パイプオルガン
文字数 3,038文字
着いてまずアキレウス中佐から能力の分析を受け、中佐の副官のシラトリ少佐から、変異種の能力や、このベースにいる仲間の現状について説明を受けた。
一つのベースに何十人かの変異種が集まっているという事実は驚くべきものだが、しかし外向きには自分の正体を隠して生活する状況に変わりはない。技術局のスタッフとして普通にふる舞い、働いている。
アルフはたまたま職場が同じで、彼の方から話しかけてきた。気さくな性格で、それでいてべたべたしないのでつきあいやすい。彼は仲間の友人が結構いるらしいが、レイニアは自分から積極的に友達を作るタイプではない。
テレパスによる防御システムの構築に参加することには同意していたし、共感型の作るテレパシーのフィールドにアクセスする練習もした。
フィールドを通すのは、カバー範囲の短い分析型がリーチできる距離を伸ばすのと、他のテレパスと共同作業をするためだということだったが、なんとなくまどろっこしくて、実際に実用になるのかどうか、わからないなと思っていた。
居住区で目当ての個室を探し当て、その前に立つと、呼び鈴を押す前にドアが開いた。
中から女の子たちの明るい声がする。
「ようこそ レイニア」
背の高い栗色の髪の女性に招き入れられる。床は個室に備えつけの無彩色のフローリングの上に、個人のものらしい温かい色の厚手のラグが敷かれ、10人ほどが車座に座っていた。
アルフもいて、金髪の若者と話をしている。
真ん中に積まれたドーナツやデニッシュは、カフェテリアから持ち出してきたもののようだ。
コーヒーのいい香りが漂ってきた。
「あなたはコーヒーね? 砂糖やミルクは?」
「あ ブラックで」
立っているレイニアに、アルフが「座れ」と自分の隣を指さす。
手渡された陶器のカップには可愛い小鳥の絵柄がついている。これもベースの支給品じゃない個人の所有物だ。
レイニアがコーヒーを味わい、落ち着くのを待っていたように自己紹介が始まる。
金髪の若者が「訓練官のスティーヴ・レイヴン、呼ぶのは階級じゃなくスティーヴで」と名のった時、はっとした。
どこかで見たことがあると思ったが、リウ少尉から見せられた記憶のオリジナルの持ち主じゃないか……リチャード・レイヴン博士の息子で、メッセージの運び手……。
若者は照れたように笑顔を見せた。
レイニアを招き入れた栗色の髪の女性が話しかける。
「レニーって呼んでいい? 趣味は?」
「えーと 音楽を聴くことかな」
「どの時代?」
「……バロックから古典派のあたり」
「そうよねー」という声があちこちから上がる。
「その頃の音楽が好きな仲間、多いのよね。どんな作曲家?」
「J・S・バッハとかC・P・E・バッハとか……テレマンやヘンデルもいいな。リュートやチェンバロもいいけど、一番好きなのはパイプオルガンの曲だな」
別の女性が口を開く。
「音楽の録音は持ってる? メディアはCD?」
「CDのコレクションに、アナログレコードも少しある。もっともレコードはプレーヤーがないんで聞けはしないけど」
「プレーヤーあるわよ。ちょっと前に骨董品屋で見つけてきたの。壊れてたけどアルフが修理してくれたの」
「手製のアンプと小さなスピーカーにつなげただけだから、音質はまだ改良の余地があるけどな」
「へえ……」
「楽器は何か演奏する?」
「……演奏は しない」
「演奏はしない けど?」
「けど その……」
場が静まる。みながレイニアの返事に耳を傾けている。穏やかに招くような、優しい期待が空間に満ちる。
今まで誰にも話したことのないことを、レイニアは口にしていた。
「実は パイプオルガンを いつか自分で作ってみたいって思ってるんだ……ハハハ おかしいだろ? そもそもあんなでかいもの、個室に置くわけにもいかないのに……」
口にしてしまった後で笑われるのを覚悟したが、みなの反応は予想と違っていた。
「わあ すてき!」
「すごいじゃない?」
「もう作業を始めてるの?」
「あ いや……まだ資料を集めてる段階で 昔の写真とか設計図とか 調べながら作業の工程や準備の必要なものをまとめてるけど、資料が少ないから時間がかかるんだ」
「そりゃまた手間のかかるプロジェクトだな。大量の金属パイプをカットするところからだろ」
「できればパイプ自体の製造からやれないかと考えてる。使う金属の比率で音の質が変わるらしいんで」
「お前、技術局に入ったのはそれが狙いか」
「趣味の道具や材料が調達しやすいから技術局にいるのは、あなたもエリンも同じでしょ」
からかわれたアルフは愉快そうに笑う。
「あれって何本ぐらいパイプがあるんだ?」
「平均的なもので3千から5千本くらいかな。20世紀には万を超すのもあったらしいけど。
最初に200本くらいの小型の試作品を作って、それから大きなやつにかかりたい。実際に作業を始められたとして15年か20年はかかると思ってる。
いや、その前に設置する場所を見つけないといけないんだけどね。パイプオルガンはそれが設置される空間との関係が何より重要だから」
「いつも1人でこもってると思ったら、そんなことを企んでたのか。1人じゃ無理だろ 俺も手伝うぞ」
「弾き手もいるわよね。ピアノとは仕組みが違うのよね?」
「ピアノはハンマーで弦を打って音を出し、それを響かせて拡大する。パイプオルガンはパイプが空気を振動させて音にする。風がじかに音を生むんだ」
「録音で聞いても体に響く感じなのは、だからなのね」
次から次へと質問が出て、そしてそのどれも、単なる社交辞令ではない本物の興味がこめられていた。正直、みなが持っている背景知識にも驚いた。
スティーヴは笑顔でみんなの話を聞いている。
「スティーヴは質問ないの?」
「僕はクラシック音楽はあんまりわからないから」
「スティーヴが好きなのは20世紀後半のロックだよな。結構いい曲もあるんだぜ」
「アルフはほんと守備範囲が広いのね」
「音楽史の研究家と言ってもらいたい」
「ねえ スティーヴ マリアがアルベルト・シュヴァイツァー博士のこと、話してたでしょ。博士はバッハの研究家で本も書いてるの。オルガン奏者でバッハの曲も演奏したのよ」
「あ それなら聞いてみたいな マリアといっしょに」
少尉の――スティーヴのことは「メッセージの運び手」として、何となく特別な存在というイメージがあった。でも実際に会ってみると、気さくで明るく、ほとんど無邪気な印象だ。
居心地のいい空間で、自分以外には誰も興味がないと思っていたことを、みんなと当たり前のように話ができる……。
夕方にはお開きになり、「また来週の同じ時間にね」と言われ、レイニアはうなずいた。
次のお茶会にスティーヴの姿はなかった。「今日はマリアとおでかけ」と女の子たちが言っていた。
先回もスティーヴはただ笑顔で座っていただけなのだが、彼がいるといないとでは場の雰囲気が違った。
「ところでマリアって誰?」
「奥さん。ステキでしょ? そういうコミットメントに飛び込めるのって、未来を信じてるってことだもの。
スティーヴがそんなふうに未来への信頼を行動で示してくれるから、私たちも希望を感じられる」
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