都市で

文字数 2,991文字

「ねえ ジュピターが佐官になったから、車の私用権があるんだよね? 明日あたり、ワシントンDC(ディストリクト)へ行かない? 骨董品屋で画材や本を探したいんだ」
「それなら2人で楽しんできて。私はウェイ君からお料理を教わることになってるから」
「ライスボールの作り方?」
 リリアが笑顔でうなずく。
「それにお箸の使い方も。ウェイ君たら、余分があるからって、すごく素敵なお箸を譲ってくれたのよ」

 ディストリクトまでは車を飛ばして3時間。昔の連邦政府のあった場所で、今はもう特別行政区(ディストリクト)でも何でもないのだが、相変わらずそう呼ばれている。
 大戦で政府関係の施設が空爆に遭い、ディストリクトのかなりの部分が焼け跡になった。ホワイトハウスや議会議事堂のあった場所は、今でも跡地のまま残されている。新しい建物を建てずに置くことが機構の意図のようだった。
 1千万冊の書籍が所蔵されていた議会図書館も空襲で燃えた。議事堂への攻撃の巻き添えになったのだが、それは途方もない損失だった。
 でもホワイトハウスや議事堂がなくなったことには、とくに喪失感はない。
 大戦後、国家元首や政治家を含む古い政治システムは排除されたけれど、機構の統治下で社会は問題なく機能している。
 大戦の始まりは、形のない裏の戦争からだった。互いの国力をそぐための経済戦争から始まり、第三国によるテロを装ったインフラの破壊、傀儡国家を使っての代理戦争へと発展し、そして最終的にそれらを操っていた当事国、つまりアメリカ、EU、そして中国を巻き込む戦争になった。
 その長い泥沼の過程で基幹産業やインフラが破壊され、アメリカやヨーロッパの人口は20分の1にまで減った。極端な人口の減少は産業力の低下につながり、アメリカの生活水準は1世紀以上も後退した。
 大戦の終結後、戦争当事国であったアメリカ、EU、中国は条約を結び、それぞれの中央政府に代わる統治機構が構築された。 
 人間の変異種の存在が現れ始めたのは、大戦中のどこかだ。平時なら、おそらくもっと速やかに対応がなされ、それは穏やかなものだったのかもしれない。
 だが泥沼の戦争のまっただ中、欠乏と混乱にあえぐ社会には、そういった追加の混乱を招く要素に対処する余裕はなかった。
 組織的な対処が始まったのは機構の統治が固まってからで、その方針は「保護」の名のもとに変異種を社会からとり除くことだった。

 ディストリクトでも、かつてにぎやかな商業地域だった辺りはずいぶん復興が進み、レストランやいろんなお店が開いている。
 目当ての骨董品屋は、その裏通りのあまり人の通らなそうな場所にあった。
 雑然と物が並ぶ店の中を、勘を働かせながら見回す。
 色あせた木の机の上に、幾つかの花瓶と一緒に黒い金属製の小さな箱が乗っている。ふたには金色のフクロウのロゴ。
 どきどきしながら、少し錆ついているふたをゆっくりと開けると、小さな固形絵の具が並んでいた。
「……シュミンケの24色のハーフパン 新品みたいだ!」
 店主が奥から出てきて声をかける。
「若いの、それが何か知ってるのかい。なら、すごい掘り出し物だというのもわかるだろ? 
 ノースウェスト地区の古い家の遺品整理で出てきたもんだ。3000ドルと言いたいところだが、大まけにまけて2500ドルでどうだ」
「えー それは無理。ほぼ僕の月給」
「若いのにいい稼ぎをしてるじゃないか。なら貯金ぐらいあるだろう」
「今どき、こんなもの買う人いないでしょ?」
「欲しいんだろ?」
「欲しいけど、そんなお金は口座にないよ。給料はもらっただけ使っちゃうから」
「おいおい……」
 スティーヴが店主と話していると、ジュピターが自分のカードをとり出し店主に差し出した。
「ジュピター だめだよ」
「ベースで働いている限り衣食住は無料だし、給料は使ってる時間がなくて溜まるばかりだ」
「でも……」
「そうでなくても行政士官の給料は無意味なほど高いと思っている。代わりにその絵の具で描いた絵を1枚もらう」
 行政士官と聞いて、オーナーの表情が変わる。
「こりゃあ ベースの方でしたか。よろしい、これは2000ドルにまけておきます。
 わざわざディストリクトにおいでになるんだから、他にお探しのものもおありでしょう?」
「本は扱ってないのか? ここにはないようだが」
「本のコレクターですか。お客さん、幸運ですよ。古本屋なんかには置いてないものが揃ってます」
 店の奥に招かれ、秘密じみた扉が開けられる。中は暗く、ほこりっぽい匂いがする。照明がつくと薄暗い中に陳列棚が見えた。
「ここにあるのコレクター向けの物ばかりです。店に出してないのは、買う能力のない客には見せてもしょうがないんでね」
 スティーヴは本の棚から1冊の美術書をとり上げ、注意深くページをめくった。
「これ 議会図書館の蔵書票がついてる。ディストリクトじゃ、跡地から掘り起こされた古書がこっそり出回ってるって聞いたけど、本当なんだね」
「いやいや 人聞きの悪いことを言わんでくれよ」
 店主がジュピターの顔にちらりと目をやる。
 ジュピターは平然と本を手にとっている。
「拾得物隠匿の取り締まりは私の管轄じゃない。
 むしろ焼け跡に本を朽ちるまま放置する方が、人類の歴史に対する罪だろう」
「いやいや、ご炯眼。そうですとも」
 ジュピターは欲しい本を20冊ほど選び、スティーヴが手にしていた美術書もいっしょに買い上げた。
 車に戦利品を置いてから、表通りに向かって歩く。
「おなかすいたな。もうお昼だよね」
 にぎやかな通りの一角で、外にテーブルを出している店があった。入り口前の黒板にチョークで今日のおすすめが書いてある。イタリア料理の店のようだ。
 席について渡されたメニューに目を通すと、前半は「通常メニュー」、後半は「特別メニュー」になっていた。通常メニューは大豆肉(ソイミート)などの代替食材を使った一般的な食事で、値段は代替食材を使わない特別メニューの数分の1。
 ベースでは士官用のレストランだけでなく、カフェテリアでも食材には本物が使われている。7Dの兵士がベースに勤める理由として挙げるものの1つは、「本物の肉が腹いっぱい食べられる」ということだった。
 どのみち肉は食べない菜食のジュピターに合わせて、ミネストローネ・スープと野菜のパスタを食べた。
 それからデザートにレモンのシャーベットを選んだ。
 ジュピターはメニューを眺めていたが、エスプレッソを頼んだ。彼は普段、カフェインの入ったものは飲まない。
「珍しいね」
「……イタリア料理の締めはリモンチェッロとエスプレッソとでなければと、昔の知り合いが言っていたな」
 ジュピターが過去のことを思い出して、それを口にするのは珍しい。
 甘酸っぱいアイスを味わいながら、通りを眺める。
 行き交う人々は買い物袋を手にしていたり、楽しそうな家族連れも多い。一度は焼け野原になった都市でも確実に復興が進んでいるのを見るのは、うれしかった。
 そして復興していく社会の中に、「隠れ場所」ではなく、自分たちの「居場所」があったなら……。
 隣りのテーブルに女性の二人組が座る。
 ジュピターの視線が、ブルネットの髪の女性に一瞬だけ留まり、すぐに引き戻される。
 その様子が珍しく、スティーヴは思わず訊いた。
「誰かを探してるの?」
 ジュピターは黙ったまま、エスプレッソを一口飲んだ。
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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

アンドレイ・ニコルスキー

ニューイングランド州ベースの管制官。人好きで寂しがり。趣味は木工で、隙があれば家具が作りたい。

エリン・ユトレヒト

ニューイングランド州ベース技術局のシヴィリアン・スタッフ。機織りやその他、多彩な趣味があって、人間関係より趣味が大事。

マリア・シュリーマン

ノースアトランティック州のシヴィリアン・スタッフ。優しく繊細で、少し引っ込み思案。

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