いて、女性は持ってきた紙の本を大事そうに開き、興奮した様子で話し始めた。スティーヴとマリアは本物の興味を示し、うなずいたり質問をしながら聞いている。
話に夢中になっている女性の心をジュピターは捉えた。
輪郭はやはり普通の人間のように見える。変種の共感型が持つこまやかさや繊細さはなく、分析型の持つ鋭さや精密さもない。テレキネティックたちの心が放つ生命の弾力性に満ちた強さも感じられない。
そう思いつつも、今度は注意して輪郭の全体を見直す。
何かが不自然だ。あらゆる部分が妙に均一で、ほとんど人工的なバランスを保っている。それでいておかしなちぐはぐさを感じさせる。
ジュピターは視線を落として集中を深め、本人に気づかれないように注意しながら観察を続けた。
変異種であれ普通の人間であれ、心は数え切れない構成要素からなっており、当然そこには相反する要素や矛盾、葛藤などが含まれている。それらのバランスは置かれた状況や本人の状態に応じて変化し、それが言わば「人間らしさ」を生み出している。
彼女の心は一見、安定しているように見えて、これと指さすことのできない不自然さがあった。しかしそれがどこから来ているのかを見極めようとすると、彼女の心は要素の配置を変化させ、今見ていたものが見えなくなる。
とりあえず心の作りをすぐに見極めるのはあきらめ、記憶を調べることにする。
見極めるのが難しい不自然さの原因になっている要素は、おそらくずっと過去に起因する。
この数日間の彼女の記憶を確認し、そこから記憶をさかのぼる。早送りをしながら、細かな内容は無視して流れの整合性だけに注意を払う。
やがて12歳——心理検査の日にたどりついた。
早送りを止めて記憶を調べる。
彼女は何の不安もなく検査に向かい、そして何事もなくパスした。自分は普通の人間だと疑っていなかったし、「だから検査のことは何も心配していない」。
ここまで見てきた限り、彼女は普通の人間だ。変異種であることを示すものは何もない。
ジュピターは立ち止まり、少し考えてから、さらに過去へさかのぼることにした。
早送りの速度をやや落として記憶の流れを追っていくと、ふいに前後のつながりが整合しない箇所があった。そこから先の記憶は霧に包まれたようにあいまいになり、所々に大きな欠落があるようだった。
<リリア 女性の過去について質問するようにスティーヴとマリアに伝えてくれ。子ども時代はどこで育ったか……兄弟や姉妹はいたかと>
マリアが女性に話しかける。女性はにこやかに応じているが、心の深い部分からわずかな緊張が振動として伝わってくる。
緊張の原因は、外部に向ける反応と心の奥の感情反応の食い違いだ。そしてそれは欠落した記憶と関係している……
作業に夢中になり、どれだけ経ったかわからなくなっていた。時計を見ると1時間近くが過ぎていた。
リリアが気遣わしげな表情で見ているのに気づく。
ジュピターはわずかにうなずくと、席を立った。
オフィスに戻り、腕を組んで椅子にもたれながら、自分が把握した事実を見直す。ジュピターが考え事をしている時はいつもそうであるように、リリアは静かに自分の仕事をしていた。
思考の整理がついた頃、スティーヴが駆け込んで来た。
「ジュピター どうだった?」
「ある意味ではお前の直感した通りだ。私が最初に彼女の心の輪郭と思ったものは、疑似的な輪郭あるいは壁だった。
だが彼女の状態は、1枚の壁の後ろに本当の自分が隠れているといった単純なものではない。
彼女の中では心の表層と深い部分が切り離され、人格が構造的に分断されている。それが能力の発現を妨げているのは確かだ」
「それで……助けることはできる?」
「問題はその分断が形成された原因だ。
子ども時代のことを訊かれた時、彼女は兄弟か姉妹がいると言ったか?」
「一人っ子だったと言ってた」
「彼女には姉がいた。彼女が7歳の時にその姉が心理検査にひっかかり、当局に連れて行かれ二度と帰って来なかった」
ジュピターの言葉にリリアが息を詰める。
「7歳以前の彼女の記憶はかなりの部分が意識から消去され、その全体は本人にも思い出せなくなっている。
2人は親密な姉妹だった。その姉を失ったショックと、そして自分も同じ目に遭うかもしれないという恐怖で、姉の存在は彼女の意識から切り離され、完全に忘れ去られている。
それによって彼女の人格は分断され、疑似的な壁が形成されて、姉と一緒にいる間に始まりかけていた能力の発現は押さえ込まれた。
能力を目覚めさせるためには記憶を回復させて、分裂している人格を再統合することが必要だろう。
……だが、我々にそんなことをする権利があると思うか」
「……カタリーナにすべてを説明して、どうしたいかを訊ねたら……きっとそうしたいと言うと思うけど」
「お前は彼女を放っておけないと言う。だが、このままでも彼女は普通の人間として生きていける。
本人は自分が変異種ではないと思っているし、心理検査も問題なく通過できた。これからも何の不安もなく普通の人間として生きていける」
「でも それって、彼女が本当の自分じゃないまま生きるってことだ。自分の一部を忘れて、手放して……」
「記憶を回復することは能力の発現を可能にするかもしれないが、しかしそれが彼女の精神のバランスにどんな影響を与えるかわからないのだぞ。記憶をとり戻した後の彼女が今より幸せになるという保証はない。
それに彼女の完全な同意を得るためには、仲間たちのことについてうち明け、お前やマリアが変異種だということも教えなければならないだろう。
話をした上で、相手が変異種として生きることを望まないと言ったらどうする? その時には、お前やマリアとのやりとりや仲間についての知識をすべて記憶から消去しなければならない。
1度事実を伝えて、その後にその記憶を消去しなければならなくなった場合のリスクを考えているのか?」
「……」
スティーヴは納得のいかない表情だった。理屈で彼を説得することはできないだろうというのはわかっていた。
スティーヴにとっては、眠っている仲間を目覚めさせるのは自然なことだっただろう。しかしジュピターにとっては、それは1人の人間のためにベースの仲間全員を危険にさらすリスクを含み、そしてそのリスクは避け得るものだった。
「彼女のお姉さんが科学局の犠牲になって、そのために彼女が苦しんで、能力も抑圧されているというなら、なおさら放っておくことはできないよ。
彼女は仲間を求めてすごく寂しがってる。僕らに近づいてきたのも、本能的に僕らが仲間だと感じてたからだ」
スティーヴは「彼女の記憶をつなぎ直して、目覚めるのを助けるべきだ」と食い下がり、ジュピターは同意しなかった。このまま何もしないことで、問題が発生した際に仲間に及ぶかもしれないリスクは避けられるのだ。
ベースの仲間たちを守る責任を自分は負っている。スティーヴの言葉がどれほど感情に訴えるものであっても、それに流されるわけにはいかない。
スティーヴの懇願にジュピターは淡々と答えを繰り返し、話はどこまでいっても折り合わなかった。
リリアは表情を固くして、彼女のデスクから黙って2人を見守っていた。
やがてスティーヴは不満をあらわにした表情のままオフィスを出ていった。
リリアの凍りついていた肩が緩み、彼女は深い息をついて両手に顔を埋めた。
ジュピターは椅子にもたれて天井を仰いだ。
「……これまでスティーヴとは重要なことについてはすべて同意できていた。細かな問題が起きても、話し合えば答えは出せると思っていた……。
リリア 君はどう考える?」
「……理性ではあなたが正しいことはわかるの。仲間のみんなを、私たちがここまでこんなに時間をかけて、すべてを注いで築いてきたものを、たった1人のために、わずかにでも危険にさらすべきではないって。
でも あの不幸な女性を——彼女と記憶の中のお姉さんを助けてあげたいっていうスティーヴの気持ちも痛いほどわかる……」
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