伝わる
文字数 2,193文字
「タイガーの個室、広いね」
「ああ 佐官クラスに割り当てのユニットだからな」
「ジュピターの部屋と違って家具がある」
「あいつが家具を置かないのは、本を詰むスペースを確保するためだろ」
「うん ベース支給の家具には、本を置くのに使えるものがないって言ってた」
「もっとも俺の場合、どれだけ住環境を整えても、1年の半分もここにはいないんだが」
リビングの絨毯の上に座ろうとするスティーヴの襟首をつかんで、ソファに座らせる。
「すぐ床に座ろうとしやがって 子犬か お前は」
自分のショットグラスにジンを注ぎ、スティーヴにはトールグラスに氷とトニックウォーターをたっぷり入れてジンをたらす。
「お前を酔っぱらわせたのがばれると、リリアにかみつかれるからな」
「いい匂いだね。針葉樹の森みたいな香り」
「ジュニパーの実をベースに、アンジェリカやらヤロウの香りがついてる。スコットランド産の上等なジンだ」
「ベースには酒屋なんてないのに、ヨーロッパのお酒なんて、どこで手に入れるの?」
「高級士官用の特別手配さ。そのためだけに昇進したわけじゃないが、使える特権は使わんとな」
「タイガーはジュピターと違って、ものごとを実用的に割り切るよね。
でも、どうしてアメリカに来たの? リリアも言ってたけど、アジアの方がずっと復興が進んで、生活水準も高いんじゃないの?」
「もともと南北戦争とか、アメリカの歴史に興味があった。それで今アメリカがどうなってるのか、自分の目で見たかったというのはあるな。今起きてるのは実質、第二次南北戦争みたいなものだしな」
「南北戦争っていつだっけ。独立戦争とは違う?」
「お前、アメリカ生まれのくせに歴史を何も知らんのか。独立戦争はイギリスからの独立戦争、南北戦争はアメリカ南部州と北部州の戦争だろうが。ヴァージニアはその激戦区だった土地だぞ。だから境界州なんだろうが」
「そうなんだ」
スティーヴがグラスに口をつけ、カラリと氷の音がする。
「これ、おいしい。
そう言えばさ リリアとジュピターは恋人同士?」
「ありゃ実質、夫婦みたいなもんだし、お似合いだと俺は思ってるが、ジュピターの鈍さが半端ないからな。リリアの方も奥ゆかし過ぎて、関係がなかなか進展せんな」
「やっぱり……僕、ジュピターのこともリリアのことも大好きだから、二人には幸せになって欲しい。
リリアは他の人が必要なことにはすぐ気がつくのに、自分のことはいつも後回しだよね。
タイガーは恋人いないの?」
「なに言ってる。7D勤めは年の半分以上は戦地勤務で、そっから無事に帰って来られる保証もないんだぞ。そんな立場で女とつき合えるか。
お間、遊びたいんなら、7Dの士官どもが行くベース内のバーにつれてってやるぞ。お前は7Dのやつらみたいにむさくるしくないし、すれてなくて可愛いから、遊び相手ぐらいすぐ見つかるだろ」
「遊び相手とかじゃなくて、僕はちゃんと恋がしたいんだ——仲間の女の子と」
「そいつは——お前 この先、仲間がもっと見つかると思ってんのか?」
「うん」
「それはこないだ言ってた、お前の親父が考えてたことなんだな?」
「うん」
タイガーは頭をかいた。
「話があるといったのはそれか。お前の親父の話を、俺にも聞かせようっていう魂胆か」
「うん」
「俺は目の前のことにしか興味のない現実主義者だし、ジュピターみたいに人生の意味とか悩んでるわけでもないから、聞かされても、あんまり関係ないと思うぞ」
「うん。聞いてもどうってことなかったら、それでいい」
「それに 俺はテレパスじゃないから、こっちからお前の心を読んだり感じたりはできないんだが」
「あ そうだった。僕が記憶を再生するだけで、2人はそれを受けとってくれたんだけど……じゃあ記憶を再生しながら、そのイメージをテレパシーでタイガーの心に映せばいいのかな。
ちょっと横になってくれる? 頭を僕の方に向けて」
言われるままにソファに横になると、両のこめかみにスティーヴの手が当てられる。
手を通して何かが自分の心の外殻を探り、やがてつながりが確立された感触がある。リリアの作るテレパシーのフィールドに加わった時の感じにも似ている。
<つながった?>
<みたいだな>
<始めていい?>
<ああ>
それはまるで映画の中に自分が入り込んで、すべてを自分の五感を通して経験しているようだった。
ホットチョコレートの甘い匂い……横にくっついて座っている犬たちの体温 腕に触れる柔らかな毛並み……父親の静かで力強い声 そこから体感的に響いてくる人柄……母親の腕に抱き寄せられる感触 キンモクセイの花ような優しい香り……そして父親がその視野に抱いていた大きな自然の姿が、自分を包み込む……。
どれほど時間が経ったか、やがて記憶の流れが緩やかに止まり、スティーヴの心が外れる。それから両手が離れた。
タイガーは目を閉じたまま、五感が再び自分のものになり、意識が体の中に戻るのを待って、起き上がった。
「大丈夫?」
うなずき、ふうっと息をつく。
予想したような、言葉を通しての説得ではなかった。
ただスティーヴが両親との間に経験したこと……その関係そのものが、自分の深いところに響いた気がした。
「……とりあえず、なんでお前がそんなに明るいのかはわかった。
お前はめちゃくちゃ幸運なやつだな」
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