見守る者
文字数 3,000文字
ジュピターは青年のそんな様子にはまったく構わず、視線を斜め前に落とし、深く集中している。以前なら分析のためには相手の体に手を触れる必要があったが、今ではそれも必要ないほどに彼の能力は強まっていた。
リリアはジュピターに自分の心をぴったり寄せて、彼が青年を分析するのをモニターしていた。
膨大な量の要素が青年の心から拾われ、分けられ、つながれていく。やがて複雑で精妙な立体構造の幾何学模様が形をとり始める。
それはいつ見ても美しい。人の心の形が目で見えるように描かれていく。
仲間たちの心はどれも、繊細な色と線で描かれていく光の花のように見えた。この青年の心も同じように美しく、同時に彼の個性がそこから輝き出ている……。
やがてパターンがいっそう明確になり、作業が終りに近づいたのがわかる。
固くなっていたジョナにリリアは声をかけた。彼は最近やってきたばかりの共感型テレパスだ。
「これで終わりよ。あとは分析の内容をまとめて、私の方からコンタクトするわね」
そう言われてジョナがほっとした顔になる。
ジュピターは青年に声をかけるでもなく、自分がまとめ上げた
ジョナは礼を言うと、急ぐように部屋を出ていった。ジュピターの前で彼がずいぶん緊張しているのに気づいていたので、あえてお茶を飲んでいくようにとはすすめなかった。
シヴィリアン・スタッフたちは普段、ジュピターのような上のレベルの行政士官の顔を見ることはない。それに加えて変異種の能力を、その潜在的部分まで含めて精密に見極めることのできる彼に対して、仲間のテレパスの多くは敬意だけでなく一種の畏怖を覚えていた。
リリアはいつか仲間のおしゃべりに顔を出した時、「中佐から分析を受けて、あの人の心が自分の心を見通すのを感じたら、誰だってそう思わずにはいられないわ」と若いスタッフが口にするのを聞いた。
そこに居合わせたアンディが「中佐はすごい人だけど別に怖くはないよ。すごくクールだし、フェアだし、僕の作品を高く評価する芸術的センスもあるし……」と付け加え、おしゃべりは違う方へと流れていった。
ジュピターが顔を上げる。待っていたリリアはテレパシーの「手」をさし出し、分析の結果を受けとった。
「潜在的な能力は平均よりも高い。しかし構造的に感情のストレスに対する弱さがあるため、安全に開発できる能力の上限値は指標の30パーセントまで」。
(30パーセント……)
それを超えて、能力が強まることでもたらされる精神的な負荷に耐えることが、彼には難しいだろうという判断だ。
リリアが考え込んでいると、ジュピターが言った。
「言うまでもないが、共感型は他人の感情にきわめて敏感だ。それが共感型の能力の作りでもあるが、コントロールできない形で他人の感情を感じること自体が負担になる。
その重荷に耐えられる性格の強さと安定性が伴わない場合、限度を超えて能力を広げることは精神のバランスを崩す危険性につながる」
「それはわかっているけれど……でも私も共感型だわ。あなたは私が能力を伸ばすのを心配したことはないでしょ」
「君は相変わらず自分自身に対する評価が不当に低い。だから自分を他の仲間と同列において考えたがるんだが、自分が例外だという事実はいいかげん受け入れるんだな。
同じ共感型でも、全員が君と同じ素質と性格的な特性を持っているわけではない。
君は私と出会う前からすでに自力でかなりの能力を発達させていた。そしてその後にさらに驚くほどのペースで能力を強めていった。
その過程で増大していく他人の感情のイップットを処理するのに君が大変そうにしているのは見た。しかし止めなければと思うような不安定さを感じたことは一度もない」
「私の心をちゃんと分析したことはなかったんじゃないかしら?」
「もう何年も毎日のように顔を合わせてるんだ。君のことはよくわかっているし、わざわざ分析する必要もない」
自分が例外であり、他の仲間と同列に置いて論じることはできないというジュピターの指摘は居心地が悪かったが、それが事実だというのもわかっていた。
これまで他の共感型たちが能力を育てるのを助けてきたが、指標の30パーセントを超えるあたりから、直接自分に向けられる以外の他人の感情までが意識に入ってくるようになる。絶え間なく感情の雑音が聞こえているような状態だ。
それに耐えながら先に進んでいくことのできる者もいる。ドクター・マリッサのように、このベースに来たときにはすでにそのラインを超えていた者もいる。
しかしそのラインを超える前に「これ以上は無理です」と訴える者もあった。ストレスが大き過ぎて日常生活に支障を来しているのに、無理に進もうとして、リリアの方から止めざるを得なかったこともある。
そして「この個人についての現時点での安全ラインはここまで」というジュピターの線引きは、つねに正しかった。
共感型の能力は、本人がそれを自分の中に統合していくのを待ちながら、ゆっくりと伸ばしていかなければならない。
ジュピターは椅子にもたれ、遠くを見るように視線を上げた。
「お茶をいれましょうか」
彼が黙ったまま軽くうなずく。
どんな時でも、彼が疲れたと口にすることはないし、人前でそんな様子を見せることもない。ただわずかな仕草からそれを感じとることがリリアにはできた。
「可能であるなら——すべての仲間たちに自由に能力を伸ばさせてやりたいと思う。
仮にそれが本人にとってリスクを伴うことであったとしても、自分で自分のやりたいことを選び、それに伴うリスクも自分で受け入れる。そういう権利を人間は持っている。
しかし我々の置かれている状況は普通の人間たちとは違う。ここに足場を築いていこうとする限り、不必要なリスクは排除して、仲間の安全を担保することを優先しなければならないんだ。
それは共感型たちにはずいぶん不公平なことだ。仲間を守るために能力を伸ばせと言われ、しかし心が不安定にならないように伸ばし過ぎるなと言われるのだからな」
それから少し間を置いて言った。
「いつか——そんなことは一切考えずに、すべての変異種たちが自分の持てる可能性を自由に伸ばせる時が来ると望みたい」
彼の深いところから吐き出された正直な気持ち。
淡々と分析をし、ためらいなく「引かれなければならない線」をまっすぐに引く彼が、心の奥ではこんなふうに思っている。
彼自身、もともと望んでいた第1ディヴィジョンの外交部入りをあきらめて、ベース内の管理運営に関わる地味で忙しい第5ディヴィジョンに残ることを選んだ。そのことについて彼が不満や後悔を表したことは一度もない。
なのに仲間たちに対しては、完全な自由を与えてやれないことを残念に思っている。
おそらく他の誰にも聞かせることのない気持ちを彼が話してくれたことの裏に、自分に与えられる全面的な信頼を感じた。
リリアはそれを胸に留めた。
(あらゆることを見回し、他の誰もしたがらない判断を下す。仲間たちのリーダーとして、その役割を彼は引き受けた。
彼の信頼を受けとめられる存在でありたい。仲間たちの見守り役として彼が背負う重荷を、少しでも軽くする存在でありたい……この先もずっと)
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