暗がり
文字数 3,209文字
店から出た時、誰かの視線を感じた。品定めされているような感覚が、移動しても後をついてくる。
もし自分たちのことを何か疑っているようなら、対応を考えないといけないと思ったが、そういう感じでもない。
金銭的な興味のような……スリのチャンスでも狙っているのか?
人通りの多い表通りに向かって道を戻り始めた時、深めにハンチングをかぶった黒いジャンパー姿の男が近づいてきた。
「よう 兄ちゃん ちょっといい買い物があるんだけど」
スティーヴが足を止めたので興味があると判断したらしい。ポケットから何かをとり出す。
「どうだい、これ」
差し出されたのは
「いいだろう? ユーラシア製の最新モデルさ。アメリカ製の安物とは比べものにならない上等品だぜ」
「へえ」
「3000ドルでどうだ。骨董品屋に出入りしてるくらいだから金はあるんだろ」
「それはちょっと無理。それに携帯はベースの支給品で別に不便はないし」
「なんだ ベースで働いてんのか。それを先に言えよ」
男は品物をポケットに入れるとハンチングを深くかぶり直し、早足で行ってしまった。
リリアのところで夕食をとりながら、昼間のことを思い出して話す。
「町で、ユーラシア製の携帯いらないかって声をかけられたよ。アメリカ製よりずっと上等だって言ってた」
ジュピターが片方の眉を上げる。
「本物のユーラシア連合製なら密輸品だぞ。機構と連合の間に通商はない」
「あー そうなんだ。それでこそこそしてたのかな。
でもアメリカ製よりずっと質がいいって、本当だと思う?」
「通商がないから詳しいことは不明だが、産業面で我々より進んでいるのは間違いないだろうな」
「どういうこと?」
「現在の機構の統治地域では、スマートフォンは一部の人間にしか手にできない贅沢品だが、大戦以前は広く一般に普及していた。性能もはるかによかった。
ベースの支給品は我々の手に入る中では上等なものだが、それでも大戦以前の製品に比べると質も機能も劣る」
「どうしてそんなことになってるの?」
「半導体チップや電子部品を生産するのに必要な資源が十分、手に入らないのだ。携帯だけじゃない。大戦以前は家庭用の電化製品にすらたくさんのチップが使われていた。
極端な人口の減少で人的資源が足りないのも一因ではあるが、それ以上に産業の復興に必要な天然資源が手に入らないのが問題なのだ。機構統治圏の電子産業は、多くの金属やレアメタルの供給をリサイクルに依存している。
そうやって細々と生産されたチップや電子部品はまず科学局に割り当てられ、次にベースの管理機能分野、そしてそれ以外の分野と軍に回される。民間に回るのはその残りだ」
「生活レベルの回復もできてないのに、真っ先に科学局が資源を持っていくんだ」
「科学局は機構の組織の中でも特権階級だからな。資源の利用にも優先権がある。そうやってなされる研究や開発される技術が人々の生活を守り、潤すという建前だ」
「でも科学局のおかげで生活がよくなった具体例なんて、聞かないよね」
スティーヴはあごに手を当てて考え込んだ。
「科学局は秘密主義で、中で何がどうなってるのかわからない……でもそのうち科学局に仲間が見つかれば、もっといろんなことがわかるようになるよね?」
「その可能性はきわめて低い」
「どうして?」
「科学局で働く人間は局が独自に民間から選んで採用するが、採用条件の1つに心理分析がある」
「え……」
「採用前に適性検査という名目で行われるものだ。変異種を見つけ出す検査とは違い、科学局で働くための適性を調べるものだということになっているが、ナタリーによれば、構造的に類似の心理ストレス・テストが含まれる。
我々が成年前の心理検査をくぐり抜けたことさえ、ある意味では単に幸運だったと言えるのだからな。隠れている者はみな身を潜めている。科学局に就職するために、わざわざリスクを冒そうと考える者はいないだろう。
実際、ナタリーが接触できた科学局の人間の中に仲間は1人も見つかっていない」
それまで黙って聞いていたリリアが、深いため息をついた。
「もどかしいわ……私たちにとっては いつまでも手の届かない相手なのかしら」
夕食の帰り道、海岸沿いに回り道をした。空は曇っていて、星は見えない。雲の後ろから差すぼんやりとした月の明かりを頼りに、砂を踏みながら歩く。
ざわざわと響く波の音。
スティーヴは足を止めて海の方を見た。水は暗く、弱い月明かりに反射して、ただ白い波頭だけがちらちらと見える。
マリアが声をかけた。
「少し砂浜に座っていく?」
「うん 君がよければ」
2人は砂の上に腰を降ろした。頬に当たる風はぬるい。
「考えごと?」
マリアはテレパスではないけれど、心を読んでいるみたいにスティーヴの気持ちを察する。
「うん……僕らの社会は一見、自由に見えるけれど、実際には制限だらけだなって。目に見えない糸があちこちに張り巡らされている」
少し考え、スティーヴはテレパシーに切り替えた。
<科学局と機構の上層部の作った仕組みのせいで、変異種である僕らは自由に生きることができないって思っていた。
でも自由じゃないのは、僕らだけじゃないんだなって。
そしてそういう状況を作ってるのは、科学局を含めた機構そのものなんじゃないかって。
大戦で犯した間違いを繰り返さないために、そして大戦の痛手から人々が回復するのを助けるために機構は作られた。
でもジュピターの話を聞いていて、むしろ機構のせいで、人々は前に進むことができないんじゃないかと思えたんだ。
科学局は、変異種の存在が社会を不安定にする危険性があると言って、人々の不安を煽ってきた。
『他人の心を読んだり、心の力で物を動かす能力のある人間の存在は、社会に超えがたい不平等をもたらす。特殊な能力のある者はすぐに力を握り、普通の人間たちを押さえつけて支配してしまう』って。
そうやって変異種への恐れを植え付けられた人々は、機構が『変異種自身のために彼らを保護し、一般の人間から隔離する』と言った時にも反対しなかった。
検査で見つけられ、隔離施設に収容された子供たちがどうなるのか、外には知らされない。一度収容されたら家族との接触もいつの間にか途絶えてしまう。
それって恐ろしく非人間的なことだよね。なのに、みんなそれを見てみないふりをしている。
機構が決めたことには逆らえないし、他にどうしたらいいかもわからないから、しょうがないって思ってる。日々の生活にゆとりがなくて、自分たちのこと以外、考える余裕もないのかもしれない。
見えない鎖で心を縛られて、限られた方向しか見ることができないようになってるんだ。
みんなが平等で社会が安定したものであるために、変異種という少数者が犠牲になるのは仕方ないという考えを、受け入れるようになってしまっている。
それでも僕らは機構の網をかいくぐって、こっそりベースの中に居場所を作った。
でもジュピターが言ったみたいに、科学局やその施設には指を触れることもできない……>
<……時間はかかるかもしれないわ 私たちが望むことを実現するには……もしかしたら 私たちの世代では終らなくて、次の世代に受け継いでいかないといけないかも>
<そうかもしれない……でも できるものなら、その時を僕は自分の目で見たい。
僕らは今、現に生きている。これから生まれてくる子どもたちにもっといい未来を与えるのは、ここにいる僕らの役目だと思うんだ>
マリアはスティーヴの手を握った。
<私たちは止めない 夢見ることを 望むことを 考えることを――私たちの子どもたちのためにも、そしてそれ以外のすべての子どもたちのためにも……>
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