足場は築かれる
文字数 2,812文字
大切な親しい存在が戻ってきた。
喜びと安堵の気持ちがじわじわと胸に広がる。
きっと無事に戻ってくるとはわかっていても、時には何か月も顔を見られない前方勤務に彼が出かけて行くたびに、無事な帰還を祈ってきた。
タイガーは車両に揺られてベースに向いながら、時々ジュピターやリリアのことを考えている。着くのはあと1時間ほどだろうか。
「タイガーが帰ってきたみたい」
リリアはジュピターに声をかけた。
「今回は長かったな……君の感覚はもうベースの外にまで届くのか?」
「わかるのはタイガーやスティーヴみたいにうんと親しい人だけ。それにテレキネティックの存在感は強いから、捉えやすい感じもするけど」
少し待ってからつけ加える。
「そろそろテレパシーでもカバーできる範囲だわ。ちょっと声をかけるわね」
<お帰りなさい!>
<……こんな距離までテレパシーのネットをつなげられるのか。俺の方じゃ、周辺にいる仲間と一対一で会話をするのがせいぜいなのに>
<ふふ それはお互いの役割ってものでしょ。私には心の力で地雷の信管を壊したり、銃身を詰まらせたりできないわ。
今晩は食事の準備をしていいかしら>
<ああ あと40分で7Dの縄張りに入る。兵隊どもを解散させて、それから上への報告があるが、夕方にはそっちに行けるだろう>
夕食の支度を終える頃には、2人はワインのびんを半ば空けていた。
「大佐に昇進か。どこかで追い越せると思っていたが」
「お前が俺を追い越せるなどという馬鹿げた考えは、どっからわいて来るんだ」
相変わらずティーンエージャーのように言葉で小突き合いをしながら、楽しそうだ。ジュピターが乾杯の仕草でグラスを差し出し、タイガーもニヤリと笑うと自分のグラスを上げた。グラスのぶつかる明るい音が響く。
「これで参謀部入りの準備ができたわね。
今いる7D出身の中将が1人、退役するんでしょう? それで7Dの上の方としては、その枠を7Dの出身者で埋めるつもりだっていう副官たちの話。
あなたはその有力候補なんでしょ?」
「ああ 俺を押し込めば、当面はその席をキープできるという算段らしいな。
まあ軍系の人間が参謀部に上がるのは、通例では准将か少将になってからだ。大佐に昇進した時点で有資格になるとは言っても、参謀会議の表決に通らなきゃならん」
「それは大丈夫と思うわ。参謀官付きの副官たちの話では、行政系の参謀官の間でも、どうせ7Dの人間に席を引き継がせるなら、要求を一方的に押し通す頑固者よりは、あなたみたいに頭がよくて話の通じる人間を入れた方がいいという話になってるって」
「官僚どもに話がわかるとか言われてるのか そりゃとんだ買いかぶりだな」
3人は笑いながら夕食を楽しんだ。
3人が食事をともにするようになってから5年……それも遠い昔のように感じることもあるし、あれからいくらも経っていないように感じられることもある。
そしてそこにスティーヴが加わってもたらされた夢。それは着々と形になりつつある。
今でもまだその果ては見えないし、どうやって道をつけたらいいのかもわからないことばかりだ。それでも自分たちは前に進みつつある。まだ見ぬ仲間たちのためにも、意味のあることを成し遂げつつある。
そう考えて、リリアの気持ちも明るかった。
それから1か月後に参謀官の会議で動議が出され、表決が行われて、全員一致でタイガーの参謀部入りが決まった。境界州ベース始まって以来、最年少の参謀官の誕生だ。
そしてそのことを誰も意外には思わなかった。それほどタイガーは7Dの将官として上からも信頼され、下からも厚い支持を受けていた。
戦線ではつねに先頭で指揮をとり、ずば抜けた兵の運用能力で次々と大きな戦果を挙げていた。それでいて彼の率いる部隊では、どんなに激しい戦闘でも死傷者の数が圧倒的に少ないというのが、兵士たちの伝説になっていた。その男気のある人柄もあり、手練れで荒くれ者の多い7Dの兵士たちの間でも人気は絶大だった。
そしてベースの体制の中で現実的に、つまり「政治的に」ふる舞って、さまざまな折衝にも折り合いをつけることのできた彼は、行政系の高級士官たちからも好意的に見られていた。
それは出世競争におけるタイガーの強さだ。ジュピターは思ったことははっきり口にし、納得のいかないことに対しては、自分を曲げて交渉に応じるということもしない。その意味では「有能で信頼には値するが、融通が利かない」と思われていた。
リリアはできるだけ早い時期に、つまりタイガーと同じように大佐昇進時にジュピターを参謀部に上げたいと思っていたが、そのためのコネクション作りや根回しはすべてリリアの仕事だった。
タイガーが参謀部入りした日には、彼のフラットのキッチンを借りて、ウェイと一緒にディナーを準備した。ジュピターにスティーヴとマリア、ダニエルも加わって祝杯をあげた。
タイガーのフラットから戻り、スティーヴはそのままベッドに転がった。すすめられてワインを2杯空けただけだが、ちょっと酔っぱらった気がする。
「大丈夫 スティーヴ?」
マリアが温かいハーブティーをもってきてくれ、心配そうに顔をのぞきこむ。
「気分はいいんだ ちょっと目が回るだけ」
体を起こし、渡してもらったカップに口をつける。ミントの香りと蜂蜜の甘さが染み渡る。
マリアは隣に腰を降ろし、スティーヴの背中を撫でた。
「……私たちの仲間がベースの参謀部に入るなんて、ほんとうに夢みたい。これであなたが言ったみたいに、ベースの中での影響力を広げていけるのね。
少佐もきっとそんなに遠からず参謀部に上がるんでしょう?」
「うん そう思うよ」
「テレパスの人たちも、みんなを守ることに尽力している。
私はテレパスじゃないけれど、みんながそのためにどんなに心を配って、努力しているかわかるの。
でも 私は何の役にも立ててなくて……」
「そんなこと言わないで マリア。君は僕を幸せにしてくれているよ。ただいるだけでいいんだ」
「でも 私も誰かの 何かの役に立ちたいわ」
「きっとそのうち君にできることがでてくるよ」
「……そう思う?」
「うん それに いつか子どもが産まれたら、お母さんていうのも大きくて大切な仕事だよね。僕らが未来を築いていくために一番大切な仕事かも」
「……」
「でもそれはもうちょっと先。今はまだ君を独り占めしておきたいから」
スティーヴはマリアに腕を伸ばして抱き寄せた。彼女の髪をそっと撫でる。
「私たち……人間の家に住む妖精みたいだなって思うこともあるの。こっそり住んで、見つからないように気をつけながら、人間たちからいろんなものを借りて生活してるの。
でも借りるばかりじゃなくて、いつかは何かお返しができたらいいなって……」
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