現実主義者
文字数 3,221文字
彼女は若いが医務局でもかなり上の待遇で、個室は佐官のフラット並みに広い。すべての局では、大佐クラスの行政士官が局長を務めることになっているが、医務局や科学局ではその下にシヴィリアンの副局長がいて、実質的な局の管理を行う。ナタリーは将来の副局長候補だとリリアが言っていた。
「お茶をいれますか?」
ウェイの申し出にナタリーがにこりとする。
彼女は普段、高級士官や上級スタッフ専用のレストランで食事をしている。カフェテリアのように並んでいる料理から欲しいものをよそってもらうのでなく、食べたいものを注文できるらしい。
正式に訓練官になり准尉に昇進したスティーヴだが、高級士官用のレストランに入ったことはないし、訓練官はどれほど昇進しても尉官止まりなので、高級士官用の設備を使う権利を与えられることもない。
ナタリーに「興味があるならつれてってあげるわよ」と言われたが、高級士官や上級スタッフばかりが集まる場所で食事をするのも気詰まりだ。
何よりリリアやウェイの手料理の方が、おいしいはずだと思っている。
ナタリーは時間がない時にはカフェテリア、それ以外はレストランで食べているので、個室も当然キッチンなしのユニットだ。あるのはウェットバーと冷蔵庫ぐらい。
ウェイは持参していたお茶の葉とポットをとり出し、お湯をわかして、いつもの丁寧な手つきでお茶をいれた。
東洋風の小さなカップに口をつけ、ナタリーが笑う。
「ほんとにこまめな坊やね おいしいわよ」
そしていつものように前置きもなく言った。
「フィールドを作って」
スティーヴは言われるままに3人の心をテレパシーでつないだ。そこに数名の名前と所属のリストが広げられる。
「これは……?」
「仲間。
いとも簡単そうにナタリーは言った。
「記憶も読んで、正体は確認済み。あとはあなたたちで行って説得してくればいいわ。顔とかは私の頭から持ってって」
スティーヴはナタリーの記憶からイメージを読みとり、フィールドに広げてウェイといっしょに見た。
こんなことを彼女がしてくれたことに驚きつつ、また新しい仲間に会える期待で胸がふくらむ。
「ノースアトランティック州かあ。でも研修でも公的な用事でもなしに、他州のベースに入るのは難しいんじゃないかな」
「とりあえず行けば紛れ込めるんじゃない?」
「制服姿ならベースのゲートは通れるかな? 身分証をチェックされるよね」
ウェイがうなずく。
「うん。それにベースに入れたとしても、1人1人に接触して話をするのに、少し時間が必要じゃないかな」
「ゲートの警備員を心理操作すればいいのよ。中に入ったら管理局に行って、短期滞在用の個室を割り当ててもらえば」
「でも 心理操作なんて……」
ナタリーがスティーヴの鼻を指でつつく。
「技術を教えてあげる。せっかく分析型の能力があるんだから、これを機会に覚えなさい」
「でも 人の心を操作するなんて、やりたくないな」
「なに言ってるの。そもそも私たちは普通の人間のふりをするっていう『嘘』をついてここにいるのよ? 本当のことを言ったら科学局の施設行きでしょ」
「……」
「大きな夢を描くのはいいけれど、それを嘘の一つもつかずに実現できるなんて思ってるわけ? 理性的に物事を考えることすらできない、普通の人間たちの支配する世界で?
心理操作はいざという時に身を守るのに必要だし、それにやらなきゃいけない仕事を容易にするのよ」
スティーヴは迷ったあげく、ナタリーの説得を受け入れた。待ちかまえていたように彼女はジュピターを引き込んだ。
そうして1か月ほどナタリーとジュピターから特訓を受け、2人が満足するまで心理操作のやり方を身につけた。
他人の心をいじるということを自分の中で嫌がっている部分があって、これまで心理操作を学ぶのは先延ばしにしてきた。でもはっきりとした目的のために訓練を始めてしまったら、もうそうはいかない。
相手の心に望む印象を与えたり、特定の思考や感情を植えつける方法。そしてまずいことが起きた場合に選択的に記憶を消去する方法。
記憶を消去する作業については、一番大きな抵抗があった。どんな人間に対しても、それはしてはいけないことのような気がした。
しかし「いざという時にウェイと自分を守って、無事に帰ってくることができるように」と言われ、抵抗を呑み込んでやり方を覚えた。
純粋な分析型であるジュピターやナタリーがやるのとは少し違っているが、同じ効果が得られるという点で問題はないと、2人はスティーヴの作業を評価した。
そしてさらに自分たちの心を使ってスティーヴに練習をさせた。指定された範囲のナタリーの記憶を、スティーヴが消去する。そして作業が的確にできたことをジュピターが確認する。同じことをジュピターの記憶でもやる。
指定されたのはごく最近の、何の重要性もない記憶のセグメントだ。しかしそれでも、2人が自分の心をスティーヴの練習台に使わせることを躊躇しないのには驚いた。
スティーヴにとっては、心の全体の統合性というのは何より大切なもので、そしてそれを成り立たせている個々の記憶というものは、ある意味、神聖なものだと感じていたからだ。
タイガーとダニエルが前方勤務に出ているので、ウェイの個室で2人でご飯を食べる。こちらに移ってきてからも、リリアの管理局コネクションのおかげで、ウェイはキッチン付きの個室をもらっていた。
「ドクター・キャライスは本当にすごいね」
「彼女は君とほとんど正反対みたいなタイプだけど……苦手じゃあない?」
「ううん 尊敬してる。あんな強さ、僕にはない。
彼女は僕らが見たくない現実を指さす役を、あえて買って出ていると思う。
考えなければいけないけれど、考えなくて済めば、そのままにしておきたいと思ってること。いつかはやらなければいけないけれど、もしやらずに済むならそれがいいと思っていることが、僕らにはたくさんあるよね」
ウェイの言う通りだ。
彼女は、他人の気持ちを気にして事実を婉曲に曲げるようなことはしない。いつもまっすぐに事実を突きつけてくるし、だから信頼に値する。
そして人間を見る彼女の視線には容赦がないないけれど、単なる皮肉屋でも悲観主義者でもない。
スティーヴが描いた夢のために、誰よりも先に現実的な行動をとって協力してくれたのは彼女だ。
しかし「とりあえず行って紛れ込む」という計画には、ジュピターとリリアが反対した。リリアは、スティーヴを「例外的ではあるが必要と判断される」二度目の研修に送り出すための理由書を書き上げ、教育局のコネクションを通して申請を出してくれた。訓練官は
しかしウェイは6D空軍の所属だ。それも転属して来ていくらも経たない新米士官が、また他州のベースに出かける理由は、どれほどひねっても作り出すことはできなかった。それに5Dの管理は6Dには及ばない。
結局ノースアトランティック州ベースには、スティーヴが一人で出かけることになった。
輸送機に乗り込むスティーヴをウェイは見送りに来た。
<ごめんね 本当に僕もいっしょに行きたかったんだけど>
<大丈夫 確実にそうだとわかっている仲間を、こちらに来るよう説得するだけだから>
ウェイがちょっと考え深げな表情をする。
<どうしたの?>
<うん……なんだか 大きな変化が待ってるような気がするんだ。単なる僕の感じなんだけど……悪いことじゃなくて でも何かこれまでなかったことが……>
<面白いことがあったら、すぐ連絡するよ>
スティーヴは笑顔でウェイをハグすると、輸送機に乗り込んだ。
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