手を伸ばす
文字数 3,055文字
ジュピターは明らかにナタリーのやることを信用している。
スティーヴも気楽な様子で頭を預け、彼女が何を見ているのか訊ねたりしている。一見無防備なようだけれど、彼は感覚的に相手の意図を感じとる。その彼がリラックスしているのだから心配はない。
でも、それを見ているタイガーは今一つ判然としない様子だ。記憶を消去できるというナタリーに、いとも簡単に自分の頭を任せることが、彼の防衛本能にとって納得がいかないのだ。
ナタリーがリリアの方をふり向いた。
「ちょっとあなたの構造も見せて。坊やのと合わせて、共感的なタイプの特徴を抽出したいの」
椅子に座ったリリアのこめかみに、そっと手が当てられる。透明な手が、心の外殻をすっと通り抜けてリリアの中に入って来た。ナタリーの意識は精密で中立だ。リリアの不安や抵抗を引き起こすことなしに、心の中から特定のパターンを探し出す。
ナタリーの心の質は確かにジュピターに似ている。その研ぎ澄まされた心は、個人的な感情をさし挟まずに、知覚し理解することを好む。
両手が離れた。
「標本数が少ないのは確かに残念ね。でも基本的なことはわかってきた。
私とジュピターは分析的なタイプのテレパス。リリアは他人の感情に反応する共感タイプのテレパス。
そこの7Dさんは、ジュピターのデータによれば純粋にテレキネティックよね。
4人とも能力は単一カテゴリなんだけど、この坊やだけ違うの。この子はテレキネティックで、共感型のテレパスで、それにまだあまり開発されていないけど分析型の素質もある」
「それは 彼が幼い頃から両親によって、変種としての能力を伸ばすように育てられたことと関係しているのか?」
「能力が発達し始める時期に、それを阻害する知性と感情のストレスがなかったからというのは、あり得るわね。でなければ、単に個体レベルでより進化したタイプの可能性もあるけど」
スティーヴが身を乗り出す。
「ということは 僕も相手の心の形をとらえて、仲間かどうか判断できるようになるってこと?」
「手伝ってあげるから、どれくらい発達するかやってみればいいんじゃない」
ジュピターが少し考えてから口を開く。
「変種の能力について、科学局はどれぐらいのことを把握していると思う?」
「ベースの科学局はしょせん組織の末端だから、本当に何をどこまで知ってるかは、中央科学局を探らないとだめよ。
私が知ってるのは、中央では変異を遺伝子レベルで特定しようとしているけれど、成功してないってこと。
いずれ遺伝子検査で変異を見分けられるようになったら、手間のかかる心理検査なんかじゃなくて、そっちに切り替えるつもりなんでしょうけど」
それを聞いてリリアはどきりとした。スティーヴが眉をしかめる。
「――そんなことがもし可能になったら、赤ん坊のうちに、変種かどうかわかってしまうってことだよね?」
「そうね どれくらい先のことかはわからないけれど」
あれからジュピターは、できるだけ時間を割いてナタリーから学ぶことに費やしていた。
自分でも驚くほどの早さで能力は開花し、即座に相手の心の全体的な構造を見てとり、相手が仲間か普通の人間かどうか判別できるようになった。そして今では、それを相手に手を触れずにできるようにもなっていた。
「あなたの場合、かなりの能力がすでに準備状態にあった。それが前面に出てくることを邪魔していたものをとり除いて、その結果がとりあえずこんな感じね。
ここから先がきっと面白くなる」
以前、ジュピターは自分とリリアを比べ、自分は単に能力の劣るテレパスだと考えていた。だがそうではなく、能力のカテゴリが異っていたのだ。ナタリーと出会ったことで、それを確かに知ることができた。
ある晩、ナタリーはジュピターの髪を指ですいて遊びながら言った。
「リリアの能力について、ちょっと気になることがあるの。
あなたは気づいてるかどうか知らないけど、共感型は意識の深いところで他人の感情につながって、その中から自分に対して指向性のあるものだけを意識的に昇らせて感じとる。
共感型の能力が強まるというのは、無意識のレベルでつながる人間の数が増えるってこと。
それって、リリアみたいなタイプにとってはすごいストレスだと思わない?」
ジュピターは以前、急激に能力を伸ばしていた頃のリリアの様子を思い出した。
「自分に対する指向性がなければ意識には入らないとはいっても、無意識のレベルで大量の人間の心と共感的につながって、大量の感情を感じとっていることにかわりはないわ。
それって何らかのやり方で処理しないといけないと思うけど、リリアはいったいどうやってるのかしらね」
ナタリーに言われたことが気になり、ジュピターはリリアに頼んで、彼女が他の人間と接する時の心の動きを観察してみた。
リリアはまわりの人間たちを、ほとんど慈愛とも呼べる忍耐と寛容さで受け入れていた。
共感型の能力は、相手を感情的に受け入れる能力と一体だ。リリアにもスティーヴにも、相手を受け入れ、つながるのはよいことだという心理的な前提がある。
自分やナタリーは逆に、相手の感情に巻き込まれたり、共感的に融合することを好まない。その距離感が、相手の心を対象化して分析することを可能にする。
これらは興味深い発見だった。変異種の能力は単なる能力ではない。それは本人の精神的な構造と深く結びついている。
この先、スティーヴが言うように仲間の数が増えれば、もっといろいろなことがわかるだろう。異る能力も見つかるかもしれないし、自分たちの能力もまだ伸びるはずだとナタリーは考えている。
とてつもない可能性を秘めた生き物。そしてそれゆえに迫害される生き物……。
リリアはオフィスでファイルの整理をしながら考えていた。
ジュピターが少佐に昇進することが内定した。彼と相談して、
外交と経済に関わる1Dに移り、そしてジュピターの希望通り外交担当の部署につければ、仕事も大きく変わる。これまで5Dでしてきたように、ベース運営のあらゆる面に関わって忙しく動き回らなくてもよくなる。それは多分、彼がとても望んでいることだ。
ジュピターの視線が自分に向くのを感じる。
「リリア 転属申請のことだが」
「1Dとのコネクションは十分よ。仕事の実積は量も質も文句なしだと思うし」
「いや このまま
「……ということは 5Dから参謀部入りを目指すの?
ここの仕事は佐官に上がってからもこまごまと忙しいし、参謀部の席も他のディヴィジョンより少ないのよ。かなり不利になると思うけど……」
「
スティーヴの計画を実行に移すためにもっとも有用な足場は、ここだ」
リリアはジュピターの顔を見つめ返した。
ジュピターはこれまで、自分が決めたゴールに向かってひたすら走ってきた。その個人的なゴールを手放して、スティーヴの計画のために必要な役割を引き受ける。そう決心したのだ。
大きいけれど、雲をつかむようにも感じられたスティーヴの夢。それをジュピターは本気でつかまえて、現実の形を与えようとしている。
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