愛しい者は帰らず
文字数 3,342文字
壁の影に隠れ、意識を集中して彼らの思考を調べる。6人のうち2人は居眠り、3人はトランプに夢中。残る1人が監視カメラのモニターを見るともなく見ている。
それぞれの心を順につかみ、意識の覚醒度を思い切り下げて、深い眠りに落としていく。
詰め所に足を踏み入れると、守衛たちは机に突っ伏したり椅子にもたれて眠り込んでいた。監視モニターの前で眠っている者を選び、彼の無意識の中にテレパシーで質問を落とす。
<新しく移送されてきた変種がいるか?>
夢の中のようにとりとめなく流れる意識に、護送車から降ろされる金髪の若い女性の後ろ姿が浮かび、スティーヴはどきりとした。焦る気持ちを抑えて質問を続ける。
<彼女はどこにいる?>
建物の構造図が浮かび、地下の奥の部屋が示される。ここで働いているのは研究員ばかりで、夜には建物は施錠されて、警備以外の人間がいなくなることもわかった。
デスクには建物の内部を映す監視モニターが並び、暗い通路を移していた。
(……スティーヴ 君は人間の心だけじゃなく物体の構造もある程度読めるし、テレキネシスも使える。だからシェイファー准尉と僕が協力しなければできないことも、君は1人でできる……いいかい 電気製品の機能を停止させるには、サージ電圧で回路が故障したみたいに見せかけるんだ……)
アルフに教わったやり方を思い出しながら、監視モニターの回路をたどってフィードを停止させる。
トランプを手に椅子にもたれている1人の首からカードキーのストラップを取り上げ、ついでに彼のホルスターからピストルを抜いて自分のベルトにはさんでおく。
建物の中は電気が落とされて薄暗く、目に入る光は非常灯だけだ。わずかな光に浮かび上がるドアの表示に目を凝らす。「第2研究室」「第4実験室」……守衛の心から情報を引き出した時に気づいたが、ここは隔離施設ですらなく、科学局の管理する研究施設なのだ。
地下への階段を降り、暗い通路を一番奥の部屋まで走る。突き当たりに、コンクリートの壁にはめ込まれた金属製の扉があった。テレキネシスでロックを開き、重い扉を引き開ける。
目の前の空間にもう一つの扉が現れた。小さなのぞき窓の厚いガラスから光が漏れている。
その向こうにマリアがいた。眠ってはおらず、ベッドのへりに腰かけて、ぼんやりと壁を見ている。
スティーヴははやる気持ちを抑えながら2つ目の扉のロックを開き、扉を引いて中に踏み込んだ。
マリアが顔を上げる。
「——スティーヴ?」
立ち上がるマリアを思い切り抱きしめた。
そうして長い間、抱き合った後、彼女の顔を見た。
美しい紫色の瞳は、スティーヴに会えたうれしさと同じぐらい、不安に満ちていた。
「スティーヴ どうしてここに……」
「君を連れ出すために侵入したんだ。2人で逃げるんだよ」
マリアの顔に驚きが浮かび、それから瞳が涙で曇る。
「……ごめんなさい……私 ここからもう出られないの」
「大丈夫だよ。みんなのいるベースには戻れないけど、2人で機構の手の届かないところに行って住めばいい。
僕の両親はそうして僕を守ってくれたんだ。君のこともそうやって守るよ」
彼女は長い沈黙の後、自分の首を指さした。そこには厚みのある金属製の首輪のようなものがつけられていた。
「……この建物の外に出ると、爆発する仕組みだって。外そうと無理な力を加えても爆発するって。テレキネシスを使う変異種が脱走しないための仕組みなの」
「――」
スティーヴは頭をひどく殴られたようなショックを感じ、世界が傾くような感覚を覚えた。
マリアの言葉の意味を理解しようとする。
建物から出ると爆発する……? 逃げようとしただけで命を奪う? そんなものが……確かに機構の科学局なら、そんな装置も作れるだろう……でも……そんなものを人間に、マリアに——
彼女の言葉の意味が染み込むにつれ、ショックは強い怒りに変わった。
マリアは何もしてないんだ! なのに……罪もない1人の人間の生命を、そんなに簡単に奪うのか?! それとも機構は僕らを、変異種を、同じ人間だとは考えていないのか?!
答えは明らかだった。
機構は変異種に人間としての権利があるとは考えていない。少なくとも、普通の人間と同等に扱うつもりはないのだ。
今まで自分の中で曖昧にしてきた考えが、スティーヴの心の中にはっきりと形をとった。
機構が変種を「保護する」というのが建前だというのはわかっていた。ただそれでも、取り上げられるのは移動の自由と家族との通信だけで、壁の向こうでは普通に人間として生活できていると信じていた――確証はなかった。ただ信じたかったのだ。
そしていつか機構に働きかけて、そんなやり方は間違っているし意味がないとわからせて、変種が社会の中で普通の人間と同じように生きられるよう説得できると思っていた。普通の人間と変種を隔てる壁を壊すことは、いつかできると信じていた。
だがその希望は踏みにじられた。
機構は変種を人間と考えてすらいない。自分たちの目的のために利用し、逃げようとすれば簡単に生命を奪ってもいい、人間以下の生き物だと考えている。
そのことを、目の前のマリアの姿が示している。
スティーヴの中で、機構に対する淡い希望と、人間というものに対する信頼がばらばらに壊れ、足下に散らばった。
ただ——何とかマリアを助け出して逃げる方法を見つけなければ。彼女をここに置き去りにすることなんてできない。
この装置を外さなくては……でも失敗するリスクは冒せない。こんな精密機器を分析して確実に処理するだけの知識は自分にはない。なんとかできるかもしれない仲間は、今ここにいない。
スティーヴの中で焦りがつのり始める。
マリアが両手を伸ばし、手のひらでスティーヴの頬をそっと包んだ。
「スティーヴ お願いがあるの」
マリアの優しい声がささやく。
「私 自分がここを生きて出られないのはわかってるの。
でも ここに閉じこめられて、あなたと離れ離れになって生きるのも耐えられない。
施設の科学者はいろんな検査や実験を計画していて、私の力がそんなことに使われるのもいや。
でも あなたが来てくれたから……最後に こうしてあなたに会うことができたから、私の命はここで終わりにしたい」
「マリア そんなこと……」
「お願い あなたはこのまま……ここを出て、みんなのところに戻って」
「できるもんか、そんなこと! 君が死ぬなら僕も一緒にいく。君を死なせて自分だけ生き続けるなんて、そんなことできないよ」
「スティーヴ お願いだから聞いて。
あなたには手を届かさなければいけない未来がある。仲間のみんながあなたを必要としてる。
あなたはみんなに夢を、いつかすべての仲間が自由に生きることができるという夢を与えたの。
私のために、それをみんなから奪わないで……」
それから静かな声で続けた。
「……私、自分が変異種だって知ってから、ずっと独りで生きるんだって思っていた。あなたが私を見つけてくれて、そしてこの2年、一緒に生きることができて、毎日が信じられないくらい幸せだった。
自分には受け止めきれないぐらいの、本当にたくさんの喜びをあなたは与えてくれたの」
マリアがスティーヴの背中に腕を回した。
そのまま固くスティーヴを抱きしめる。スティーヴはマリアの肩に頬を押し当てた。
マリアは片手でスティーヴを強く抱き寄せ、もう一方の手で銃を抜きとった。驚くスティーヴから体をそらして自分の胸に向けて引き金を引く。安全装置が壊れる鈍い音と同時に銃声が響いた。
<スティーヴ 私 本当に幸せだった——あなたは生きて 私の分も——私たちの夢を——>
マリアの細い体から力が抜け、抱き留めた腕の中で崩れた。
スティーヴは彼女を抱いたまま、ぼう然と床に座り込んだ。
呼吸は止まり、心臓は完全に沈黙した。
腕の中の彼女の表情は、泣きたくなるほど静かだった。
マリア——
どれぐらい時間が経ったかわからない。
スティーヴは血に濡れたマリアの手から銃をとり上げ、自分のこめかみに当てた。
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