来る者、去る者
文字数 2,460文字
若い准尉は約束通り、卒業からすぐに許可を得て境界州に転属してきた。そしてベースからの物資の補給用車両に同乗して、すでに前方に出ていたタイガーの部隊に加わったのだった。
荒くれ者の兵士と手練れの軍士官が集まる7Dの部隊には、どう見ても不似合いな几帳面そうな新卒の准尉に、一般の士官や兵士たちは当初、首をかしげた。
しかし准尉がいつも大佐のそばについて双眼鏡を手に敵軍の様子を観察し、タブレットにこまめに記録をとっているのを見て、「ありゃ報告書作成用の秘書だな。大佐も参謀部なんぞに入ったもんで、いろいろ手間がかかるんだろう」と納得した。
仲間たちにとっては、シェイファー准尉は物の構造を読むことに特化した分析型のテレパスだった。敵の戦闘車両や兵器の構造を読みとり、テレキネティックたちの頭に投影できる。
テレキネティックたちはそれをもとに敵の車両や兵器の脆弱なパーツを狙って破壊し、「故障」や「不具合」を引き起こして相手の戦闘能力を著しく落とした。准尉のおかげで、これまで膠着状態だったこの戦域の前線を大幅に押し進めることができた。
今、この装甲車に乗っているのは運転手も含めて全員が仲間で、話題はそのことでもちきりだった。仲間たちからの感嘆や感謝に准尉が照れて真面目な表情を崩す。
タイガーの隣に座っていたダニエルが話しかけてきた。
「今回の戦果は大きいですね」
「うむ しかも死傷者の数もこれまでで最低ラインに押さえての結果だからな。上々だ」
「あとを引き継いだマクレガー大佐の部隊がこのまま守り切ってくれるといいですが」
「マクレガーなら信用していい。安心して休暇のことを考えろ。帰ったらまず熱いシャワーを浴びてから一眠りして、夕方はウェイの作る飯だな」
いつもはストイックなダニエルの表情が緩む。
ベースまであと50キロほどになったところで、馴染みの声がタイガーの頭の中に響いた。
<お帰りなさい! 全員無事ね>
<もちろんだ 俺が指揮をとってる限り、7Dの仲間は1人たりとも減らしはせん>
<あなたなら本当にそれができるわね——こっちではいろんなことがあって——>
<顔を会わせるまで待てないくらい話したいことがあるんだな>
<相変わらず、どうしてそんなに察しがいいのかしら——>
リリアはカタリーナの事件について話した。
<……聞いた限りじゃ、ジュピターと女医の判断は妥当だ。他にやりようはなかったろう——少なくとも今の俺たちにはな。
それにその娘の記憶を完全に消してしまわず封じ込めるだけにしたんだろう。そりゃ、あの女医としてはずいぶんお手柔らかな措置だったんじゃないか>
少し間を置いてリリアが答える。
<ええ……考えてみなかったけれど そうかもしれない>
ベースに着くと、タイガーはスティーヴを呼び出した。
ウェイがかいがいしく夕食の準備をする間、ダニエルを交えて3人で酒を飲む。
といって、スティーヴの飲む量は相変わらずたいしたことはない。ワインをグラスに2杯がせいぜいだ。
リリアから聞いた事件のことには触れなかった。
キッチンから揚物のうまそうな匂いがし出す。
料理をテーブルに並べながら、いつものようにウェイが促した。
「熱いうちに食べ始めてください」
最初の頃、ダニエルはウェイが調理を終えていっしょに席につくのを待とうとしたが、「料理は熱いうちが一番なので」とウェイに諭された。今ではそのダニエルの箸の使い方もさまになってきた。
ウェイはキッチンに戻って手早く野菜の炒め物とスープを仕上げ、それを並べてから自分もテーブルについた。
「味はどうですか」
「前方に出てる間、3日に1度はお前の飯を食う夢を見る。おまけに実物は夢よりもずっとうまい」
ウェイが照れながら微笑む。
「前方にもコックはいるんですよね? 以前は保存のきく
「自分では前方に出ないお偉方がどう言おうが、ワンパターンのレトルト飯ばかり食ってちゃ兵士どもの気力は維持できん」
「『軍隊は胃袋で動く』とナポレオンも言いましたからね」
ダニエルが付け加える。
スティーヴは最初のうちは黙々と食べていた。
「どうだ」
「……うん ウェイの作るものは何でもおいしい。
アジア料理だけじゃなくて、いつかマリアのために作ってくれたアルザスの料理もおいしかった」
思い出すように言い、それから真面目な顔になった。
「あのさ 僕も7Dのテレキネティックたちの訓練に加えて欲しいんだけど」
これまでのスティーヴは持ち前の能力と才能で、大した努力もなしにずば抜けた力を発揮できていた。それを本人は知らず知らず当たり前に受け止めていたところがあった。
「自分にはできないことがたくさんあるって気がついたんだ。だからもっと、少しでも多くのことができるようになりたい」
道を歩いていて転んだとして、そのことに意味を見つけるかどうかは本人次第だ。別に意味など見つけなくても立ち上がって、何につまづいたかを確認したらまた歩き出せばいいというのがタイガーの考え方だった。
その意味ではスティーヴはいい立ち上がり方をしていると思った。
その後もスティーヴは「事件」のことには触れなかった。
ただできるだけ時間を作っては7Dの仲間たちとの訓練にうち込んだ。おまけに分析型としての能力も伸ばすために、ジュピターからもレッスンを受けているらしい。
事件のことについては他のテレパスたちの口から聞くこともなかったが、それがみなに何らかの影響を与えたらしいことはタイガーにも感じられた。
リリアは時折り、その女性と職場が近い仲間に様子を訊ね、遠くから見守っていたようだった。
ある日、その女性が退職願いを出してベースを去っていったと聞かされた。
そう話すリリアの表情は切なそうだった。
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