居場所
文字数 2,685文字
個室に戻り、シャワーを浴びたら眠くなって、そのままベッドに伸びた。疲れているとは思わなかったけれど、自分の中でたくさんのことが動いている感じがした。
ぐっすり眠り、目が覚めた時には夕方近くで、慌てて起き上がる。
シラトリ中尉の個室に行くんだ。
そこで3人が待っている。
いつか仲間に出会うことは、わかってたんだ。
でもいざ現実になってみると、まだ夢みたいな感じがする。
中尉の個室があるのは、行政士官や上級のスタッフに割り当てられる棟だ。入り口には守衛がいたが、訪問者のリストにスティーヴの名前があって、IDのチェックだけで通された。
エレベーターを降りて、ちょっと緊張しながら廊下を歩いていると、ふわりと温かなものに触れた。
立ち止まって確かめる……自分に向けられているシラトリ中尉の感情。
彼女が自分のことを気にかけてくれているのは、オフィスをでもいつも感じていた。今は彼女の包み隠さない温かさが、はっきりと伝わってくる。オフィスで会ってる時にはまだ感情を抑えていたんだな。
至近距離でまわりの人間の感情を感じることには慣れていた。でも今は、それよりもずっと離れたところから彼女の感情を感じている。それもまるで肌に触れるようなはっきりとした感触があるんだ。
それは彼女が仲間だからなのか——?
目指す個室の前に着き、ドアに表示された番号を確認する。ドキドキしながらベルを鳴らそうとしたその前に、ドアが開いた。
笑顔の中尉が腕を伸ばしてスティーヴを抱き寄せる。いい匂い……ちょっと母のことを思い出す。
そのまま中に招かれ、ドアを閉めてから、もう一度固く抱きしめられる。
「あなたが仲間じゃないかって——そうだったらいいなって思っていたのよ スティーヴ」
リビングにはアキレウス大尉とワン・タイフ少佐がワイングラスを手に座っていた。少佐はスティーヴの顔を見ると、乾杯をするようなしぐさでグラスを上げて、にやりと笑った。
はっきり指さすことはできなかったけれど、この3人は何かが違うと思っていた。その感覚は思い込みじゃなかったんだ。
「お腹すいてるでしょ? 大したものは作れないけど、ここならカフェテリアと違って自由に話ができるから」
「リリアは自己評価がやたら控えめだが、料理の腕は悪くないぞ。
で、お前は俺と同じタイプなんだな?」
「ええと……」
「テレキネシスを使うんだろう? でかい岩を粉々に砕いたそうじゃないか」
「はい」
続けて大尉が訊く。
「テレパシーは使えるんだな?」
「うーん」
「こいつもずっと独りでいたから、テレパシーでの会話というのがどういうことか、わからないんじゃないか」
「なるほど」
「……まわりにいる人の感情は感じます。あと、必要なら他の人の考えを読むことはできます。どうしても仕方がない理由がない限り、しないようにしてますけど」
スティーヴが言うと、3人は顔を見合わせた。大尉が興味深そうに訊く。
「テレキネシスを使える上にテレパスなのか? それも感情と思考の両方にインターフェイスできるということか」
「混合型か そういうのもいるんだな」
「じゃあ あなたも他の人が自分に向ける感情を感じてしまうの?」
「はい 同じ部屋ぐらいの範囲ですけど。中尉も……?」
「リリアでいいのよ そう、私も。
最初は近くだけだったけれど、でも意識的に感覚を広げる練習をして、かなり距離が広がっているの。今は300メートルぐらい」
「ええ……それって面倒くさくないですか? ビルの中でそんなに感覚が広がったら、うっかり自分が知りたくないことを感じてしまったりとか……」
中尉が——リリアが苦笑する。
「そう言えないこともないけど……でも私たちの立場って、不安定でしょ? いつ何が起きるかわからない。
だから、できるだけ広い範囲でまわりからの疑いや敵意なんかが感知できたら、いざというに役立つんじゃないかと思うの」
「……」
そんなことまで考えているんだ。
確かに自分はこれまで運よく、何のトラブルもなしにやり過ごしてこれた。そしてそれは、父があらかじめいろいろなことを教えておいてくれたおかげだ。注意すること、してはいけないこと。
士官学校に入るとを決めたのも、父がいろいろ考えてくれたから。「機構の官僚制の壁の向こうに入ってしまえば、あとは安全なはずだ」と……。
それが演習場で土砂崩れに巻き込まれて、大尉が自分の身を投げ出してをかばってくれた時、とっさの反応でテレキネシスを使った。
何もせずにいることなんて、できなかった。
そして今回はそれでよかった。でも、次にはそうではない状況もあるかもしれない……
考えてるスティーヴに、リリアがスープを勧めた。
「温かいうちにね。このあとメインディッシュとデザートもあるから。飲み物は何がいい?」
少佐が赤い液体の入ったボトルをとり上げる
「ワインに決まってるだろ」
「ちょっと、タイガー スティーヴはまだ未成年よ」
「だれが気にするんだ そんなこと」
「僕、炭酸の入ったものがあればそれでいいです」
「ガキか お前は」
「はい」
「素直なのか、つらの皮が厚いのか、よくわからんな」
「キッチンに入ってもよければ、自分でとりに行きますけど」
「いいわよ。冷蔵庫の中から好きなもの持ってきて」
炭酸水をもって席に戻る。
「そう言えば、訓練場で時々、誰かが自分を見守ってくれている感じがして、距離が遠くてはっきりとはわからなかったんですけど、少佐だったんですね」
アキレウス大尉がニヤリと笑う。
「過保護はリリアだけじゃなかったな」
笑い声。料理の匂い。みんなの温かい感情が行き交って、その中に心地よく包まれる感触。
子供扱いされたってかまわないんだ。その言葉の後ろにある感情が、優しいものだってわかるから。
「お休みの日には、いつもみんなで食事をするの。あなたもよかったら来てね」
「いいんですか?」
「もちろん」
自分の居場所があった、こんなところに。
将来の参謀部入りが確実と噂される2人と、まわりの行政士官たちが羨む腕利きの副官。3人とも少し年上だったが、距離はすぐになくなった。
人間社会の中の異質な存在として、ある意味、運命を共にする仲間というのもあった。
でもそれ以上に、テレパシーでやりとりをするのは、お互いの心に触れることだった。とりわけ相手の感情に触れることは、相手を何よりも「人間」として見ることを可能にした。
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