「処理済み」
文字数 2,875文字
いつも太陽のように明るく、くったくのない彼——その彼が、あんなに打ちひしがれた様子を見せることがあるとは想像したことがなかった。
1人で時間を過ごすことが好きなエリンにとって、よく顔を合わせる友だちの数はそれほど多くなかったが、スティーヴとマリアは大切な友だちだった。
それだけでなく、スティーヴは何か大切な存在だと感じていた。
彼が探しに来てくれたから自分はここにいるし、彼の夢があったからこそ、自分の居場所を見つけることができた。
仲間たちにとって、スティーヴは夢の紡ぎ手だ。
その夢は途方もなくて、そして今の社会の現実からは遠すぎて、実現できるかどうかもわからない。どうやってそこに向かう道を作れるのかすら、わからない。
でも彼の夢に触れたから、自分の人生に目的を見つけることができた。それ以前のエリンにとって、人生とは、自分が誰であるかを隠して普通の人間の中に紛れ込み、ただ時間が過ぎるのを待つだけのものだった。
人生には意味も目的もない。誰にも見つからず終わりまで生きられれば、それでいい。そう思いながら、手仕事に打ち込むことで時間が早く過ぎ去るのを待った。
だが今は違う。ずっと一緒にいたいと感じる仲間がいる。
そして、かつての自分と同じように、どこかで独り生きている変異種たちにも、安全に生きられる場所を与えたい。それがエリンにとっての望みにもなっていた。
スティーヴが語る夢に、マリアはいつも信頼を込めて、優しい笑顔で耳を傾けていた——おそらくその優しさのために、望んでいなかった出来事に巻き込まれた……。
アキレウス中佐はエリンに「警備局への侵入にはリスクが伴う。それを理解した上で同行を望むか」と訊ねた。エリンは迷わず「はい」と言った。
マリアのために、そしてスティーヴのために、自分にできることは何でもする。そんなふうに思える友だちが、今の自分にはいる。
その後にアキレウス中佐から伝えられた計画は、エリンでも驚くようなものだった。この人は仲間たち全員の能力を完全に把握し、そして彼らがそれを使いこなせることを確信している。
この人もまたスティーヴの夢に触れて、そして変異種の力と可能性を信じているのだ。
ベースの広大な敷地内で、警備局の建物は中央オフィス群からずっと離れた場所にあった。建物のハード自体は他のオフィスビル同様に技術局がメンテナンスを行なっていて、技術局のデータから構造や内部の配置図を見ることができた。
まわりを木立と壁で囲まれ、2つの区画に分かれている。第1区画には一般事務と管理職のオフィス、それに危機管理と緊急出動の手配を行なうコミュニケーション・オフィスがある。第2区画は現場に出る警備局員の訓練施設と詰め所だ。
第1区画で働くスタッフは夕方の定時に退勤し、オフィスはロックされる。
事前偵察をしたシェイファー准尉によれば、ゲートには武装した守衛がいるが、警備そのものは厳しくない。そもそも一般人には出入りできないベースの敷地内にあり、武装したスタッフも詰めている場所に、侵入してくる者がいるはずがないという前提なのだろう。
アキレウス中佐の立てた計画には2つのステップがあった。
前段階は、第1区画のスタッフたちが退勤する夕方。担当するのは分析型テレパスの中で、無意識の中のイメージを拾い上げるのを得意とする者。それにテレパシーのネットワークの中継を担当する共感型がつく。
シェイファー准尉に率いられた「諜報班」は、ゲートの守衛から死角になる木立の陰に身を潜めていた。状況はテレパシーで逐一報告され、中佐のオフィスに集まっていたエリンたちもそれを聞くことができた。
壁の向こうで、退勤するスタッフたちが建物から出てくる気配がする。今晩の夕食や週末の予定などについて話しながら、ぞろぞろゲートから出てくる。
隠れている分析型たちは彼らの心を素早くつかんではスキャンして、求めるイメージを意識の無意識の境目にある記憶からすくい上げていく。すくった生のイメージは後方に送られ、待ちかまえていた分析型たちがすぐに情報の抽出を始める。
必要な作業を終えた諜報班は、人の流れが途切れるのを待って、こっそりその場を後にした。
あたりが夜の暗闇に包まれた頃、エリンを含む潜入班が木立の陰に陣どった。
<大佐 始めますよ>
ここのところ遠距離からの心理処理能力に磨きをかけ、中佐からお墨付きをもらっていたレイニアが言う。
<今、1人目の守衛の心を捕まえました。意識の覚醒レベルを落とし、そのまま居眠り状態に落とします……OK 2人目は半覚醒の催眠状態に誘導>
「お前ら、まじでそんなことができるのか」
大佐があきれたようにつぶやく。大佐も含めてテレキネティックたちには、いまだにテレパスが行なう「目に見えない心の操作」が、つかみ所のない、現実感のないものに感じられるらしい。
レイニアの作業がうまくいったことを別のテレパスが確認し、チームは木立の影からゲートに近づく。
監視カメラはアルフが処理した。精密作業に特化したテレキネティックの実用性は高く、エリンは少々うらやましく思っていた。
催眠状態の守衛にゲートを開かせると、後は覚醒レベルを落として完全な眠りに陥らせる。
建物の入り口から目的の部屋に素早く移動し、内部が無人であるのを確認してアルフがロックを開ける。大佐と7Dの人たちはドアのそばに待機し、何かあったらすぐに対応できるよう構えている。
管理スタッフの記憶からすくい上げたイメージは後方支援班によってすでに処理され、、抽出された端末アクセス用のIDとパスワードのリストがエリンに渡されていた。
アキレウス中佐が考えた、高度に発達した分析型テレパスの能力を活用した、普通の人間には想像もつかない
エリンはすぐに作業を始めた。レイニアは隣に座ってエリンの心を読みながら作業状況をネットワークに報告している。
ログインは問題なし。システムは予想通り管理局のものと同じ設計。実用本位なようで効率の悪い、いかにも官僚的な作りだ。
マリアが出かけた日のDC地区の活動報告を画面にリストさせ、素早く目を通すが、それらしいものは見つからない。
変異種に関する報告は表示制限されているのか?
管理局のシステムをハッキングしながら学んだ知識を総動員し、慎重にステップを踏みながら、じきに閲覧制限のかかった領域内に入り込んだ。
ファイル名の数字は日付で、それ以外の数字は案件番号だろう。目指す日付のファイルを片端から開く。
3つめのファイルを開いた時、文字が刺さるように目に飛び込んできた。
<DC北西区にて、フィールドオフィサーにより通報のあった成人女性(氏名不詳)の件。
SCIの指示によりケースはNAベースに移管。施設に移送を完了し、本局における当該案件は処理済みとする>
(ログインが必要です)