ささやき
文字数 1,969文字
リリアは知り合いになった7D出身の参謀官の副官から、「虎」の率いる部隊は勇猛な戦いぶりで知られるが、兵士の死傷率は他の部隊と比べ目だって低いのだと教えられた。
タイガーが優れた軍士官なのは疑いがないが、きっと彼の「能力」をこっそり使って兵士たちを守っているのだと思った。
彼がベースにいる時には三人で夕食をとり、休日にはブランチを食べながら午後を過ごす、そんな生活が安定してきた。
この二人と一緒にいれば、自分が変異種だということを気にせずにすんだし、それ以上に、変異種であろうとなかろうと、この二人と時間を過ごすのは楽しかった。
たまに都市に出る時に立ち寄る古書店から電話があり、欲しかった中華料理の本が手に入った。
ページをめくり、作れそうなレシピを探しながら考える。
肉をトウフに差し替えられれば楽なのだけど、さすがにベースのカフェテリアには、トウフなどというエキゾチックな食材のストックはない。
週末のブランチには中華風のトマトと卵の炒めもの、コーンのスープに、刻んだ野菜とマッシュルームを詰めた野菜まんを作った。
「こんなの作るのはけっこう手間だろ」
タイガーが機嫌よく野菜まんを一つ平らげ、二つ目を食べながら言う。
「パンもそうだけど、イーストを使って何かを作るのって楽しいから。ところでトウフの作り方、知らない?」
「豆腐? 豆乳を凝固させるんだろ。豆乳の濃いのがいるはずだから、ここじゃ、大豆を手に入れて搾るところからじゃないか」
「そうなのね。やっぱりまず作り方の本を探さなくちゃ。
ほんとに、もっとたくさんいろんな本が欲しい。
料理だけじゃなくて、知りたいことややってみたいことがいっぱいあるのに、情報が手に入らない。
いつになったら昔みたいに、いろんな本が自由に出版されるようになるのかしら」
タイガーがうなずく。
「俺も手持ちの本は暗記するほど読んでるから、アメリカの歴史についての本がもっと欲しいところだ」
野菜まんをとり上げて珍しそうに眺めていたジュピターが言った。
「今、市民が求めているのは、知的な欲求を満たすものよりも、
もっとも……機構がインターネットの再構築を、理由をつけて先延ばしにするのも、資源不足を理由に出版物の点数を絞るのも、民間の情報伝達機能を低く抑えておきたいからではないかと思うことはある。
与える情報は絞っておいた方が、思想を管理しやすいからな」
「お前、機構の官僚がそんなこと言っていいのかよ」
「少なくとも変異種に関しての情報が統制されているのは事実だ。
機構と科学局は『変異種はごく稀な突然変異で、その存在に意味はない』と主張してきた。それは偶然生まれ、泡のように消えていくものだと。
その存在には意味がないから、それは単なる異物であり、ただその特殊な能力には社会を脅かす危険性があるから、発見してとり除く。
そういうナレティブを人々に信じさせておけば、機構のやり方への反発も抑えられる。
だがそのナレティブの外に出てみれば、機構がやっていることは筋は通らないし、きわめて非人道的だ」
「……あまり考え過ぎるなよ。
俺たちは今の立場を維持すれば生きていけるし、生活も悪くない。それは幸運なことだろう」
ジュピターは返事をせず、野菜まんを自分の皿に置いて、ワインに口をつけた。
二人の会話は、リリアが忘れかけていたことを思い出させた。
能力が発現するタイミングが遅かったせいで、自分たちは幸運に恵まれた。でも大部分の変種たちはそうではない。
早くに能力が目覚めた子供たちは、検査で見つけ出され、「保護」の名目で親の手から引き離される。
社会からとり除かれ、壁の後ろに隠されてしまう彼らのために、何かできたらどれほどいいだろう。
でも、置かれた状況を見回す時、自分たちは無力だとした言えなかった。
この社会の中で、機構のシステムの中で、たとえ望んだとしてもできることはない。
それならタイガーが言うように、今の生活を続けていくのが一番いい……ベースで働くことは、少なくともアメリカの復興を助け、一般市民の生活をよくするのに役立つ。
そしてこの人生の終わりまで、手の中の小さな幸せを守っていけば……
そう思いかけて、リリアは胸の中がうずくのを感じた。
自分は人と違うからと手放してしまった、ささやかな夢。
何かが変われば、その夢に手を伸ばすことが許されるようになるのだろうか……。
自分たちの足場は心もとない……いや、足場すらない。
でも「目を上げ続けて」と、何かが胸の中でささやいている気がした……。
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