忘れない
文字数 2,917文字
あっという間に土曜日が来た。午前中はリリアのところでブランチをとり、午後には
ブランチの準備を手伝いながら、リリアから「名前で呼んでね」と言われ、スティーヴから「他の2人もあだ名でいいよ」と言われて、わずかな時間の間に年上の3人ともうち解けた気分になっていた。
食後のお茶を飲み終わると、タイガーが時計を見て立ち上がった。背が高くて体格もよいのに、本当に大型のネコ科の動物のように音も立てない。
「そろそろ支度をしないとな」
「何の支度だ」
ジュピターの言葉にタイガーが眉をしかめる。
「お前 結婚式の証人として裁判所に出かけるのに、その格好で行くつもりじゃあるまいな」
「これは仕事ではなく私的な案件だろう。正装するべきものなのか?」
「当たり前だ」
「僕は別に構わないけどな」
「『構わない』じゃないぞ お前もだ。ジーンズで結婚の宣誓などさせんぞ! 訓練官の礼服があるだろう。黒いのじゃなくて白い方、あれを着てこい」
「白いのは着たことないんだけど」
「捨ててなけりゃ個室のどこかにあるだろう なければ管理局に行って再支給を受けてこい!」
二人を追い立てながらタイガーが出ていく。リリアがくすくすと笑い、マリアも引き込まれて笑った。
「ふふ あの3人はいつもあんなふうなのよ。タイガーはああ見えていちばん常識的だから、いつもマイペース過ぎる2人の世話を焼いてるの。
その大きなバッグに入っているのはドレスね?」
「はい 着るものはそんなに持ってなくて……これも特別なものじゃないんですけど」
マリアは薄紫のシフォンのドレスをとり出した。
「なんて可愛いい! あなたがそれを着たら、ほんとに妖精みたいね」
「……ヨーロッパから持ってきたドレスなんです。お気に入りなんだけれど、今までは着る機会もなくて」
リリアの寝室で着替える。リリアはワードローブを開いて見ていたが、制服の礼装ではなく、薄緑のヴェルヴェットのワンピースを選んでそれを着た。マリアのドレスに合わせてくれたのだと思った。
ノックの音がする。
ドアを開けると、スティーヴが白い礼装を着て、ちょっと緊張した面持ちで立っていた。凛々しくてすてきだ。
その後に2人の士官が立っていて、引き締まった制服姿に目を奪われる。それから二人の階級が、思っていたよりずっと上であることに気がついた。
長い髪の口数少ない美青年だと思っていたのは行政士官の少佐で、陽気で気さくな東洋人の男性は7Dの中佐だった。2人の仕事のことは聞いていなかったし、歳も上といってもそれほど離れているわけではないからと思っていた。
「どうしたの?」
スティーヴに声をかけられ、マリアはささやいた。
「そんなに上の立場の人たちだと思ってなくて……私、馴れ馴れしすぎて失礼じゃなかったかしら」
マリアの言葉を聞きとがめたらしいタイガーが快活に笑う。
「そんなことは構わんでいい。スティーヴの嫁さんなら俺たちの妹同然だ」
裁判所[コート]の中でのことは、夢中でよく覚えていない。ただ言われたように誓いの言葉を繰り返し、書類にサインをした。廊下に出ても、まだ足が地面につかないようで、スティーヴの腕につかまっていた。
ウェイとフォワ少佐の姿がある。
「スティーヴ これ」
ウェイが小さな箱を差し出す。
「ありがとう!」
「お前らどこに行ってたんだ」
「車を飛ばして町までです」
スティーヴが小箱を開けると、中に金の指輪が収まっていた。
「ほお 指輪はちゃんと準備したのか。そりゃお前にしちゃ上出来だ」
「うん 指輪は僕の母さんが大切にしてたから、覚えてた。サイズを直すのに時間がかかって、ウェイとダニエルが取りに行ってくれたんだ」
スティーヴがマリアの手をとり、指輪をはめる。
「おい 廊下でか。お前の分はどうした」
「僕のは来月の給料が出てから」
「あら 言ってくれたら……」
「待て、リリア そこはスティーヴと言えども男のプライドがあるだろう」
「そんな難しいことは考えてなかったけど」
スティーヴの友達のアンディとエリンもやって来た。
アンディは笑顔でスティーヴの肩をたたきながら、マリアに話しかける。
「新婚だと、きっとたくさん欲しい家具があるよね? どんなものが入り用か聞かせて欲しいな」
エリンが大きな袋の中からクッションをとり出す。緑のヴェルヴェットに鳥と木が美しく刺繍されていた。
「……なんてきれい」
「すごいな これもエリンがやったの?」
「もちろん クッションも手縫いよ」
アンディがリリアの方を見て訊ねる。
「パーティーとかはやりません?」
「そうね 士官の人たちの結婚式だと、ミーティングルームを貸し切ってやったりするわね」
「僕 そういうの苦手なんだけど」
「嫁さんの意見も聞け」
「……ごめんなさい 私もスティーヴと同じで……」
「じゃあ 私の個室でお茶でも ちょっと狭いかもしれないけど」
「中佐のフラットの方が広いですね」
「よし 俺のところで乾杯だ 酒もあるしな」
みんな楽しそうだった。人間たちの間を自由に歩き回っていてはならないはずの「変異種」という秘密を背負っていることが、信じられないほどに。
その夜はスティーヴと2人で海岸に出かけた。居住区の森を抜け、ひと気のない浜辺に出て、砂の上に座る。
夜の海風が気持ちいい。
<私ね まだ信じられない こんなにたくさんの仲間たちがいっしょにいるなんて>
<まだベースを3つ、手の届く範囲で探しただけだよ。そしてベースの外にも、きっと当局の目を逃れて隠れてる仲間がいると思う……どうしたの?>
<……私はあなたと出会って、いっしょになることまでできて 素敵な仲間に囲まれて こんなに幸せ……でも まだ孤独に生きている仲間たちがいるんだって考えてしまうの……>
スティーヴがマリアの肩を抱き寄せる。
<そのことは忘れていない 僕も、みんなも。
そして科学局の施設に閉じこめられている仲間たちのことも、決して忘れはしない。
ただ、それを考え続けるのはつらいから、あまり口にはしないだけだ。代わりに自分たちにできることをやろうって決めている。
ジュピターもタイガーも参謀部入りは間違いないし、だからここに仲間たちを集めて、ベースの中で自分たちにできることを増やしていくんだ。
そしていつかはすべての仲間たちを見つけ出して、みんなが自由に生きられるようにする。どうやってそこにたどり着くかはわからないけれど>
スティーヴの視線は、いつも空を見上げるように明るい。それは彼がいつも、こんなに大きな夢を追っているからだろうか。
でもマリアにとって、その夢はあまりに遠く、大き過ぎるようにも感じられた。
私はそれについていくことができるだろうか……そう思いかけ、その不安をぎゅっと抑える。
私は彼といっしょに歩くわ、どんなことがあっても。
マリアはスティーヴの手をしっかりと握り返した。
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