都市で
文字数 3,026文字
「それなら2人で楽しんできて。私はウェイ君からお料理を教わることになってるから」
「ライスボールの作り方?」
リリアが笑顔でうなずく。
「それにお箸の使い方も。ウェイ君たら、余分があるからって、すごく素敵なお箸を譲ってくれたのよ」
ディストリクトまでは車を飛ばして3時間。昔の連邦政府のあった場所で、今はもう
大戦で政府関係の施設が空爆され、ディストリクトのかなりの部分が焼け跡になった。ホワイトハウスや議会議事堂のあった場所は、今でも跡地のまま残されている。新しい建物を建てずに跡地のまま置くことが、機構の意図を象徴しているようだった。
1千万冊の書籍が所蔵されていた議会図書館も空襲で燃えた。議事堂への攻撃の巻き添えになったのだが、それは途方もない損失だった。
でもホワイトハウスや議事堂がなくなったことには、スティーヴはとくに喪失感は感じていなかった。大戦後、国家元首や政治家を含む古い政治システムは排除されたけれど、機構の統治下で社会は問題なく機能している。
大戦の始まりは、形のない裏の戦争からだった。互いの国力をそぐための経済戦争から始まり、第三国によるテロを装ったインフラの破壊、傀儡国家を使っての代理戦争へと発展し、そして最終的にそれらを操っていた当事国、つまりアメリカ、EU、そして中国を巻き込む戦争になった。
その長い泥沼の過程で基幹産業やインフラが破壊され、アメリカやヨーロッパの人口は20分の1にまで減った。極端な人口の減少は産業力の低下につながり、アメリカの生活水準は1世紀以上も後退した。
大戦の終結後、戦争当事国であったアメリカ、EU、中国は条約を結び、それぞれの中央政府に代わる統治機構が構築された。
人間の変異種の存在が現れ始めたのは、大戦中のどこかだ。平時なら、おそらくもっと速やかに対応がなされ、それはもっと穏やで建設的ななものだったのかもしれない。
だが泥沼の戦争のまっただ中、欠乏と混乱にあえぐ社会には、そういった追加の混乱を招く要素に対処する余裕はなかった。
組織的な対処が始まったのは機構の統治が固まってからで、その方針は「保護」の名のもとに変異種を社会からとり除くことだった。
ディストリクトでも、かつてにぎやかな商業地区だったあたりはずいぶん復興が進み、レストランやいろんなお店が開いている。
目当ての骨董品屋は、その裏通りのあまり人の通らなそうな場所にあった。
雑然と物が並ぶ店の中を、欲しいものがないかと注意して見回す。
色あせた木の机の上に、幾つかの花瓶と一緒に黒い金属製の小さな箱が乗っている。ふたには金色のフクロウのロゴ。
どきどきしながら、少し錆ついているふたをゆっくりと開けると、小さな固形絵の具が並んでいた。
「……シュミンケの24色のハーフパン 新品みたいだ!」
店主が奥から出てきて声をかける。
「若いの、それが何か知ってるのかい。なら、すごい掘り出し物だというのもわかるだろ?
ノースウェスト地区の古い家の遺品整理で出てきたもんだ。3000ドルと言いたいところだが、大まけにまけて2500ドルでどうだ」
「えー それは無理。ほぼ僕の月給」
「若いのにいい稼ぎをしてるじゃないか。なら貯金ぐらいあるだろう」
「今どき、こんなもの買う人いないでしょ?」
「欲しいんだろ?」
「欲しいけど、そんなお金は口座にないよ。給料はもらっただけ使っちゃうから」
「おいおい……」
スティーヴが店主と話していると、ジュピターが自分のカードをとり出し店主に差し出した。
「ジュピター だめだよ」
「ベースで働いている限り衣食住は無料だし、給料は使ってる時間がなくて溜まるばかりだ」
「でも……」
「そうでなくても行政士官の給料は無意味なほど高いと思っている。代わりにその絵の具で描いた絵を1枚もらう」
行政士官と聞いて、オーナーの表情が変わる。
「こりゃあ ベースの方でしたか。よろしい、これは2000ドルにまけておきます。
わざわざディストリクトにおいでになるんだから、他にお探しのものもおありでしょう?」
「本は扱ってないのか? ここにはないようだが」
「本のコレクターですか。お客さん、幸運ですよ。古本屋なんかには置いてないものが揃ってます」
店の奥に招かれ、秘密じみた扉が開けられる。中は暗く、ほこりっぽい匂いがする。照明がつくと薄暗い中に陳列棚が見えた。
「ここにあるのコレクター向けの物ばかりです。店に出してないのは、買う能力のない客には見せてもしょうがないんでね」
スティーヴは本の棚から1冊の美術書をとり上げ、注意深くページをめくった。
「これ 議会図書館の蔵書票がついてる。ディストリクトじゃ、跡地から掘り出された古書がこっそり出回ってるって聞いたけど、本当なんだね」
「いやいや 人聞きの悪いことを言わんでくれよ」
店主がジュピターの顔にちらりと目をやる。
ジュピターは平然と本を手にとっている。
「拾得物隠匿の取り締まりは私の管轄じゃない。
むしろ焼け跡に本を朽ちるまま放置する方が、人類の歴史に対する罪だろう」
「いやいや、ご炯眼。そうですとも」
ジュピターは欲しい本を20冊ほど選び、スティーヴが手にしていた美術書もいっしょに買い上げた。
車に戦利品を置いてから、表通りに向かって歩く。
「おなかすいたな。もうお昼だよね」
にぎやかな通りの一角で、外にテーブルを出している店があった。入り口前の黒板にチョークで今日のおすすめが書いてある。イタリア料理の店のようだ。
席について渡されたメニューに目を通すと、前半は「通常メニュー」、後半は「特別メニュー」になっていた。通常メニューは
ベースでは士官用のレストランだけでなく、カフェテリアでも食材には本物が使われている。7Dの兵士たちがベースに勤める理由として挙げるものの1つは、「本物の肉が腹いっぱい食べられる」ということだった。
どのみち肉は食べない菜食のジュピターに合わせて、ミネストローネ・スープと野菜のパスタを食べ、デザートにレモンのシャーベットを注文した。
ジュピターはしばらくメニューを眺めていたが、エスプレッソを頼んだ。彼は普段、カフェインの入ったものは飲まない。
「珍しいね」
「……イタリア料理の締めはリモンチェッロとエスプレッソでなければと、昔の知り合いが言っていたな」
ジュピターが過去のことを思い出して、それを口にするのは珍しい。
甘酸っぱいアイスを味わいながら、通りを眺める。
行き交う人々は買い物袋を手にしていたり、楽しそうな家族連れも多い。一度は焼け野原になった都市でも確実に復興が進んでいるのを見るのは、うれしかった。
そして復興していく社会の中に、「隠れ場所」ではなく、自分たちの「居場所」があったなら……。
隣りのテーブルに女性の二人組が座る。
ジュピターの視線が、ブルネットの髪の女性に一瞬だけ留まり、すぐに引き戻される。
その様子が珍しく、スティーヴは思わず訊いた。
「誰かを探してるの?」
ジュピターは黙ったまま、エスプレッソを一口飲んだ。
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