能力
文字数 2,869文字
たった二人の大切な仲間、そしてすでに親しい友人にもなっていた彼が近くにいないのは、リリアにとって家族の一人が欠けているようだった。
しかも行き先は戦地で、境界州の
これまで戦争のことはあまり考えたことがなかった。生まれる前から内戦は続いていて、そのことはほとんど意識にとめられることがなかった。
親しい人が戦地に赴いて初めて、リリアは前線の様子を知りたいと思った。
しかし戦況は軍の機密事項に当たり、一般の行政士官に情報は入らない。
ベースの副官全員が集まるミーティングで、リリアは7D出身の参謀官の副官と知り合いになることができた。しかし戦況に関するこは、もちろん教えてもらえなかった。
ひと月が過ぎ、さらにもう半月が過ぎた。
ある日の夕方、ジュピターはいつものように残業を続けていた。「そろそろ仕事を中断させて、夕食に連れ出さなくちゃ」とリリアは考えた。
ふと、親しい気配が近づいて来る。立ち上がって、ノックの音がする前にリリアはドアを開けた。
「よう 二人組」
タイガーの明るく陽気な声に、ためこんでいた心配が吹き飛ばされる。
「おかえりなさい! 様子が全然わからなかったから、ただ無事を祈ってたのよ」
「すまん、言い忘れてたな。負傷して怪我がひどけりゃベースに搬送されるし、死亡の時には広報に名前が載る。便りがないのは無事ってことだ。
今朝方ベースに戻ったんだが、報告とかミーティングとかいろいろあってな」
ジュピターが立ち上がりながら、タイガーの肩章に目をやる。
「大尉に昇進したんだな」
「間抜けな部隊が罠にはまって殲滅させられそうになったのを、俺の中隊が救ったんでな。戦功章をもらって、そのついでだ。
そういうお前らも階級上がってるな」
「つい二週間前だ。これでお前に追いたと思ったんだが、一つ差のままか」
「言っておくが、俺を追い越そうなんて無駄な努力はやめろ」
「再会して早々、小学生の男の子みたいな言い合いを始めないで。夕食はまだよね? カフェテリアに行きましょ」
リリアは笑顔で二人を促した。
タイガーが戻ってきて最初の日曜日。
ちょうど昼食の準備ができたところに二人が顔を見せる。
タイガーが部屋の中を見回す。
「この個室は広いな」
「昇進して、新しい個室を申請したの。管理局でキッチン付きのユニットを希望したら、担当者が知り合いで、このタイプが余ってるからって割り当ててくれたの。
キッチンはスペースの無駄だから、誰も欲しがらないって言ってたわ」
「ベースに住んでりゃあ、食事はカフェテリアで済むからな。昼食を作るから来いと言われた時は驚いたぞ」
「料理にはずっと憧れてたの。でも経験はあんまりないんだけど」
「俺たちで試そうというわけか」
タイガーが笑いながら、持ってきたワインを開ける。
献立はギリシャ風のサラダとミネストローネのスープ、それにほうれん草とチーズのカネロニ。
「どう?」
「うまい」
ジュピターの言葉にほっとして、それからうれしくなる。タイガーもうなずく。
「カフェテリアの飯より1ランク上だな。
食材はどうしてるんだ? ベースの中に生鮮食品のマーケットはないし、こいつみたいな仕事中毒につきあってたら、都市に食材調達に出る時間もないだろう」
「カフェテリアの管理担当に注文を出して、ストックの食材から分けてもらうの。以前お世話になったジュリアーノ大佐の奥さんが、いろいろ詳しいのよ」
「あの女性とまだつきあいがあるのか」
ジュピターがやや呆れた表情をする。
「いたずらの件はともかく、お願いすればとても面倒見のいいひとよ。
ユーロサウスの上等なオリーヴオイルやオリーヴの瓶詰めも分けてくれたわ。このサラダに使ってるのがそうなの」
「コミュニケーション専攻の副官の実力だな」
タイガーが笑う。
食事の後、リビングでお茶を飲む。
「じゃあ、試してみるか」
「例の件か」
「あれから考えてみたが、俺たちの能力には少しずつ違いがある。俺は最初に他人の思考が読めることに気づいた。それからリリアと会って、テレパシーでのコミュニケーションを覚えた。
リリアは自分に向けられる他人の感情を感じとるし、感情に伴う思考を捉えることができる。テレパシーでのコミュニケーション能力も俺より高い。
俺とリリアの能力は多少違いはあるが、どちらも人間の心との相互作用だ。
お前の場合、テレキネシスというのは物体に物理的な影響を与えるわけで、能力のカテゴリが違う気がする。
テレパシーで話しかけた時の
だがテレパシーを聞きとることはできたな。だとすれば、テレパシーのコミュニケーション能力自体は変異種の基本能力かもしれない。
とりあえず発信できるか試そう」
二人は代わる代わるタイガーに手ほどきを与えた。相手の心に意識を向け、心の外側に触れて相手を確認してから、コミュニケーション目的のつながりを結ぶ。
1時間ほどでタイガーはこつを覚え、至近距離でテレパシーを使い話しかけたり、聞いたりできるようになった。
さらに1時間ほど試したが、リリアのように相手の感情を感じとるようなことはなく、ジュピターのように能動的に他人の思考を読むこともできないようだった。
「物体の動きに影響を与えられるが、基本的なコミュニケーションを除けば、感情や思考との相互作用はなしか。やはりタイプが違うんだな」
「そりゃ面白い。科学局は、こと変種の能力に関しては曖昧な情報しか出さんからな。届くのは数メートルの範囲なんだな?」
「それより離れて試したこともあるが、うまくいかなかった」
タイガーがしばらく考え込んでいたが、口を開いた。
「思うんだが、能力は使えば伸びるものなんじゃないか? 俺は戦場で能力を使い出してから、ずっとパワーが強まってるし制御力も加わってる」
「なんだと」
「能力が目覚めたばかりの頃は、手の届く範囲のものを動かしたりといった程度だったが、今は視認さえできれば100メートル先の物でもぶっ壊せる」
「戦場でテレキネシスを使っているのか……!」
「気づかれないよう注意はしてるが、戦闘中のどさくさだ。ばれそうになったことは一度もない」
ジュピターの表情が考え深くなる。
「……変異種の能力が武器として使われる……それこそ機構が恐れていたことじゃないか」
「機構の上層部は、俺たちを野放しにしたら人間の社会を乗っとると恐れてるが、俺はそんなことに興味などない。
俺にとって重要なのは、自分が生き延びることと部下を守ることだ」
夕方近くになってタイガーが帰った後、ジュピターはソファに座ったまま、しばらく何かを考えていた。
リリアは新しいお茶を入れ直して渡した。彼はそれを受けとって飲み、ぽつりと言った。
「あいつには自分の動機にも、行動にも、迷いがない……」
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