後を追う

文字数 2,867文字

 ジュピターはオフィスにこもり、考え込んでいた。
 後のことを考えなくていいなら、マリアが科学局の施設に捕らわれていようと、力づくで救い出すことはできるのだ。それを可能にする力が自分たちにはある。
 だがそれを実行すれば、変種の間に組織的な動きがあることを機構の中央に気づかせ、大掛かりな「変種狩り」の引き金を引く可能性が高い。
 そうなればマリアとスティーヴ、それに救出に関わった者らが追われることになるだけでなく、ナタリーが危惧していたように、ベースで働く全員の再検査が要求されるといったこともあり得る。
 機構の目をかすめてマリアを救い出し、このベースでの生活に戻す方法はあるか。
 いや、見つからずに連れ戻せたとしても、2人は機構の目の届かない場所に移すべきかもしれない。
 スティーヴの両親は復興途上地区に移り住んで、心理検査前に能力の目覚めてしまった息子を守り切った。ならば2人にもそれは可能だ。
 州内のことなら管理局に手を回して、2人のために偽の身分証明書を作らせることもできる。
 ただ境界州(ボーダーステイツ)内の復興途上地区はベースから遠い州の南部、反乱軍の占領地から近いエリアだった。治安が不安定な上に、テレパシーの届かない距離では連絡は電話に頼るしかない。
 いくらスティーヴがずば抜けた能力を備えていたとしても、危険度の高い地域に若い2人を送って生活させることは気が進まなかった。次に何かあった場合に迅速に手を貸してやることが難しい。
 このベース内でなら、仲間たちのネットワークを通して常時2人を見守ることができる。
 2人をベースに戻すための方策と、その場合のリスク。復興途上地区に移すならその場合の問題点をリストして、秤にかける必要がある。
 2人のことは何としても守らなければならないが、同時に仲間たちを不要なリスクにさらさず、それを行なうためのバランスはどこにとれるのか……。
 そこまで考え、自分の判断力がいつもの明晰な切り口を欠いていることを認めざるを得なかった。
 判断から個人的な感情を排除し切ることができない。
 スティーヴの存在はジュピターにとって、かけがえのないものだった。
 自分が友人として受け入れる数少ない人間であるという以上に、彼は仲間たちの希望を運ぶ存在だ。彼がいたからこそすべてが始まり、そして彼がいるだけで、仲間たちは目を上げて光のある方向を見ることができる……。
 そこまで考え、いったん思考を切り替える。
 まず、マリアが捕らわれている場所を探し出すことだ。それはノースアトランティック州の、おそらくベースから遠くない場所。だがそれ以外のことはわかっていない。
 マリアの身柄が科学局の手に移った以上、手がかりを探すことはきわめて困難になった。科学局が情報を統制する力は警備局の比ではない。
 虎がナタリーに示唆した、局のスタッフに近づき、片端から思考を読んで手がかりを探すというやり方は現実的だろうか。
 科学局のスタッフは、ベースの中でも専用のエリアに隔離されている。そしてここの科学局にいるスタッフが、他州の施設に関する知識を持っているかどうかも、わからないのだ。
 というより、知識は共有されていない可能性が高い。
 組織を多数のパーツに分割し、パーツ間で情報のやり取りをさせないことで、全体として何が行われているかを知らせないようにするのが機構中央のやり方だということに、ジュピターは気づいていた。
 そしてもう一つ。ナタリーが気にしていた、科学局のスタッフの中でも秘匿性の高い研究に携わる者には、心理処理が施されている可能性……。
 リリアの手が目の前にお茶を置く。思考の流れが中断されて、ふいにミントの香りが意識に入ってきた。
「ジュピター 個室に戻って少し眠った方がいいんじゃないかしら。昨日から一睡もしてないわ」
「それは君も同じだ。君こそ少し休め」
 香りの強い熱いお茶を口に含むと、考え詰めで効率の落ちかけていた頭が少しはっきりする。
「……スティーヴは今どこにいる?」
「個室に戻って……」
 そこまで言いかけたリリアが不審な表情になる。
「どうした?」
「スティーヴの気配が……1人になりたがっているから邪魔しないよう、彼の方に意識を向けないようにしてたんだけど……」
「だとしても、ベースの中にいる仲間の存在は、君の感覚で捕らえられるんだろう?」
「ええ そのはずなんだけど……でも彼の存在が感じられないの……網から抜け出てしまったみたいに——」 
 ジュピターは自分が直感的なタイプだと思ったことはなかったが、胸騒ぎがした。
 リリアが慌ててテレパシーのフィールドを通し、仲間たちに呼びかける。
<誰か——スティーヴが今どこにいるかわかる?>
 フィールドにざわめきが広がる。
 反響して返ってくる答えはノーだった。
 誰もスティーヴがどこにいるかわからない。
 スティーヴはもともと共感型のテレパスとして育っていたが、ナタリーに分析型の質を見い出されて、その能力も伸ばした。普通の共感型には可能ではない、感情のスイッチをオフにして自分の心を他のテレパスから遮へいすることも学んでいた。
 独りになるために自分の心を遮へいしているのか、それとも……。
 ジュピターは立ち上がり、オフィスを飛び出て居住区に向かった。
 スティーヴの個室の呼び鈴を鳴らし、ドアをたたくが返事はない。後から追いついてきたリリアが、管理用のキーでドアを開く。
 部屋のどこにも彼の姿はない。
 自分をこっそりと仲間のネットワークから切り離し、親しいテレパスたちにも気づかれないうちにベースからいなくなった——スティーヴが考えていることはただ一つ——
 タイガーとナタリーを呼び出し、リリアに会話用のフィールドをつながせる。
<坊やがいなくなったってこと?>
<リリアに所在がつかめないということは、このベース内にいないということだ。
 今思えば、スティーヴはノースアトランティック州ベースに研修に出ていた時期がある。マリアが捕らえられている場所に心当たりがあって、そこに向かった可能性が高い>
 会話に虎が加わり、素早く情報と考えが交換される。
<俺が追いかける——ウェイ、ダニエル!>
 即座に2人の返事が返ってくる。
<すぐに7Dの第1駐車場に来い。あとは誰か、心理処理のできる分析型を……>
<私が行くわ いざとなったら坊やを押さえ込めるだけの力が必要だから。並の分析型じゃ、あの子にかなわない>
<それなら私が行こう>
<だめ あなたはここに残って。いざという時のために備えていて。
 変種としては万能で最強とも言えるあの子がコントロールを失ったら、何をするかわからないわ。もし無茶をして事態が拡大したら、仲間全員に素早く指示を出す必要が出てくるかもしれない。
 行き先はノースアトランティック州ベースの方向ね? ウェイなら半径50キロをカバーできるから、とにかく近くまで行けば居場所は特定できる>
<ドクターの言う通りだ。ジュピター お前は残れ。ドクター ウェイを迎えにやるから急いでくれ>

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登場人物紹介

ユリウス・A・アキレウス
アメリカ境界州ベースのエリート行政士官。思考力に優れ、意志も強く有能だが、まわりからは「堅物」「仕事中毒(ワーカホリック)」と呼ばれている。
あだ名 「ジュピター」(士官学校でのオペレーションネームから)

リリア・マリ・シラトリ
アキレウスの副官でコミュニケーションの専門家。親切で面倒見がよく、人間関係に興味のないアキレウスを完璧に補佐する。料理好き。

ワン・タイフ

境界州ベースの陸軍士官。快活で決断力があり、喧嘩も強い。荒くれ者の兵士たちからも信頼が厚い。

あだ名 「虎」(部下の兵士たちが命名)

ナタリー・キャライス
境界州ベースのシヴィリアンスタッフで、すご腕の外科医。頭が切れ、仕事でも私生活でもあらゆることを合理的に割り切る。目的のためには手段はあまり選ばない。

スティーヴ・レイヴン
境界州ベースに配属されてきた見習い訓練官。明るく純真で、時々つっ走ることがある。大切な夢を持っている。絵を描くのが趣味。

リウ・ウェイラン
ニューイングランド州ベースで隊附勤務中の士官学校生。優しく穏やかで、ちょっと押しが弱い。絵を描くのが趣味だが料理も得意。

ダニエル・ロジェ・フォワ
ニューイングランド州ベースの陸軍士官。生真面目で理想主義。弱い者を守る気持ちが強い。

アンドレイ・ニコルスキー

ニューイングランド州ベースの管制官。人好きで寂しがり。趣味は木工で、隙があれば家具が作りたい。

エリン・ユトレヒト

ニューイングランド州ベース技術局のシヴィリアン・スタッフ。機織りやその他、多彩な趣味があって、人間関係より趣味が大事。

マリア・シュリーマン

ノースアトランティック州のシヴィリアン・スタッフ。優しく繊細で、少し引っ込み思案。

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