候補生

文字数 3,117文字

 先にカフェテリアに来ていたタイガーを、窓際のテーブルに見つける。リリアとジュピターが昼食のトレーを手に席につくと、一つ隣のテーブルでは噂好きの第5ディヴィジョン(5D)の士官と副官たちが、食後のコーヒーを飲みながら雑談をしていた。
「聞いたか? ヨハンセン少将が中将に昇進して、次の司令官に就任するらしい」
「あの『氷の頭脳』のヨハンセンか」
「5Dから司令官が出るのはベースが始まって以来、初めてらしいわね」
「しかもあの人、一般の大学で環境学の博士号をとってから士官学校に入り直したキャリア変更組なんだろう」
「そうらしいな。しかし学者の卵あがりが、よくあそこまで冷徹な実利主義者(プラグマティスト)になれるもんだ」
「学問の世界に幻滅しての反動なんじゃないのか。あるだろ、そういうの。主義を転向した人間が反対の極端に走るとか」
 ベースの司令官が交代することと、それが異例の5D出身の参謀官であることは、副官のネットワークを通してリリアも耳にしていた。
 誰かがこちらに視線を向けているのに気づく。その目当てがリリアなのを感じて見ると、教育局のグッドール中佐の姿が目に入った。訓練官(トレーナー)候補生のミッドナイトブルーの制服の若い男の子をつれている。
 癖のある明るい金髪にスカイブルーの瞳。すらりとした細身で、新卒の候補生なら18歳にはなっているはずだが、顔だちはまだ少年のようだ。
 訓練官の多くは陸軍(7D)の兵士の中から上がり、昔の軍隊で言えば練兵軍曹(ドリルサージェント)に当たる職務につく。階級は軍曹止まりで、下士官の扱いだ。
 これとは別に士官学校の訓練官コースを卒業し、現場研修を経て訓練官になる道もある。この場合は階級は准尉からスタートし、仕事は士官候補生の基礎訓練を含む。
 士官学校の訓練官コースは希望者が少なく、とくに境界州ベースの付属では定員割れの年が続いていた。その上、卒業後に他のベースに転出する者もいるので、教育局では若い訓練官の確保に苦労していた。
 この候補生は外の州からの転入という珍しいケースで、あらかじめグッドール中佐から「よく面倒を見て、ここに居着かせて欲しい」と頼まれていた。直接、他の訓練官の間に放り込むのでなく、ジュピターの下に置いて研修終了まで見て欲しいというのだった。


「あそこにいるのがあなたの担当士官よ」
 親切なグッドール中佐に言われ、スティーヴは窓際のテーブルを見た。
 明るいブルーグレーの制服が2人とカーキの制服が1人。カーキは7Dの軍士官なので、残る2人が上官とその副官だ。
 若い女性の方が立ち上がって歩いて来た。きれいに編んだストロベリーブロンドの髪。表情の柔らかな優しそうな人だ。
「リリア これが話してあった候補生(キャデット)よ。彼のファイルは届いているわね」
「はい。外のベースから訓練官候補生の転入は久しぶりですね」
「そう、だからあなたたちに任せるの。頼むわね」
 中佐が去った後、リリアと呼ばれた女性はスティーヴをテーブルに招き、軍士官の隣の席を手で示した。
「こちらは7Dのワン・タイフ少佐に、5Dのユリウス・アキレウス大尉。私は大尉の副官のリリア・マリ・シラトリ中尉」
 アキレウス大尉は整った顔立ちの表情を変えずスティーヴを見た。真面目でちょっと厳しそうな人……苦手なタイプかもしれない。
 少し緊張しながら答える。
「スティーヴ・レイヴン准尉です」
「新卒か。どっから来た?」
 東洋人の少佐がよく通る声で訊いた。
「サウスパシフィック・ベースの学校から来ました」
「西海岸か。こっちの人間がヴァケーションに出かけたがるような所から、わざわざこんな田舎に出向いてくるとは物好きなやつだな。
 リリア こいつはジュピターの下に入るのか?」
「ええ 研修が終わるまでね」
 少佐は鋭い目でスティーヴを見て、首を傾げた。
「こういうタイプは訓練官では見たことないな。
 訓練官には7D上がりが多いんで、俺もそれなりに知り合いはいる。おい 小僧」
「はい」
「先輩どもに受け入れられるまで最初はしごかれるだろうが、それを乗り越えりゃあ大丈夫だ。
 あまり厄介なことがあったら話をつけてやるから、相談しろ」
 思いがけず親身な言葉をスティーヴにかけ、少佐は立ち上がった。
「さーて 2ラウンド目の会議だ。まったく最近の会議の多さはうんざりするな」
「会議が嫌なら昇進なんかしなければいいのよ。そのうち参謀部に入ったら、前方勤務にも出ないで会議ばかりでしょ」
 シラトリ中尉がからかうように言う。
「いや 俺は前方に出続けるつもりだぞ」
 少佐はきっぱり言ってテーブルを後にした。大尉がふっと笑いを浮かべ、シラトリ中尉も笑いながら見送った。
「レイヴン准尉 お昼はもう済んでる?」
「はい ここに来る途中に輸送機の中で」
「じゃあ、管理局に行って手続きをしましょ。それからベースを少し案内してあげる。
 ジュピター かまわない?」
 ジュピターというのはあだ名かな。そう呼びかけられたアキレウス大尉はうなずいた。
 副官が自分の裁量でやることを決めて、それに士官が同意する。ちょっと不思議だが、でもそのやりとりはごく自然で、2人の間ではそれが当たり前のようだった。
 シラトリ中尉はスティーヴを連れて、管理局での手続きを手伝ってくれた。個室の割り当ては知り合いらしい担当者に頼み、空きのあるユニットのレイアウトを見て選んでくれた。
 ベースのネットワークにつながる携帯やタブレットなどの支給品も受けとる。
 それから施設を案内してもらう。
「ここの建物はどれも余計な装飾がなくて、機能的で、それでいて調和された美しさがありますね」
「ええ 10年ほど前の改修プロジェクトの担当士官が、環境や建築にこだわりのある人だったと聞いてるわ」
 緑のあふれる居住区の中を歩きながら、なるほどと思う。
「ここの敷地は海に面してるんですよね?」
「そうよ」
「遠くないですよね、風に潮の匂いが交じってるから」
「そう言えば私も、もうずいぶん海を見に出てなかった」
 シラトリ中尉の横に並んでしばらく歩き、松の林を抜けると砂浜に出た。人気のない砂浜はずっと遠くまで伸び、暗青色の海から緩やかに波が寄せる。
 海風が顔に当たり、遊ぶように髪を撫でる。
 思わず笑顔になると、隣で中尉も海を見つめていた。
 満足したのと同時に「行きましょう」と声をかけられる。
 砂浜を歩き続けて林を通り抜けると、居住区の建物が見えた。
「あの左端があなたの個室のある建物よ。
 今日はもう自由にしていいわ。カフェテリアの使い方はどこのベースでも同じだから、食事も大丈夫ね。
 明日は朝9時にアキレウス大尉のオフィスに来て。時間には正確にね」
 感謝しながら彼女の後ろ姿を見送り、自分の個室に向かう。エレベーターで上がった最上階のひと気のない通路を歩く。
 シラトリ中尉の心地のいい音楽的な声が、まだ自分の中で響いている。
 大好きだった母のことを思い出した。
 スティーヴが士官学校に入ったその年に、両親は飛行機事故で亡くなっていた。
 それからもう、帰るべき物理的な場所はない。
 ただ自分の中にある2人の記憶。すべてを投げうって自分を守り、育ててくれた。記憶の中に生きている2人の存在が、心の深くにある支えだった。
 鍵を開けて、ドアの前に届けられていた手荷物を中に入れる。
 広くはないけれど明るくシンプルな部屋は住みやすそうだ。
 寝室に足を踏み入れると、穏やかな光が床に四角形を描いていた。天井を見上げ、うれしさに思わず声を出す。
 ベッドの上にあたる位置に小さな天窓があって、そこから斜めに陽が差し込んでいた。
 ベッドに転がり、自分だけの小さな空を見上げる。
 夜にはこの窓から星が見えるだろうか……。
 
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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

マリア・シュリーマン
ミッドアトランティック州ベースのシヴィリアンスタッフ。優しく繊細で、やや引っ込み思案。古い絵を見るのが好き。

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