トラブルメイカー
文字数 3,063文字
「今日は他の
「何のために?」
ジュピターが気の乗らなさそうな顔で訊ねる。
「コミュニケーション用語で言えば、表象行動としてはお酒でも飲んで世間話。背景目的としては、同期の高級士官候補の間で人間関係の形成。
将来のコネクション作りってところ」
「そんなことよりも、今やりかけの居住区のメンテナンス・プロジェクトを進めたいんだが」
「あなたは人間関係の重要性を過小評価し過ぎよ。
タイガーも言ってたけど、参謀部に上がるには業績が半分、人間関係が半分。今からちゃんとコネクションを作っておかないと、いざという時に損するわ」
「それくらいは分かっているさ。だからコミュニケーション専攻の副官を選んだんだ」
「じゃあ、そのコミュニケーション専攻の副官の作るスケジュールには従っていただけますね、中尉?」
ジュピターは憮然とした表情で髪をかき上げた。
あらかじめ他の副官たちと相談し、上級の士官があまり来ず、リラックスできるラウンジを選んであった。
副官はそれぞれは自分の士官のために働くが、副官同士でディヴィジョンや階級を超えて情報を交換し合い、背後でのコミュニケーションや根回しを行う。言ってみればベースの結合組織のようなものだ。
約束の時間に行くと奥に案内される。二人の中尉とその副官たちは先に来ていて、奥のゆったりとした雰囲気の席についていた。
誘い主のブライス中尉が自分と副官を紹介し、さらにジュピターとリリアをもう一組の士官と副官に紹介する。
ジュピターは同期の卒業生の先頭を切って昇進しているので、この中尉たちはどちらも2期、先の卒業生だ。
手渡された飲み物のメニューを、ジュピターは見もせずにリリアに渡した。
「適当に選んでくれ」
「ヨーロッパの白ワインがいいのよね。アルザスの白でどうかしら」
「構わん」
「おいおい、噂通りだな。君の副官はラウンジでの飲み物まで選ぶのかい?」
ブライス中尉が面白そうに言った。
「仕事上の重要な判断以外はすべて任せてある。そのための副官だ」
ジュピターが平然と答える。
「おい 聞いたか? 俺もこんなセリフ言ってみたいもんだ!
あ いや、そう思っただけだから」
ブライス中尉は慌てて隣に座っている彼の女性副官に言葉を繕う。
「そういやあこれも噂だが、君は食事はサラダしか食わないそうだな」
陽気な中尉は氷の入った茶色い液体を傾けながら訊ねる。
「サラダだけというわけではないが、とりあえず動物の死体は口に入れない主義だ」
「動物の死体?」
一瞬あっけに取られた中尉は、すぐに大声で笑いだした。
「肉のことか! 面白いこと言うなあ。しかし『動物の死体』を食わなきゃ体がもたないんじゃないか、とくに君みたいな働き方をするんじゃ?」
「それは非科学的な考えだ。アミノ酸の構造は動物からとろうが植物からとろうが同じだ。バランスのとれた食事をとっていれば栄養面での不足はない」
「理屈は一応あるわけだな。しかし肉のない食事なんてのは、やっぱり何か不足しそうな感じがするね。
そういえば君はヨーロッパから来たんだったな。少し変わってるのはそのせいかな」
中尉がリリアに対して真面目に同情しているのが伝わってきて、笑いそうになるのをこらえる。大ざっぱだけどいい人だ。
その後、ワインにもたいして口をつけず、話しかけられたことにだけ手短に答えるジュピターを、リリアはまるで世間慣れしていない息子を見る母親のような気持ちで見ていた。
やがて時計が8時半をまわる。
「もうこんな時間ね。明日は朝からミーティングだし、そろそろ失礼しましょ」
ジュピターがほっとするのがわか る。残る中尉たちにあいさつをして席を立った。
出口に近いカウンターで、黒い制服の
訓練官は軍の兵士や
その横を何気なく通った時、訓練官の一人が腕を伸ばしてリリアの腕をつかんだ。
「よう お嬢さん ちょっと俺たちと話していかないか」
むっとするほど酒臭く、明らかにかなり酔っている。
「私たち、これで帰るところなんです」
「そんな愛想のないこと言うなよ。それとも訓練官ふぜいとは話はできないことになってるのかい。
そこにいる官僚の坊やも、あんたみたいなかわいい副官をそばにはべらせておけるなんて羨ましい限りだ」
「明日も早くから仕事なのでこれで――」
そう言いながらふりほどこうとしたが、大柄な訓練官はつかんだ腕を離さない。そのまま引き寄せられそうになり、慌てて抵抗する。
「おい 自分の副官が侮辱されるのを私が黙って見ていると思ったら、間違いだぞ」
ジュピターが不機嫌そうな表情で横から訓練官に近づく。
「へえ どんなふうに黙ってないんだ? 軍法会議用の書式に記入して署名でもしてくれるってのか?」
連れの訓練官たちが笑う。
「減らず口をたたくそのあごの骨を砕かれたくなければ、さっさとその手を離せ」
ジュピターの言葉にまわりから口笛が飛ぶ。
訓練官がジュピターの方に向き直る。ジュピターは相手の手首を捻り上げた。リリアを引き離して後ろに下がらせ、素早くファイティングポーズをとる。
殴りかかろうとした訓練官の動きが止まる。酔っていても喧嘩慣れしている分、ジュピターが本気で、その構えに隙がないことに気づいたようだ。
カウンターの向こうの席から軍士官が声をかけた。
「おい、軍曹 気をつけろ。そいつは演習場で7Dの兵隊5人をのした揚げ句に、うちの『虎』とタイマンをはったやつだぞ」
その言葉を合図のようにして連れの訓練官たちが止めに入る。
「いい加減にしろ。ここでまた喧嘩を始めたら、今度こそ懲罰ものだぞ」
酔った訓練官が仲間たちに抑えられ、引っ張って行かれる。
憮然とした表情でジュピターがふり返る。
「大丈夫か?」
「ええ」
「だからこういう所へ来るのは好かないんだ。酔うまで酒を飲まなきゃすまないやつらの気が知れん」
「次からラウンジでっていう誘いは断るようにするわ」
ジュピターと並んでラウンジを出る。リリアはこんな状況で不謹慎だとは思いながら、こっそり考えた。
(やっぱりかっこいい
翌日の午後、タイガーがオフィスにやってきた。ジュピターは部屋の奥でヘッドセットで資料の録音を聞いている。
「あいつ、またやりやがったな」
「何のこと?」
「ラウンジで
「彼は私をかばってくれたのよ。実際の殴りあいには到ってないし」
「まあいいが、あいつをラウンジに連れて行くのは止めとけ。酒の入った荒くれどものいる場所じゃ、またいつ騒ぎを起こさないとも限らん」
「本人が嫌がってたのを引っ張っていったのは私なの。彼、普通の人間関係に本当に興味がないから」
「まったく手を焼かせやがるな あの野蛮人が」
「誰が野蛮人だ」
タイガーに気づいたジュピターがヘッドセットを外す。
「お前に決まってるだろうが。しかしそのきれいな顔で、ボクシングなんぞやろうとよく考えたもんだな」
「いちいち見事に人の神経を逆なでするやつだな」
「お前な、血の気を発散したいんだったら俺が相手してやるから、ジムに行く時間を空けとけ」
ジャブの応酬をしているように見せて、何くれとなくジュピターをフォローするタイガーの手際に、リリアは正直、感心していた。
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